第32話 精一杯に笑って
謁見の間を覆っていた熱と轟音は、いつの間にかすっかり消えていた。
床も壁も天井も、戦いなどなかったかのように静まり返っている。ただ、空気の張り詰めた気配だけが余韻として残っていた。
リリアは額を押さえ、膝をつく。マグナスに弾かれたデコピンの跡がほんのり赤くなっている。それでも彼女は悔しそうな顔を一切見せず、むしろ口の端を上げていた。
「……やっぱり、アヤミチを前衛に出すべきだったのか……?」
その余裕ぶりに、アヤミチは心底驚いていた。アヤミチ自身はといえば、全身の力が抜けて動けない。目の前で繰り広げられた超常の戦闘は、到底自分の出る幕ではなかった。少なくとも、今のリリアの意見は真っ向から否定できる。
「ふん……」
マグナスは大きく息を吐き、リリアを見下ろす。
「リリア。相変わらず魔力の扱いが雑だな。派手に見せるばかりで、無駄が多すぎる」
「雑とは失礼な。それに、アタシは細々とするより派手にキメる方が好きだぜ?」
飄々と答えるリリアに、マグナスは鼻で笑った。
「アヤミチ」
名を呼ばれ、アヤミチはビクリと体を震わせた。
マグナスは鋭い眼光を向けるが、その口から出たのは一言だけだった。
「……惜しい」
それだけ言うと、彼は背を向けた。広い背中がゆっくりと玉座へと戻っていく。
「敗北を噛みしめたなら、さっさと次へ進め。勇者になる道は甘くはない。だが、お前らはまだ戦える。ならば進め」
重々しい声が謁見の間に響き渡る。
リリアは軽く肩をすくめて立ち上がると、額を擦りながら言った。
「さ、アヤミチ。アタシらは負けたんだ。さっさと逃げ仰せるぞ」
アヤミチはまだ震える膝をなんとか立たせて、苦笑いするしかなかった。
「……師匠、本当に無茶ばっかりですね……」
「楽しけりゃそれでいい」
リリアはさらりと言ってのける。その呑気さにアヤミチは絶句し、天井を見上げて溜息を吐いた。
──こうして二人は、敗北を背負ったまま次の任務へと歩き出す。思えば、アヤミチにとっては初めての敗北だったか。
いずれにせよ、勇者への道はまだ始まったばかりだ。
◆◇◆◇
次の日、王都の周辺領域、【王の庭】。
ここは王都の東門を出て目の前に広がる大草原である。王の庭、なんて大層な名前が付けられてはいるが、これと言った特徴は無く、本当にただの広い草原である。強いて言えば、駆け出しの魔法使いがこの平野で魔法の練習を行っているらしいので、初心者魔法使いをよく見かけるらしい。
さて、説明文としては文量が少ないため、ここで雑学をば。王都には東西南北に巨大な門があり、そこからでしか王都を出入りすることは出来ないらしい。
ちなみに、東門からはここ【王の庭】へ、西門からはハイナからの任務にもある【
と、そんなこんなで【王の庭】へやって来たアヤミチ。勿論、保護者役にリリアも添えて。
短い雑草が生えている草野原のど真ん中で、アヤミチは両手を地面に着け、叫ぶ。
「──
それは、変異スライム戦でアヤミチが何故か開発出来た魔法。大地に魔力を流し込み、その主導権を奪って命令を与える。自分を護る為に土の盾を作るもよし、攻撃の為に土の剣を作ってもよし。汎用性の高い技、なのだが──
「……あれ……」
アヤミチの足元に出来たのは、僅か三十センチ弱の土の壁。一見、土遊びのように見えるそれは、アヤミチにとっては三メートルを超える鉄壁ならぬ土壁の盾のつもりだったのだ。
あの時は、キチンと土の壁を作り出せていた。それなのに、今は自分を護る盾などではなく、ただのちょっと凄い土の壁だ。これでは勇者になど到底……いや、多分、気の所為だろう。魔力の出し方を間違えた、とかだろう、きっと。
気を取り直し、アヤミチは地面に着いた両手に体重を乗せ、再び叫ぶ。
「
それは、地面に魔力を込め、地中で自由に暴れさせる魔法。それにより、辺りの大地は大きく揺れ、場合によっては地割れを発生させる。その威力は、地震をも想起させる。
──しかし、今アヤミチが発生させたのは、申し訳程度の地割れと震度一にも満たないであろう地震で、地面に触れていた手のひら以外でその揺れを一切感じなかった。
「あ、あれれれ……」
アヤミチは、思いの外自身の魔法がしょぼくて、拍子抜けしてしまう。
