恋心

好きと結婚

 村山湊には、結婚すると決めた彼女がいた。彼女の名前は、南琴音。南は美人ではなかったが、独特な雰囲気を纏っていた。頭もそこまで良くはなかったがゲームが得意だった。湊はどこにでもいる平凡な男で強いて言えば、初対面の人と仲良くなるのが上手かった。湊と南が出会ったのは小学二年生の頃。南が転校してきて、湊はたまたまそのクラスにいた。特別仲が良かった記憶はないが、隣の席になることが多く、じゃれ合ったり放課後遊んだりしていた。小学校卒業の時にも、湊と南は隣の席でその日も二人でじゃれ合っていたらいつの間にか卒業していた。

 中学生になるとお互い思春期になり、話すことも遊ぶこともなくなった。中学卒業後、湊は地元の高校に行き、南は隣町の高校に通っていたらしい。お互いにいつしか記憶から薄れ、そんなやつもいたなくらいの思い出になっていた。

 湊は他県の大学に入学し、地元との関係を一切断ち切った。湊は元々両親とも上手くいっておらず、家庭内異端児として親戚からもあまり良い風に思われていなかった。湊は大学から一駅先のアパートで一人暮らしをしながら恋愛とアルバイトに大忙しだった。

 湊は入学した春から大学四年生の春までに四人の恋人がいた。大学に入学して、すぐにできた彼女は恋心を拗らせ、無理難題を押し付けてきては発狂するような女の子だった。湊は女の子に首を絞められたのをきっかけに別れてしまった。女の子は大学を中退し今頃夜職で頑張っているらしい。二人目の彼女はやや束縛気味だったが一人目よりマシかと思い付き合っていた。しかし、湊がバイト先で仲良くなった女の子と話しているところを見られてしまい、その日の夜ご飯は彼女の手首から流れた涙入りのカレーライスだった。それがきっかけで別れてしまった。彼女は大学卒業後、どっかの飲食店でオーナーをしているらしい。世も末だ。三人目の彼女は遊び人だった。酔っている時にしか連絡は来ないし、酔っている時にしか会わなかった。湊は今までの彼女が一緒にいて疲れるタイプだったため、むしろそれくらいが心地良いとさえ思っていた。しかし彼女から、あなたから連絡が来ないということは浮気をしていると言われフラれてしまった。彼女は大学卒業後、東京に出てイケメンと付き合っているらしい。四人目は、湊がもう恋愛に懲り懲りしていることを知って告白してきた大学の先輩だった。私はそんな思いをさせないとか好きじゃなくても良いとか御託を並べる人だった。あまりにもしつこく、告白を受け入れた。しかし、先輩は日に日に別人となり、湊が嫌っていた束縛をするようになった。別れ話を切り出すにも会うと、ろくなことにならないのはこれまでの経験上理解していた。申し訳ない気持ちより別れたい気持ちが勝り、携帯越しに別れを告げた。彼女は今頃、パチンコと酒と煙草に溺れているらしい。

 そうして湊は大学生活ラスト一年をひとりで満喫することを誓った。恋人がいない生活というのはどこか孤独でどこか開放的で悪くはなかった。大学四年生になるまで、彼女が途切れたのはわずか数日で常に誰かが横で文句を垂れている生活に慣れてしまっていた。いざひとりになると寂しい気持ちになることもあった。そういう日には、手の込んだ料理を作ってみたり、大量の餃子を手作りしてみたりした。

 大学四年生の七月、南琴音から連絡が来た。たった一言、会わない?と。今思えば、湊の初恋の相手が南だった。今更、話すことなど何もないし、ほぼ知らない人だ。湊は少し悩んだが、わざわざ小学校以来話していない自分を誘うということは、恋人がいないか寂しいかのどちらかだった。それはそれで面白いかと南と会う約束をした。案外すぐに予定は決まり、約束の日まで毎日くだらないやり取りをした。

 約束の日、南は湊の通う大学から五つ県を跨いだ学校に通っているそうで、湊が南に会いに行った。湊は人混みの中でおよそ九年ぶりに会う南を見つけることができなかった。とりあえず自分がいる場所を伝え、声をかけてくれる女の子を待った。

「久しぶり。村山。」

少し大人になった南は、相変わらず美人ではなかったが、スタイルが良くお洒落だった。

「南か。人が多すぎて見つけられなかった。久しぶり。」

南は、行こっかと湊の手を引き、行きつけの居酒屋を紹介してくれた。

「とりあえず、生で。」

そう言う南に、小学生の思い出を重ねて遠い人間になってしまったようで少し寂しい気持ちになった。二人でお酒を飲みながら、小学校時代の思い出を語り合った。二軒目の居酒屋では、今何をしているのかや将来について話した。

