第5話 シャチと鯛

 桃澤さんとちょくちょく筆談する仲になった。友達? ペンフレンド? いやいや、ただのクラスメイトです。愛龍が桃澤さんを連れてきて周りの人を巻き込んで話合いをするので桃澤さんに話が振られていない間のつなぎみたいな役割です。


 桃澤さんは授業で回答を先生に求められたとき、スケッチブックにサインペンで文字を書いて答えていた。文字が大きく書けるため、筆談の時と使い分けている。最初は戸惑っていたクラスメイト達も、別に不自由な点が無いとわかると順応していく。

 桃澤さんの方から誰かに話しかけに行くことはなく、大概愛龍から話しかけ他のグループに混ざって会話を聴き、添えられた花のように笑顔を浮かべるだけ。愛龍以外彼女に話を振ることはなく、会話に混ざれないのがどこか申し訳なさそうな雰囲気を放っていた。

 桃澤さんの存在感が限りなく薄くなると、僕との筆談が始まる。そんな流れだった。


『愛龍、面倒臭くない?』

『全然、逆に話しかけてくれて凄く嬉しい。声が出せなくなってから話し相手がいなくなっちゃって。愛龍ちゃんがいなかったら一年生のころに孤立してたよ。凄く感謝している』

『そうなんだ。愛龍ってガサツに見えて案外周りを見ているんだね。友達が多そうに見えるけど一緒に遊びに行くような相手は全然いないから、あいつと仲良くしてあげてほしい。あんなんだけど、可愛いものとか物凄い好きなんだよ』

『えっ! そ、そうなの……。意外過ぎて、目が飛び出るかと思った』


 桃澤さんと筆談してわかったが、彼女は実に明るい性格だった。きっと、喋れた時はもっとキラキラと輝いていたのだろう。なぜ喋れなくなったのか聞きたいが、僕も抉らないでほしい傷があるので聞いたりしない。当たり障りのない筆談は暖かい春の日差しのように穏やかに続いた。


 新学期が始まって二週間がたった頃、僕は掃除当番で他の者がいなくなった教室を綺麗に掃除して皆よりも三〇分ほど遅れて教室を出た。今日も今日とて節約と言う名のランニングで帰ろうと学校の校門を出た頃、視界の端で誰かが黒い制服と派手な髪色の男に裏路地に連れ込まれているのが見えた。


「すみません、体育教師に生徒がいじめられていると伝えて来てください」


 僕は帰ろうとしていた生徒に話しかけ、裏路地に繋がる通路目掛けて走っていた。家の塀を背に、狭い通路を見ると藻屑高校の生徒だと思われる男子二名が、愛龍と桃澤さんに話しかけているのがわかった。


 ――命知らずめ……。愛龍を連れ込むとか、相当バカなんだな……。あいつ、手加減って言うのを知らないんだぞ。歯が折れたり、鼻の骨が折れなければいいけど。


 愛龍は自分より身長の高い男に睨まれているのに一切怯んでおらず、逆に腕を組んで面倒臭そうにしていた。逆に桃澤さんは脚が震えており、今にも泣きだしそうになっている。


「お前、牛神愛龍やろ。万亀雄の幼馴染。うちの後輩が、万亀雄にボコられたんだわ。あいつ、どこにいるか知らないか?」


「は? 知るわけないでしょ。あのバカの居場所なんて。あと、こんなかび臭い所に連れ込まないでくれる? 友達が怖がってるし、もう、いいでしょ」


「ちょい、待て。じゃあ『陸の鯱』はどこにいる? あいつに借りを返したい奴は一杯いるんだ。最近、全然見かけねえから、ちょっくら挨拶したいんだが」


「はぁ……、だから、知らないって言っているでしょ!」


 愛龍はしつこい男が嫌いなのか、鉄拳を赤髪の男に打ち込んだ。赤髪の男はその姿を見て、笑みを浮かべて殴り返す。


「愛龍、本気で殴ったら相手の顔が陥没しちゃうから駄目だよ」


 僕は見ていられず咄嗟に飛び出して愛龍と赤髪の男の間に立ち、右手で愛龍の手首を左手で男の拳を受け止める。


「ちょ……。なんで出てきたの……」


「ほほう、いるじゃねえか……。もう、絶滅したかと思っていたが元気そうだなぁ」


「彼女たちは何も関係が無い。話しなら聞いてやる」


 僕は愛龍と桃澤さんの背中を押して二人を通路に向って走らせた。

 目の前の男二人は愛龍たちに目もくれず僕を睨んでくる。耳にピアスを何個も開けており、とても痛そう。髪も赤色と金色に染めていて派手すぎる……。藻屑高校の制服を完全に着崩し、みっともない印象しか得られなかった。


