9話 小さな体と大きな勇気(3/6)

まずは家に連れ帰って……だなんて、のんびりしてる場合じゃないな。


向こうとの時間差に気づいた俺は、ひとまずスマホで近くの公園を検索して移動する。

ああ、スマホを触るのも随分久しぶりだ。


「ヨーヘー? ここは……?」

「ヨーヘーの家……?」

公園のベンチで飼育ケースを膝に乗せると、ケースの蓋を開ける。

俺は、不安げな二人になるべく優しく話しかけた。

「二人とも、今すぐ向こうに帰ろう」


「え……」

「今すぐ……?」


ん? なんだ? てっきり二人とも大喜びするかと思ったのに、反応が芳しくないな。


「どうした? ザルイルさんが心配してるぞ?」


「でも……」

「……」

しゅんとうなだれるライゴと、それを心配そうに見つめるシェルカ。

俯かれると、小さすぎてその表情までは分からない。


ザルイルも俺をこんな気持ちで見ていたんだろうか。

普段四つ目を閉じて過ごすザルイルも、小さな俺を見る時には八つの目を全て開いていたな……。


俺は沈む二人の姿に焦慮を感じる。

一秒でも早く、向こうに帰してやらないと。

だが、二人がそれを嫌がる理由はなんだ……?


とにかく、これだけは伝えないと。

なるべく二人を驚かせないように……。

「こっちにいる間に、向こうでは長い時間が過ぎているかも知れないんだ」


「え、そうなの……?」

ライゴが俺の話に顔をあげる。

シェルカもつられるように俺を見上げた。


「ああ。だから二人とも、帰りたいと強く願ってごらん。ザルイルさんの待つ、あの家を思い浮かべて……」


「ヨーヘーは?」

ライゴの言葉は、やけにはっきり聞こえた。


「俺は……」

後から行くから……と言いかけて、ようやく気づく。

……そうか。俺では向こうに行くことはできないのか。

自分とつながりのある元の世界に帰ることはできても、俺にとって向こうは異世界だ。


「っ、まさか……」

気づいてしまったそれに、俺は息を呑む。


まさか、ライゴやシェルカが半日もの間、元の世界に帰らず、あの花壇で俺を待ち続けていたのは……。


シェルカの不安そうな声がする。

「もしかして、シェルカたちが帰ったら……。シェルカたち“だけ”が帰ったら……。ヨーヘーとは、もう会えなくなっちゃうの?」

気づいてなかったらしいシェルカに、ライゴは頷いた。

「うん。たぶん、そうだと思う」


短い言葉に、ライゴの確信と強い意志を感じる。


二人の毛玉のような小さな体は、よく見ればあちこち毛が抜けて、傷だらけだった。

俺は思わず尋ねていた。


「じゃあ……、ライゴは、俺と離れたくなかったから、怖い目に遭っても帰らずにいたのか……?」


「うん……」

ブルーグレーの小さな頭が頷く。


ドッと大きくはねた心臓の音が、自分の耳元で聞こえた。

「っ……」

息が詰まる。

とっさに目元を押さえるも、こみ上げる熱が、まぶたにじわりと滲む。


「ヨーヘーは?」

ライゴが、静かな声で尋ねる。

「僕たちと一緒に帰る?」


指の隙間からのぞけば、シェルカもライゴの隣で、俺を見上げていた。

俺に縋るような祈りが込められたシェルカの眼差しに対して、ライゴの瞳には諦めの色が濃く混ざっている。


「一緒に帰ろう、ヨーヘーっ」

必死で叫ぶシェルカの隣で、ライゴは言った。

「ヨーヘーはこっちにお仕事があるんだよ……」


「えっ? お兄ちゃん……?」

シェルカがライゴを見る。信じられないという顔で。


「向こうには、シェルカだけ帰ったらいいよ」

「お兄ちゃんっ!? なんでそんな――」

悲鳴のようなシェルカの声を遮るように、ライゴが怒鳴った。

「僕はこっちでヨーヘーと一緒にいるから!」


「……っ」

シェルカが耳を押さえてペタンとその場にへたり込む。


目の前で泣き出す幼い子を、俺は抱き上げてやることもできない。


小さな小さな二人は、ほんの少し力加減を間違うだけで、潰れてしまいそうに見えた。


