8話 命の時間と目に映る差異(2/6)
家政婦さんは、ドロッとした見た目と豪快そうな性格とは裏腹に、隅々まで掃除の出来る人だった。
「うわぁ……お部屋ピカピカ……」
瞳を輝かせたライゴの言葉に、シェルカも同じ顔でコクコク頷いている。
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ、おばちゃん明日から毎日来るからね」
スライムママ……タルールさんが、ライゴとシェルカの頭をデロンデロンした手(?)で撫でる。
二人はちょっとだけ驚いた顔をしたが、不快な感触ではないようで、大人しく撫でられている。
「お夕飯も作っておいたからねぇ、皆で食べておくれよ」
「ありがとうございます。ケトくんは今日一日皆と楽しく過ごせてましたよ」
俺は、ケトの今日の様子を書いたメモを出しつつ、ケトを振り返る。
ケトは少し恥ずかしそうにしながらも、スライム用の割烹着らしきものを脱ぐタルールさんのそばに寄り添った。
タルールさんにケトの今日の様子やこの先の保育方針について簡単に確認している間に、子ども達はわいわいと食卓に着く。
「ねぇ。ヨーへー、もう食べようよー」
「シェルカ、お腹すいちゃった……」
食卓に並んだ料理は俺の見たことのない物ばかりで、どんな味なのか想像もつかない。
けれど、出汁の効いた和食のような匂いは、これらの料理がきっと美味しいのだろうと俺に思わせた。
「お料理上手なんですね」
「あら、嬉しいねぇ。あたし達の分まで一緒に作っていいなんて言ってもらえて助かっちゃったよ。ザルイルさんはいい人だねぇ」
タルールさんは、自宅へ持ち帰るらしい二人分の料理を包んだ物をひょいと掲げて言う。
「そうですね……」
料理はしっかり四人分作ってある。俺が子ども達の世話をしてる間に、ザルイルがそう言ったのだろう。
……俺の分はこんなに無くてもいいんだけどな。と、かさみそうな食費を申し訳なく思いつつ時計を見上げる。午後から仕事に行った家主は、帰宅が遅くなるだろう旨を告げていた。
***
「父さんおかえりなさいっ」
「お父さん、おかえりなさい……」
元気に尻尾を振るライゴも可愛いが、眠いのにぱたんぱたんと揺れるシェルカの尻尾も可愛いな。
「ああ、ただいま。お前達はまだ寝なくていいのかい?」
「もう寝るー」
「……シェルカ、寝てたとこなの……」
「おや、起こしてしまったのかな、悪かったね」
子ども達に出迎えられて、巣に降り立ったザルイルが食卓をチラと見てから俺を見た。
「ヨウヘイ……、食べずに待っていてくれたのかい……?」
俺は、おかえりなさいと挨拶をしてから答える。
「子ども達と一緒に味見はしましたよ。温め直しますね」
俺の言葉にザルイルは「それは私でもできるよ、先に子ども達を寝かせようか」と答えた。
小さな灯りがひとつきり灯された薄暗い寝室。
しんと静まり返った部屋の中、すうすうと寝息を立て始めるライゴ。
それを見つめる俺の頭の中では、ケトの呟きがぐるぐると回っていた。
『母さんは、新しい父さんを探してあげるって言ってくれたけど……。でも、ぼくは、あの父さんが好きだったんだ……』
新しい父さん。か。
俺の母親はどうだったんだろう。父さんと別れてから……。
もしかしたら別の人と結婚して、俺の知らない俺の兄弟がいたりするんだろうか。
父は母とは全く連絡をとっていないらしく、別れた後の母のことは何一つ聞いた事がなかった。
ああ、そうだ。ザルイルさんが食卓で待ってるよな。行かなきゃ……。
ザルイルはやはり、温めた料理の前に座ったまま、俺が来るのを待っていた。
「食べようか」
と笑ったザルイルが、俺の顔をじっと見つめる。
「……何か、あったかい?」
なんでもない顔をしてたつもりなんだが。
この人はそういう意味でも目が良いのかも知れないな。
俺は仕方なく苦笑して、今日のケトの話をした。
「離婚でしょうか……」
タルールさんから受け取ったシートには父親の名前が書かれていたが、その上に二重線が引いてあった。
「いや、おそらく死別だろうね」
俺の問いに、ザルイルがさらりと答える。
「死別……?」
「あの種族は男性の寿命が女性よりずっと短いんだ。確か五分の一ほどだったと思うよ。だから女性は生涯で何度も結婚する人も多い」
なるほど……。そんな可能性は考えてもいなかったな。
確かに人間だって女性の方が男性より長生きだし、人と全然違う異形の事だ、性別で寿命がまるで違うことだってあるだろう。
しかし五分の一ってことは、女性が百年まで生きるとしても男は二十歳で死ぬ感じか……?