「村山、今日近くのホテルとか予約してる?」

「いいや、終電に間に合えば帰るし間に合わなかったら漫画喫茶にでも行く予定。」

「じゃあ、私の家泊めてあげるからもう一軒行こう。」

湊は男を家に泊めることに抵抗がない南を少し軽蔑したが、お金が浮くならと承諾した。

三軒目の居酒屋では、お互い軽いつまみとハイボール二杯で趣味について語り合った。南は音楽をよく聴くらしく、音楽好きの湊と気が合った。話が弾んでしまい、いつの間にかラストオーダーが過ぎていた。店を出ると、夏本番なのに少し夜風が涼しくアルコールで火照った体に心地よかった。

 南の家は、居酒屋から徒歩数十分でその間も音楽を聴きながら二人で大盛り上がりした。南の部屋につくと、狭い玄関を抜けた先に殺風景な六畳のワンルームが広がっていた。部屋の隅にやたら存在感を放つゲーミングデスクがあった。

「これ、すごいね。ゲームするんだ。」

ゲーミングPCを興味津々に見る湊に、南は照れくさそうに言った。

「うん。ゲーム、好きなの。ゲームしている時だけ、勉強とかバイトとか忘れられるから。」

南は先に風呂に入ると、湊を風呂に入るように急かした。シングルベッドに横たわる南に、何か布団か毛布はあるかと聞いたが一緒に寝れば良いと言われた。狭いシングルベッドに成人の大人二人は少し窮屈で、どうしても腕と腕が重なり合う形になってしまった。

「ねぇ。なんで村山は今日来てくれたの?」

「面白そうだったから。」

「小学校卒業以来話していないのに?」

「話してなかったからこそかもな。」

「ねぇ。村山。私と付き合ってくれない?」

「は?いや、え?なんで?」

「なんでって。好きになっちゃったから。」

「一夜限りなら、告白とかしなくても。」

「そういうのじゃないの。好きだから。」

湊は困った。ひとりを謳歌したい気持ちといつもの告白を断れない性格が葛藤した。湊は自分に自信がなかった。こんなやつを好きになってくれる人は貴重だと毎回告白されて付き合っては痛い目をみてきた。

「ちょっと考えさせて。」

 次の日、湊は起きて目を疑った。帰りの新幹線を調べようにも時間が出てこない。ネットでは、この夏最大級の台風直撃との報道があった。

「電車が動き出すまで泊まっていいよ。」

南がそう言ってくれたので、行く宛もなく、電車が動くまで泊まることにした。外は土砂降り豪雨で強風のため、特にすることもなく2人で映画を見た。

 湊は申し訳ない気持ちと告白を一旦保留にしている気まづさに押し潰されそうになった。南は事あるごとに好きだと伝えてくるため、返事を急かされているようだった。

「久しぶりに村山に会ったとき、イケメンすぎてびっくりしちゃった。しかも趣味も会うし話も面白いって、好きになっちゃうでしょ。」

「そんなことないよ。俺も趣味がここまで合う女の子には出会ったことはないな。南、昨日の返事だけど、付き合おうか。」

湊は押しに負け、つい告白を受け入れてしまった。南は嬉しそうに湊に抱きついた。

 その日の夜、湊と南は抱き合って寝た。湊は久しぶりの女の子の感覚に理性がとびそうになったがぐっと耐えた。南にキスをすると、どこがぎこちない返しがきて湊は不安になった。

「南、もしかしてはじめて?」

「うん。だから優しくして。」

湊は一回だけキスをして、おやすみと言った。

別にはじめてが嫌だった訳ではない。ただ、はじめてなら焦りたくなかった。本心は軽い男だと思われたくなかった。

「村山、いいよ。して。」

「南、駄目だ。焦っちゃ。ゆっくりでいい。」

南は残念そうに、そっかと呟いて湊に背を向けて寝てた。

 次の日の朝、湊はすぐさま天候を調べ、まだ交通機関がすべて停止していることを確認するとため息をついた。一刻も早く家に帰らなければ、いつか南を抱いてしまいそうで怖かった。南が嫌がってくれればいいが、彼女もいい大人だ。そういうことに興味がない訳がない。南は一日中湊にくっつき、暇さえあればあどけないキスをした。その夜、遂に湊は南を抱いた。細い腰に手を伸ばし、じっくりと丁寧に柔らかくした。暗くて顔はよく見えなかったが、漏れる吐息に嘘はなかった。

