第51話 交わってきた! 下
「二年の春って去年じゃん……。何したの?」
「う〜ん……。結論から言えば、何もしなかった」
「…………どういうこと?」
何もかもの重苦を背負いながら、狂ったように柳貴音に依存する谷口千秋に対してついに柳貴音の心が決壊した。
ほんの些細な、記憶に留めることすらないような喧嘩で始まったそれは、だんだんと二人が抱えていた不満を吐露させていった。
あれが嫌い、これが悪い。それを辞めろ。
そのどれもこれもが彼女の正しさと、彼の良さから来るもので、同時に互いが互いの手を取り合えない原因だった。依存を認める彼女と、それに嫌気がさして改善を促そうとする彼氏。彼の折衷案という解決策は全て棄却されて、彼女は自身の想いと考えの違いを理解されないことを嘆く。
事態は一向に好転することはなく、柳貴音は鬱陶しげに相手する。そしてついに――――谷口千秋は柳貴音に手を上げた。
「え!? 谷口先生が!?」
「そうみたい。でも一切柳先生からは手を上げなかったらしいよ」
たかが一回。頬に平手打ち。それから谷口千秋はすぐに柳貴音の家から出ていってしまった。だが、それが柳貴音の感情のスイッチを変えるのには十分だった。
そうしてその口論の終わりは一生つくことなく、柳貴音は谷口千秋の連絡先を消した。
その後の谷口千秋のことを柳貴音は知らない。知る由もない。永遠に知らなくていい存在を気に留める必要がない。
自身のできることを否定する彼女に対して、まだ好意などはとっくに薄れていた。
「フル無視かぁ…………ちょっとないなぁ」
「オレも流石にどうかとは思ったよ? だって何度か相手は貴音の家に出向いたらしいし」
「え? それ柳さんどうしたの?」
「ガン無視決め込んだんだってさ。話しても意味のない相手に話す必要なんてない。って」
「うわぁ」
平気な顔をしてまた会おうとしてくる谷口千秋を、柳貴音はことごとく避けた。
それは楢林洸成がいる前でも起きることは何度かあった程。
そしてしばらくして音沙汰がなくなった。
なくなり、それ以降のことは知らない。
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「本当に大したことのない話だったでしょ」
「大したことありまくりでしょ」
なんてことのない日常会話を話し終わったように話を締める眼前の男性に、反射的に半眼を向ける。
これが柳さんの本当のことで、そして思い返したくもない嫌な記憶。
アイスコーヒーを飲みながら、対面に座る楢林さんに向かって大きな溜息を吐く。窓の奥には暑さに苦しんでいる人の往来が見えた。
「柳さんが考えてたこともなんとなく察しがつくし、正直。その元カノ――――谷口さんが柳さんに感じてたこともまぁまぁ分かりはするよ」
「でも結局何もかも解決しないまま空中分解したって事実は、傍から見たら貴音が悪いってことになるかなぁ」
「そうだね」
楢林さんがそう言いながら私を見る。
私が柳さんに肩入れしていないことを逆手に取っているような、そんな品定めするような眼。ちょっとムカつく。
私だって全て谷口さんが悪いとは思ってないし、柳さんだけのせいではないと思っている。その人の前歴が原因だとしても、それを引き合いに出すことで彼女を擁護することには直結しない。
恐らくそれはどちらも互いを傷つけまいとした結果だ。それがそんな結末になるなんて酷い皮肉も良い所。
「今はもう谷口さんは柳さんに会おうとしてないの?」
「多分ね。大学内でも避けてるみたいだし、会ってたらこの前みたいな顔になってないと思うよ」
「それは……確かに」
「まぁ貴音がまた女子を誑かしてるって聞いたら何かと黙っちゃいなさそうなイメージだけど」
「え、それってヒス的な……?」
「さぁ、違うと思うけど。でも考えてみなよ。いきなり何も告げられずにフラれたみたいな状況になってたのに、ソイツが別の異性と仲良さげに話してるの」
「うわぁ……私だったら見つけたら殴るかも」
「でしょ」
そう考えると……いけない。柳さんにヘイトが。
頭を振ってどうにか中立的な立場を守ろうと考えを改めていると、楢林さんは私を見て微笑む。
「早野さんって思ったよりも単純だよね」
「は??」
「待ってキレないで怖い」
「いきなり人のこと単純って言う人はどうかと思うけど」
「だって貴音のこと聞いても中立どころか味方しようとしてるところとか、あとオレの話にホイホイついてくるところとか」
「私は別に味方しようとかそういうのは思ってないし、それに私を呼んだのは楢林さんでしょ?」
「それはそうなんだけど」
楢林さんは私の怒り顔を見てなだめすかす。そしてそのまま口をつけずにいた小さなケーキを私に渡してきた。
大人しくそれを受け取って口に入れながら、そのまま続ける。
「正直オレの口から言うのもどうかって思いはしたんだけどね」
「あんな内容。柳さんの口から無理やり吐かせるなんて酷いことできませんよ」
「オレがいなかったら吐かせようとしてた人がそれ言う?」
「あんな内容だって知らなかったんだから仕方がないじゃないですか」
良くも悪くもこの人の口から聞けてよかった。
だからといってこれから私が由衣に対して告げ口をするだとか、何か柳さんに対して行動を起こすとかはない。
知るだけ。それだけで十分だと思ってるから何もない。
強いて悪い所を挙げるとしたら……この人に借りを作ったことくらいだろう。体のいい口実で私を呼び出してカフェで密会なんて、手玉にされているみたいで癪だ。
「はぁ…………自分が憎い」
「? 何で急に自己嫌悪?」
「知らなくていいです。特に貴方は」
そうしてその日の会計は楢林さんが払い、私は彼と別れた。
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