俺は、飼育ケースをベンチにそっと下ろしながら言った。

「二人とも、少し待ってて」

雑にとめた自転車をベンチの裏側にとめ直して、しっかりダブルロックをかける。

スマホはリュックに放り込んで、リュックの中からエプロンのポケットに入っていたニディアの鱗を取り出して胸ポケットに詰め込む。

それから、リュックサックを背負って飼育ケースを抱き上げた。


「ライゴもシェルカも、俺と一緒に帰ろう。ザルイルさんの待つ、あの家に」

「ヨーヘー!?」「ヨーヘーっ!」

二人の声が重なる。

ライゴの声には驚きと戸惑いが、シェルカの声には喜びがあふれていた。

「話は、向こうに帰ってからゆっくり聞くよ」

「でもっ、ヨーヘーはお仕事が……」

「まだ明日の出勤まで九時間ある。これだけあれば大丈夫だよ」

「でも……」

どうやら、ライゴには抵抗があるようだ。

あの、二つ目が軽視される世界に戻ることに……。


「ライゴ、大丈夫だよ。俺が一緒だから。向こうでザルイルさんも一緒によく考えて、それでもライゴがこっちで過ごしたいって思うなら、俺と、またこっちの世界に来よう」


優しく微笑んだつもりが、細めた目からは堪えていた涙が一粒、零れた。


「ヨーヘーっ!?」

「泣かないで、ヨーヘーっ」

二人は、大慌てで小さな両手を俺へと伸ばす。


二人だって、泣いてるくせに。

ライゴもシェルカも、傷だらけのままの泣き顔で、俺を心配してくれるのか……。


俺は、涙をそのままに、笑って言った。

「一緒に帰ろう、ザルイルさんのところへ」


「うんっ」と答えるシェルカ。ライゴの答えはない。


「二人をぎゅっと抱き締めたいんだ。怪我の様子も見たいし……。頼むよ、ライゴ」

俺の頼みにライゴがブルーグレーの瞳を揺らす。

「でも……、もしヨーヘーが……一人でいるときに、帰っちゃったら……」


うっ。それは……その通りだよな……。


「わかった。向こうについたら、ずっとライゴと一緒にいるよ」

この言葉に慌てて飛びついたのはシェルカだった。

「シェルカも! シェルカもずっと、お兄ちゃんとヨーヘーと一緒にいるもんっ」

「ああ、三人一緒にいような」

俺の言葉にシェルカが「うんっ」と嬉しそうに微笑む。

「な、ライゴ。一緒に帰ろう」

俺の切実な懇願に、ライゴが渋々ながらも頭を縦に振る。

「……わかった。帰る……」


わあっと喜びの声をあげて「お兄ちゃんっ」とシェルカがライゴに飛びつく。

そんなにシェルカに、ライゴは思わず持ち上げた手を、しばし迷わせてから、ゆっくり下ろした。


どうやら、こちらでのゴタゴタでシェルカからライゴへの遠慮は消えたようだが、ライゴからシェルカに対してはまだ距離が残っているようだ。


「二人とも、俺の手に乗って」

俺は二人が出た飼育ケースを自転車の前かごに入れる。

どうか、俺が戻ってくるまで誰にも取られないでくれよ。

これは園の備品だからな……。


俺は二人をそっと両手で包む。

確か、俺がこっちに戻った時は、ライゴが俺の腰にしがみついてたんだよな。

体が触れていればいい……?

いや、離れないようにぎゅっと掴まっている必要があるのか……?

悩む俺の手の中で、二人がそれぞれ、小指と中指の先にぎゅっと捕まったらしい感触がした。

指の隙間からのぞくと、シェルカはもう片方の手でライゴの尻尾の先をしっかり握っている。

「シェルカ……」

ライゴが困ったような顔でシェルカを見る。

シェルカは、珍しく怒ったような口調で返した。

「お兄ちゃんが嫌だって言っても、シェルカは絶対お兄ちゃんと離れないからっ」


ライゴがブルーグレーの瞳をまん丸くする。


なんだお前、まさか自分がどれだけ妹に好かれてるのか、知らなかったのか?

シェルカはお前が思ってる以上に、お兄ちゃん大好きっ子だぞ。


「さあ、帰ろうか」

俺の言葉に、二人の声が「「うん」」とハモった。

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