「村山、慣れててちょっとやだ。」

「無茶言うなよ。嫌ならやめる。」

「やめないでいい。」

南は細い腕で必死に湊の首にしがみつき、慣れない快感を全身で受け止めていた。

「琴音、気持ちいいよ。」

南が愛おしそうに形を覚えようとしている感覚に湊は快感に包まれた。南ははじめて味わう快感を気に入ったようで何度も求めてきたが、湊はあまり乗り気ではなく断った。

 次の日、やっと台風が去り、湊は自分の家に帰った。南はその間も一緒にいたいとかもう一日だけとお願いしてきたが、湊にもバイトと学校があるため仕方なく了承してくれた。家についてからも、携帯は鳴り止まず、南は相当好いてくれているようだった。そうして、湊と南の遠距離恋愛がはじまった。

 月に一回会える程度、完全に縛られず、自分のタイミングで会える、湊はそれが心地よかった。一方南は浮気を心配しているようだったが、湊からしてみれば証拠もなければお互いどうしているかはわからない、疑うだけ心の浪費だ。お互いに月一回会えるのを楽しみにし、湊もいつの間にか琴音を大好きになっていた。会う度に結婚したいと言ってくれる南は可愛らしく、いずれねと湊も応えた。会える日を待ち遠しくしている自分がいることに少しむず痒い気持ちになった。

 琴音と付き合いはじめて半年が経とうとしていた一月のある日、深夜二時に湊の家のインターフォンがなった。何かと思い出てみると、グズグズに泣いた跡がある三番目の元カノだった。

「なに?こんな時間に。」

「話、聞いてほしい。」

「寒いからとりあえず中入りなよ。」

三番目の元カノは、湊と付き合う前に交際していた元彼と湊と別れた後に復縁し、フラれたらしかった。

「やっぱり湊がいい。」

三番目の元カノは、湊自身も人生で一番好きな女の子だった。顔も体も服も好みで、大学でも美人でお洒落と人気だった。三番目の元カノはお風呂上がりの石鹸の匂いがして、抱かれに来たのだとすぐに悟った。湊はバレなければいいかと軽い気持ちで、元カノを抱いてしまった。次の日、元カノは満足そうにまたねと帰っていった。その次の日の夜、湊の携帯に何度も電話がかかってきた。湊は琴音に浮気がバレたのかと焦って飛び起き、携帯を見た。すると、二番目の元カノからの電話だった。

「悩み聞いてほしい。」

二番目の元カノは、湊の家に来るなり、ベランダで煙草を吸った。一月の夜11時はさすがに冷え込む。湊も震える手で煙草を貰い、火をつけた。浮気したという悩みだった。タイムリーだなと思いつつ、湊は真剣に話を聞いた。

「バレなかったら浮気じゃないんじゃない。」

湊は自分の行為を正当化するようにそう言った。元カノは湊のそういうところが良くも悪くも嫌だったと言った。月明かりに照された元カノの耳に光るピヤスを湊は申し訳なさそうに撫でた。この穴は、元カノの自傷行為のひとつだった。あなたのもとのいう印が欲しいと、仕方なく湊が二つ穴を開けた。湊は元カノの耳を触りながら、前みたいにキスをした。部屋に戻り、元カノは慣れた手つきで湊を快楽へ誘った。結局、どうしようもないクズなのだ。

 大学卒業まで、湊は琴音と愛し合いながら元カノと寂しさを埋め合った。大学卒業後、湊は実家からほど遠い他県への就職を決めた。琴音に卒業後はどうするのか聞かなかったが、湊は何も考えずふと提案してしまった。

「琴音、俺と一緒に来る?」

「え、うん。わかった。」

琴音が笑顔だったからこそ、その時湊は冗談になったと思い込んでいた。

 大学卒業後、湊は他県へ引っ越し、琴音と同棲をはじめることになった。最初の頃は、家具選びや部屋のレイアウトについて相談し合い、仲良く暮らしていた。半年が過ぎた頃、湊は琴音に興奮しなくなっていた。湊の理性が琴音を家族認定したのか、それとも湊が使い物にならなくなったのか。琴音がそれに対し、不満を抱いていることは聞くまでもなかった。

 湊は会社の飲み会に行き、成り行きで同期の女の子の家に泊めて貰うことになった。琴音には会社の飲み会で終電がないから同期の家に泊まると伝えた。女の子の家ということは伏せた。同期の女の子の家は、とても女の子の部屋だった。甘い良い匂いがしてモコモコのパジャマを着ている姿が、いつものスーツ姿と違ってときめいてしまった。女の子も拒む気配もなく、湊を受け入れた。湊はそこで、もう琴音に興奮できないことを自覚した。