「よう、鯱。元気だったか。こちとら、お間に食われた肝臓が未だに痛むんだ。お前をボコボコにしてやらねえと痛みが取れないって医者に言われてな。ちっとツラ貸せや」


「挨拶だけじゃなかったの? あと、話をするだけだと思っていたんだけど……」


「はぁ? そんな訳ないだろ。俺の名は鯛平勝平。この名前お前の脳に叩き込んでやる!」


 赤髪の鯛平は僕よりも背が高く、体重九〇キログラムは超えている見た目だった。本気で殴られれば確実に痛い。ヘッドギアも着けていないし顔を殴られれば死ぬかもしれない。

 拳を腕でカードするも、すぐ後ろに壁があり、衝撃が背中から走った。


「おらおらおらおらおらっ! どうした! お得意のボディーブロウは打ってこないのか? このまま『陸の鯱』を殺してもいいのか? 返事がないなら、いいってことだよなあっ!」


 僕が鯛平の重たい連打を腕でカードしていると、もう一人の金髪の男が開いている腹部に思いっきり蹴りを入れてくる。ボクシングでは完全に反則だが、別にこれはボクシングじゃない。一方的な暴行だ……。


「万亀雄に殴られて鼻の骨が折れたんだぞ。どうしてくれんだよ、おいっ! あいつを連れてこいやボケっ! 次はあいつの骨を全部バキバキに折ってやるからよ!」


 金髪の男子生徒は万亀雄に殴られて鼻に怪我を負ったらしい。あぁ、卯花さん、ごめんなさい。万亀雄がまた誰かを怪我させてしまったみたいです……。狙うにしてももっと他の場所があっただろうに。


「す、すみません。万亀雄の代わりに僕が謝ります。でも、万亀雄は悪いことをしていない者は絶対に殴らないので……、あなたも何か悪いことをしていたと言うことですよね」


「るっせえなっ! こちとら、可愛い女とデート中だったってのによ! ホテルに行こうとして嫌がるから一発ぶん殴っただけだ! 何も悪いことしてねえだろうが!」


 どうやら、彼らに悪いことと良いことの区別が付いていないらしい。ここまで行ったら、ただの獣なんじゃなかろうか。

「これで、しまいだっ!」と鯛平は叫び、大岩のような拳が勢いよく引かれる。そのまま思いっきり打ち込まれた。

 僕はその瞬間にガードを下げ、顔を右にずらす。彼の鉄拳はざらついた塀に勢いよく打ち込まれた。その時の鯛平の顔はぎょっとしており、手首が変な方向に曲がり、拳の皮が捲れて血が滴っている。相当痛そうだ。


「おい、ごらっ! なにしてやがる!」


 体育教師だと思われる男性が通りから怒号を鳴らした。剣道部の顧問で竹刀を常に片手に持っている昭和世代の先生。顔の怖さは折り紙付きだ。剣道の腕前も相当なものだと、剣道部から聞いている。


「クぅぅ……、覚えてろよ……。『陸の鯱』。ぜってぇ、ぶっ殺す……」


 鯛平は手首を抱きしめて金髪の男と共に路地に走り込んでいった。あの手首の捻りようは全治二週間と言ったところか。骨の罅が入っていたらもっと時間が掛かるだろうな。


 僕は声をかけてくれた先生に頭を下げた。傷を心配されたが、殴られ慣れているので大して問題ないと伝え、帰り道を駆けた。


 愛龍と桃澤さんは列車に乗って帰ってだろうか。他の不良に絡まれていたら相手が心配だ。大見え切って殴ろうとした女の子にボコボコにされたら、男の軟な心が折れてしまう。

 愛龍にも通り名を付けて会ったら逃げろと言うような意味で広げられないだろうか。まあ、彼女が深夜徘徊するわけがないので必要ないな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る