「……ふむ。これで確信が着いたな」
そう言って、リリアはアヤミチの肩からひょこっと顔を出す。長い赤髪がアヤミチの鎖骨辺りにフワッとくすぐる。リリアは髪を指で耳元まで掻き上げると、真っ白な手のひらをアヤミチの前に突き出す。
「ん」
その仕草だけで意図を理解したアヤミチは、強く念じて分厚い一冊の本──個人識別証を空中に呼び寄せ、彼女の手に置いた。
リリアはすぐさま本を開き、目を左右に走らせながら素早くページをめくっていく。やがてアヤミチの初得魔法【主人公補正】のページで捲る手が止まる。そして、リリアが指先で示したのは、『性能』に関して書かれた一文だった。
「魔力の大幅増加。……やはりこれが肝だな。お前の話が本当なら、【主人公補正】を発動さえすれば大技級の魔法を四、五回は使えるはずだ」
リリアは顎に手を当て、淡々と告げる。
「それに……なんだか凄く身軽に体を動かせていたような気がしました」
アヤミチは当時を思い出すように続ける。
リリアは眉間に皺を寄せて頷いた。
「それだけ聞けば、かなり恵まれている魔法だな。魔法使いにとっては喉から手が出るほど欲しいもんだ」
その言葉に、アヤミチはふとルイゼットの顔を思い浮かべる。──彼も同じことを言っていた。
「で、これ……どうやったら発動出来るんだ?」
少し間を空けて紡がれたリリアの問いに、アヤミチは肩をガクッと落とした。
「分かりません……あの時から一度も発動できてなくて……」
リリアは黙って本をパタンと閉じ、アヤミチへ突き返した。
「なるほどな。つまり、お前は宝の持ち腐れってわけだ」
「ひどくないですか師匠!?」
「事実を言ったまでだ。──まぁ、簡単に使えるなら誰も苦労はしない。強い力ほど、条件も厄介になるわな」
「じゃあ……どうすれば……」
アヤミチが尋ねると、リリアは空を仰いで口を開いた。
「変異スライムとの戦いでの『条件』を試していくしかないな。場所、時間、精神状態、身体状態……どちらにせよ、遊び半分じゃ絶対に目覚めない」
「ここからはふざけず、真剣にやっていこうって訳ですね!」
「これまでも至って真剣だったんだけどな」
リリアはさらりと答え、次の瞬間、指を鳴らした。
掌に小さな炎の玉が生まれる。それは次第に膨れ上がり、アヤミチの頭上を覆うほどの火柱へと変貌した。
「ッ!? ちょっ、死ぬ死ぬ死ぬ!!!」
目前に迫り来る炎に、アヤミチは慌てて転がり、逃げようとする。
リリアは冷ややかな表情のまま炎を操る。
「安心しろ。丸焼きにするつもりはない。ただ、手軽に試せる『条件』を再現するだけだ」
「充分死にそうなんですけど!?」
アヤミチの叫びなど無視し、頭上を広がっていた炎が弾け飛び、矢の雨のように地に降り注がれる。轟音と爆ぜる土煙。焦げた匂いと鼻水が鼻をくすぐる。
「クソッ……! 鳥肌立ってきた! これで発動せずにやられ損なら恨むぞ『主人公補正』!!」
必死に念じるが、何も起きない。ただ心臓が暴れ、汗が噴き出すばかりだった。
リリアは最後に炎をすっと消し、焦げた草原と、その中央で目をグルグルにして放心状態のアヤミチを見渡す。
「……やはりダメか」
「ぜぇ、ぜぇ……マジで死ぬかと思った……」
アヤミチは膝をついて肩で息をする。
だが、リリアの瞳はほんの僅かに細められていた。
「……まぁいい。焦るな。アタシだって真髄魔法を扱えたのは何年も後だった。お前の場合はもっと極端なんだろう」
リリアの言葉に、少しだけ救われる。
「師匠……」
「真髄魔法って、なんすか……」
「だからこそ──試す価値がある」
「えっ、無視……ひどい……」
リリアはアヤミチの問いを無視し、軽く背を伸ばす。そして、遠くにそびえる王都の城壁を指差す。
「もう少し【主人公補正】の条件を試してみて、何の進展も得られなかったら情報集めも兼ねて街に戻るぞ」
アヤミチはぐったりとしながらも、立ち上がるしかなかった。両頬を思い切り叩き、心地の良い音を響かせ、気合を入れる。そして、アヤミチは足に力を入れ、立った。
◆◇◆◇
「何の成果も……得られませんでした……」
アヤミチは、先日泥棒騒ぎのあったリンゴ屋で買ったリンゴを頬張り、肩を落として分かりやすく落胆した。