 次の日、家に帰ると不満げな琴音がいた。ずっとゲームをして寝ていなかったようだ。琴音がゲームをして寝るのを忘れることはよくある。その度に、明日仕事だから静かにしてと言う湊と喧嘩をする。湊は家に帰って、拗ねている琴音を慰めるのが嫌になっていた。会社の飲み会で終電までに帰ってきても、毎回不機嫌な琴音の機嫌を取るのが面倒だった。知らず知らずのうちに湊は琴音への恋心を忘れていた。

「結婚しようって話もしたのに。私のこと何もわかってくれない。」

「言ってくれないとわからない。飲み会に参加せずに、会社で浮けって言うのかよ。」

「違う。行くのは仕方ないことだよ。だから、私が不機嫌になるのも仕方ないこと。」

「理解できない。」

湊と南の関係は日に日に悪化していった。湊が声をかけても、南は携帯を触っていて聞いておらず、聞き返してくることが増えた。その度、湊はもういいからと言って話すのをやめてしまう。その態度に南は不機嫌になる。湊が休日、家にいてもすることがないからと友人と出かける度に、南は不機嫌になる。南が不機嫌になるからと湊が休日を家で過ごせば、特に話すこともなくお互い携帯を触って一日が終わる。デートに誘っても南は外出が好きではなかった。

 秋の終わり、湊は限界になり南に別れを切り出した。

「琴音、もう無理だ。別れよう。」

「嫌だ。結婚しようって話したじゃん。」

「無理だよ。俺と結婚はできない。」

南は泣きながら何度も嫌だと湊に泣きついた。湊も南との思い出や一緒につくったこの部屋とさよならすることに寂しさがあった。

「琴音とは結婚すると思っていた。でも、俺達じゃ結婚しても上手くいかない。既に俺は琴音との未来を考えられない。俺の覚悟が足りなかった。」

「あのとき、結婚しようって言ったじゃん。そのつもりでこんな遠いところにもついてきたのに。」

「今の俺達の関係を見ろよ。結婚できると思っているのか。」

「できるよ。私変わるから。」

「そうじゃない。君は変わらなくていい。俺達が合わなかったんだ。」

「私達、あんなに仲良しだったのに。」

泣き崩れる南に罪悪感を抱きつつも、このまま続けたってどうせいつか終わりがくることは目に見えていた。

「俺は、毎回出かける度に不機嫌になる女の子と結婚できない。毎回機嫌を取るのはもううんざりなんだ。」

「もうそれもやめるから。別れないで。」

「感情的になるのはやめよう。俺は今日外に出るから、琴音も一旦落ち着いてこの状況を考えて。」

湊は家を出て、同期の女の子と飲みに行った。

彼女との別れ話が上手く行かないこと、泣かれたら揺らいでしまうこと、何もかも話した。

「私と結婚しようよ。」

同期の女の子がそう言った。本来なら嬉しいのだろうが、湊は世の中の女に幻滅した。きっとこの子も抱かれたいだけ。寂しい夜を埋めてくれる男が欲しいだけ。湊は女の子の家に泊まり、今までにないほど激しく抱いた。眠る女の子を横目にベランダに出て、煙草を吸った。ベランダにはまだ蝉の死骸が隅っこにいた。

 家に帰り、涙の跡でいっぱいの南に湊は触れることもせず淡々と告げた。

「琴音、もう別れよう。」

「嫌だよ。結婚しようって言ったじゃん。」

「大学生の結婚しようと社会人の結婚しようは違うんだよ。俺の覚悟が足りなかった。俺は帰りたいと思える人と結婚したい。この家は、帰りたくない家なんだ。」

「わかった。全部私のせい。ごめん。」

「違う。琴音のせいでも俺のせいでもない。俺達が違っただけ。」


 翌月、湊は会社の近くに引っ越した。琴音がどこに引っ越したのかは知らない。お互いに最後の月は友達のように振る舞って終わろうと決めていた。たまに南からキスをしてくることはあったが、湊はそれ以上何もしなかった。湊の腕の中には同期の女の子が幸せそうに寝ている。


いつか、初恋の女の子との日々を思い出して、きっと後悔する時がくるだろう。

そしていずれ彼女も、俺を思い出してきっと連絡してくるだろう。


湊は南が出ていくときに言った最後の言葉がいつまでも頭から離れなかった。

「絶対に後悔するよ、私。」

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恋心 @sugisirou

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