もう一度、ここで会えますように

青埜澄

もう一度、ここで会えますように

「神様って、ほんまに見てるんかな」

 駅前の神社で、ふと思った。受験の神様って、誰が言い出したんやろ。

絵馬には「合格しますように」って、同じような願いがずらっと並んでいる。

私はどこか他人事みたいにその絵馬を眺めた。


 「神様って、ほんまに見てるんかな」

 駅前の神社で、ふと思った。受験の神様って、誰が言い出したんやろ。

絵馬には「合格しますように」って、同じような願いがずらっと並んでいる。

私はどこか他人事みたいにその絵馬を眺めた。


 私たちは高校三年生。夏休み目前の受験生。

──だけど。

「ねぇ、海鈴みすず。この花火大会……二人で行かん?」

 スマホの画面を差し出すと、海鈴はぱっと顔を輝かせた。

「わあ、夏って感じ!」

「やろ?浴衣とか着てさ。行こ、絶対楽しいよ」

「うん、行く行く!」

 海鈴は、来年東京の大学に進学する。私はその夢を応援してる。

でもどこかで気づいてた。今みたいに気軽に会える関係じゃ、もういられなくなるってこと。

だから言った。

「めっちゃ良い思い出、作ろな」

 海鈴は、まっすぐな笑顔でうなずいた。


     *


 改札前。待ち合わせ場所に現れた海鈴は、水色の浴衣に赤い帯を結んでいた。

人混みの間をするすると泳ぐように歩いてくるその姿は、小さな魚みたいだった。

肌も髪も陽の光に透けて、彼女のまわりだけ、きらきらと光が揺れている。

手を伸ばしても、きっと指のあいだからすり抜けてしまう──そんなはかなさをまとっていた。

「……綺麗やな」

 思わずこぼれた声は、たぶん彼女には届いてない。


 海鈴は学校でも注目される子だった。明るくて、ちょっと天然で、誰にでも優しい。

でも、彼氏は作らず、ずっと私とばかり遊んでた。だから噂された。

「二人って、付き合ってるん?」──そんな声が、どこからか聞こえてくるようになった。


 中学のとき、私が女の子に告白したことが広まって、それが高校でも尾を引いた。

でも海鈴は、その話に一度も触れなかった。目をらすこともなく、いつも通りに接してくれた。

それが、ずるいって思った。

でも、それ以上に、彼女のことがどうしようもなく好きだった。


     *


朱莉あかり、お待たせ! そのお魚の浴衣、めっちゃ似合ってる!」

「お魚っていうか金魚ね。ありがと。……先に屋台、寄ってこっか」

「うんっ!」

 彼女は、私の提案にいつも素直にうなずいてくれる。

自分の意思がないんじゃなくて、私の言葉を信じてるみたいで、なんだか誇らしかった。

 焼きそば、トルネードポテト、イカ焼き、ミルクせんべい。

両手いっぱいにして会場へ向かうと、池のそばにちょうど二人分の空きスペースがあった。

シートを広げて腰を下ろし、夜を待つ。

「ん~、美味しい!」

 トルネードポテトを頬張る海鈴に、私は「ちょっとちょうだい」と口を開ける。

 嬉しそうに私に食べさせてくれる彼女が愛しくて、代わりにイカ焼きを渡した。

けれど一口が大きすぎたのか、ソースが口元にベッタリついてしまった。

「ごめん、ごめん……ティッシュある?」

「ん~、でも美味しい!」

 ソースを付けたまま子どもみたいに笑う海鈴は、正直ちょっとバカみたいだと思う。

 すれ違いざま、「あの子かわいいね」って誰かが言うのが聞こえて、慌ててティッシュを渡した。

 彼女は、いつも世界に私しかいないみたいに笑う。

周囲を気にしてばかりの私とは、正反対だ。

そんな海鈴がうらやましくて、少しにくくて、でも──抱きしめたくなるくらい、好きだった。

「ありがと。……取れた?」

 顎を上げて口元を見せてくる。柔らかそうな唇。

「うん、綺麗に取れたよ」

 私は彼女のおでこを、そっと指ではじいた。