そんなの男子はいつ結婚するんだよ。十で結婚したって十年もすれば死ぬんだろ?
ケトは五歳って書いてあったが……。
「ズライムの女性は二百回りほど生きるはずだから、あの子もまだまだ死にはしないよ」
俺の懸念に気付いてか、ザルイルが俺を励ますように温かく告げた。
ザルイルの言う一回りは俺の知る一年と二ヶ月弱くらいだから、まあ男子も四十年以上は生きるってことか……。
「ズライム達も晩婚化が進んでいるからだろうね。こんな風に子が小さいうちに父親が亡くなってしまう点は、最近問題視されているようだよ」
「そうなんですか……」
……こんな異界にも来てるのか、晩婚化の波が。
まあ、俺だって彼女の一人もないままこの歳だからな、人のことは言えないが。
できれば三十歳頃には結婚を考えるような相手がいるといいなと思ってはいる。
つか、ザルイル達の寿命はどのくらいなんだ……?
どのくらいが結婚適齢期と言われる頃なんだろうか。
リリアさん達との会話を聞く限り、ザルイルもそこそこの歳かと思うんだが。
チラと見上げれば、ザルイルとバッチリ目が合ってしまった。
「何だい?」
ザルイルは琥珀色の瞳を細めて、俺に柔らかく微笑む。
「ザルイルさんは……」
想う相手はいないんだろうか、なんて、そんなの俺が聞くような事じゃないよな。
「どのくらい生きる種族なんですか?」
尋ねれば、ザルイルは小さく笑って答えた。
「私もライゴもシェルカも、君が生きている間に死ぬ事はないよ」
***
魂とか命ってのは、結局何なんだろうな。
俺の魂が今ここにあるんなら、元の世界にいた俺は、あの場所にはもういないってことになるのか?
でもなんか、そういうのとはちょっと違うような気がするんだよな。
ただ長い夢を見ているような、そんな感覚がいつまでも抜けなくて。
そんな中で、俺はそれでも毎日の生活の心配をしたり子ども達の事を心配しながら、こんな事をしてる……。
机に広げた真っ白な紙がなんだか眩しくて、俺は目を閉じる。
ザーザーじゃぶじゃぶと水音が聞こえてくるのは、ザルイルが風呂に入っているからだ。
普段、もふもふな住人達の毛があちこち絡まりがちだった風呂も、今日はタルールさんのおかげでピカピカになっていた。
俺は居候させてもらってる身なのに、掃除もしなくてよくなったし、美味しい夕食まで食べさせてもらえている。
最初こそ虫扱いだったが、今では元の世界よりも快適な生活に、俺はすっかり馴染んでしまっていた。
園の皆は、今頃どうしているだろう……。
もし俺が本当に消えているのなら、園にも子ども達にも保護者にも、相当な迷惑をかけてしまっているはずだ。
父は、俺を探し回っていないだろうか。
警察にも届けが出されているのかも知れない。
俺が強く願えば戻れるなら、今すぐ戻るべきなんじゃないか。
そう焦る自分がいる一方で、ライゴ達にもう二度と会えなくなるなら、まだ教えてやらなきゃいけない事がこんなにあるのに……と焦る自分もいる。
どちらもが、まぎれもない本心だ。
なのに、残された時間が分からない。
どうにもならない焦りが、静かに俺の胸を絞る。
……いつまでもこのままというわけには……いかないだろうな。
どこかで……、一旦区切りをつけて、戻れるかどうか試す必要がある。
ただ、戻れたとしても、浦島太郎のような目に遭うのは勘弁してほしいところで……。
「……ヨウヘイ?」
ザルイルの声に、俺はハッと目を開けた。
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