あの後三時間は色々な条件を試してみたが、結局、何一つとして成果は得られず、ただ何も分からないという事だけが分かった。
すっかり落ち込んだアヤミチの背中を、リリアは無言でポンポンと慰めるように優しく叩く。
「まぁなんだ。愛嬌って事で」
「絶妙にフォローになってない……」
リリアの腫れ物に触れるかのような口調に、余計にアヤミチのHPは削られる。
そんなアヤミチを傍目に、昼下がりの王都は、いつもより活気に満ちていた。商人たちの威勢の良い声、子供の笑い声、行き交う兵士の硬い靴音。気持ちを切り替え、アヤミチとリリアは並んで歩きながら、行き交う住民に片っ端から「与太斬り」について聞き込みをした。だが、返ってくるのは大体似たような言葉ばかり。
「騎士が殺されたんだって? 怖い話だよなぁ……」
「夜は出歩くな、って言われてるけど、それじゃあ商売にならないよ」
リリアは表情一つ変えずに答えを聞き流し、アヤミチはノートに殴り書きしていく。そしてふと、アヤミチと同じく、住民の話を聞きながらノートに必死に何かを書いている人物を、少し離れたところで見かける。
思わず、手が止まる。
「……あれ、師匠。あれ、あの人」
アヤミチの指の示す先に、見覚えのある後ろ姿があった。薄いベージュの艶髪を、肩に届くか届かないか程度まで伸ばし、甲冑の肩当てを軽く身につけた青年兵士。真剣な眼差しで住民に話を聞いている。
──間違いない。先日、泥棒騒ぎを沈めた後、一時的に仲良くなった青年兵士だ。
「ほう。世界は広いものだな」
リリアは眉を上げ、少し嬉しそうに微笑む。
「おーーい!」
アヤミチは、青年兵士の後ろ姿に声を掛け、大袈裟に手を振る。
アヤミチの声で振り返った兵士は、一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「お二人さん! また会いましたね!」
「やっぱりあの時の兵士さんですよね!」
アヤミチは嬉しそうに声を掛ける。しかし、青年は少し間を置いて、苦笑するように言った。
「……ええ! お元気そうで何よりです! ……その、あなた方も!」
兵士は肩をすくめ、元気そうに口元を綻ばせながら言った。しかし、お互いに名前を知らないので、少し口調がぎこちなくなってしまう。
リリアはすかさず歩み寄り、単刀直入に言う。
「アタシはリリア・マーガレット。こっちはアヤミチと言う。こいつの名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないか?」
リリアは、少し背伸びをしてアヤミチの頭の上に手を置いて紹介をする。そして名前も知らぬ兵士に目配せをし、無言の圧をかける。
「……そう、正に自己紹介がまだでしたね……! 僕は【トル・エリム】。どうぞ、エリムとお呼びください!」
と、兵士──エリムは、元気ハツラツに自己紹介をしたのだった。
リリアは「トル・エリム……」と口の中で彼の名前を反芻すると、更に歩み寄る。ほぼ目と鼻の先の距離である。
「それで? 与太斬りの聞き込みか」
「……そうですそうです」
エリムは目を細め、ちらりとアヤミチたちを見やる。
「そう言えば、お二人……アヤミチさんとリリアさんも『与太斬り』を追っているんでしたっけ?」
「任務の一環でな」
リリアが頷く。そしてリリアは一拍置き、片方の眉を上げて提案する。
「エリム。一人で『与太斬り』を追うのも大変だろう。どうだ、アタシ達と手を組む気はないか?」
沈黙が落ちる。
エリムの表情は穏やかだが、その目の奥には明らかな迷いがあった。
「……僕は、」
言葉が途中で詰まり、少しの間を置いた後、エリムは考え込むように目を瞑る。そして言葉を取りやめ、重い口を開く。
「けど……与太斬りを捕らえるのが目的なら、協力しましょう……!」
エリムはニコッと笑い、アヤミチ達に手を差し伸べる。アヤミチは嬉しそうに「ありがとうございます!」と声を上げ、リリアは小さく頷いた。
アヤミチとリリアは、エリムの差し伸ばされた手を握り、一時的な同盟を結んだ。
──こうして三人は、与太斬りの捜索を共にすることとなった。
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