「いてっ! 朱莉、もうすぐ花火始まるよ」

「うん……楽しみやね」


     *


 花火の音は、今日という日の終わりの合図みたいだ。いわば、映画のエンドロール。──まだ、まだ待って。

「見て、朱莉」

 海鈴が指差した先、池の水面に浮かぶ三匹の魚。死んでいるみたいだった。

なにか、自分の行きつく先の暗示みたいで──見なきゃよかったと思った。

「朱莉の浴衣の金魚たち、暑すぎて池に飛び込んじゃったんかなあ。けど、ホンモノじゃないから、泳げなくて……こうなったんよ」

「今日真夏日やしね……って、それどう見ても金魚ちゃうし。私の浴衣は金魚柄なんよ」

「わかってるよ~。でも朱莉、ノリツッコミ上手いね」

 彼女は、私が想像できないようなことを平気で言う。

私とはまったく違うテンポと色を持ってて、それでいつも調子が狂う。

でも──こういうくだらない時間がすごく、愛おしい。


「5、4、3、2、1──」

 カウントダウンの後、ドン、と夜空が鳴った。火の花がいくつも咲いて、空気が揺れる。

「綺麗……」

 呟いた私の横で、海鈴が声をあげた。

「わあ、アイスクリームみたい!」

 その声が、少し離れた場所にいた小さな女の子と重なった。

「……海鈴、あの子と同じ感性やん」

「ふふっ」

 その横顔が、花火よりも眩しかった。──ねえ、こっちを向いて。

「海鈴といると、楽しいよ」

 花火の音にかき消されないように、私は大きな声で言った。

海鈴は振り返って、笑った。

「私も。朱莉といると、楽しい」

 海鈴は笑っていた。

なのに、どこか泣いているようにも見えた。

きっと、それは花火のせいだ。

「また来ようね」

「うん、また来ようね」

 ──でも、もうたぶん、ここへ二人で来る未来なんてない。

 次にここへ来るとき、海鈴の隣にいるのは私じゃなくて……誰か別の人なんでしょ、神様。


     *


 花火が終わり、群れのような人波が動き出す。

人混みが苦手な私は、海鈴の背中の帯をそっとつまんだ。

くるりと振り向いた海鈴が、私の手を握ってくる。

「大丈夫」

 たったそれだけの言葉で、心がすっと落ち着いた。

彼女は人の流れを縫うように、すいすいと歩いていく。

まるで、人のほうが避けてくれてるみたいだった。

私はただ、華奢きゃしゃなその背中だけを見ていた。

「……もう大丈夫。ありがとう」

 そう言って手をほどくと、海鈴もゆっくり手を離した。

「今日の海鈴、魚みたいやった。スイスイ泳いでて」

「じゃあ、朱莉は亀やね」

「……なんで?」

「勉強漬けの私を、外に連れ出してくれたから」

「……じゃあ、ここは竜宮城りゅうぐうじょう?」

「うん。だから帰ったら、ちょっとだけ老けてるんよ」

「なにそれ、こわ……なんで海鈴の妄想っていつもちょっとホラー入るん?」

「ふふ、なんでやろね」

 明日から、また受験生活。

違う未来に向かって、私たちはきっと少しずつ離れていく。

だから神様。お願い。

今日だけは、もう少しだけ──。

「ねぇ、公園でアイス食べて帰らん?」

「うん、行こ!」

 笑った海鈴の手を、私はぎゅっと握った。

浴衣の下を汗が伝って、胸の鼓動が早まる。

だけど彼女は、当たり前みたいに、同じ強さで握り返してきた。

──「これからも、ずっと一緒にいてよ」なんて。

そんなこと、言わない。

でも、もしあのときの花火が願いを叶えてくれるのなら。

私は、ほんの少しだけ──未来を変えてみたいと思っていた。

手をつないで、夏の夜を歩いた。

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もう一度、ここで会えますように 青埜澄 @kaerunotamago

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