第4話への応援コメント
戦闘描写企画主催者として一読に参りました。
私は三国志には詳しくないのですが、
戦術の交わり、瞬間瞬間がゆっくりと流れるような緻密な描写。
そしてなにもかもを吹き飛ばす呂布奉先の圧倒的強さ。
それに立ち向かわんと弓引く決死相。
「孫伯符はここだ」と叫ぶその意志に胸打たれるようでした。
良いものを見せていただいたと感じました。
作者からの返信
読んで下さってありがとうございます。
三国志で話は書いていますが、例え三国志に全く詳しくない方が読んでも、読めるし、話が分かるし、面白いと思える話を心がけていたので、三国志詳しくなくても読んでいただけて本当に嬉しいです!
戦闘描写大好きです。
素敵な自主企画催して下さってありがとうございました!
第4話への応援コメント
一気に時が飛んで、やんちゃ坊主だった孫策もすっかり立派な若武者ですね。しかし、さすがに、三國志最強の怪物が相手ではどうにもなりませんでしたか。
白熱の戦闘シーン、お見事でした。
そして、孫策を信じ、ひたすら待ちつづけようとする周瑜。ふたりの再会が楽しみです。
さて、周瑜がなぜ、孫策の挙兵に応じて合流できたか、ですが、これはやはり、中国全土に張り巡らされた人的な情報ネットワークが存在していた、と見るのが妥当でしょうね。
情報のやりとりもままならないこの時代。だからこそ、現代とは比べものにならないほどに情報の価値が高い。
有力者であれば少しでも早く情報を得るべく躍起になっていたでしょうし、実際、知識人たちは綿密なネットワークを作りあげて人材の情報を集めていたそうですから。
この時代にも流浪の商人とか、各地を巡って話を聞かせる講談師などはいたわけですし、そういう人間たちが集まってネットワークを作りあげ、情報を商っていたと考えるのは自然、というより、いなければおかしいでしょう。
有力者であれば、人を集めることで独自のネットワークを作ろうともしていたでしょうし。
孫策と周瑜もそのようなネットワークを使って、日頃から情報をやり取りしていたものと思われます。まさに『この時代なりの』インターネットを活用していたわけです。
そこで、孫策は事前にこのネットワークを使って周瑜にメッセージを送っていたのでしょう。
「この時、この場所で挙兵する。力を貸してくれ」と。
だからこその『願いが叶った』との言葉だったのだと思われます。
さて、長くなりましたので、これで失礼させていただきます。虞翻の件に関しましてはまた後日。
作者からの返信
藍条さん、コメントありがとうございます!
いや私も理屈では分かっているんですよ。情報網。
例えば【呉の大都督周瑜】がそういう情報網を持っていたとしたら全然分かります。
ただ、当時の孫策は多分袁術にほぼ監視されてて、父の代の重鎮とかからも引き離されていたと言います。孫策の独立や反逆を袁術が非常に警戒していたための飼い殺しで、私には孫策がこまめに誰かと連絡取れたとは思えないんですよね、袁術時代。
まだ、周瑜の方が可能性はあります。袁術のところにいても本気では務めてなかったようですし。うちの孫策と周瑜は、少年時代に会ったきりでそのあとほぼ連絡も取れないままになって合流しています。
史実の印象がそんな感じの気がするんですよ。
ただ、そうなると周瑜が凄すぎなんですよね。袁術に気づかれず、孫策の為に情報網までこの時期構築していて、連絡も取っているということになると当時十代で凄まじすぎると思います。
しかし、周瑜も孫堅に憧れていて、孫策を義兄弟だと幼い頃から思っていたら、「兄が動けず苦しんでいるなら俺が動こう」と思った可能性はあります。
いつどこに行くからそこで合流、とかはなかなか違う勢力に属していては出来なかった時代だと思いますね。下手すると地形とかすら実際行ってみて、初めて軍師は正確に把握できていた時代ですから。
まあ二人の絆が深かったことだけは確かなんですが、三国志で最も鮮やかな合流芸を演じてみせたのが孫策と周瑜じゃないかなと私は思っています。
ただどうしても袁術の孫策に対する執拗な飼い殺し作戦を見ていると、孫策が周瑜と連絡を密に取れたとは思えないのです。
でも少年時代「俺とお前で、この世で一番さいきょうの軍を作ろうぜ!!🤗」とか絶対孫策言ってそうではあります。
「どう最強なんだ?🤭」「わかんねー! でもとにかくすっげぇ強い軍だ!!✨」とか言ってそう。
とすると周瑜はそんな少年時代の口約束みたいなものを信じ続けて孫策の為に動いていたのだろうか? とか考えるともう~~~~~~~~孫策と周瑜のことを考えず、書かずにはいられなかったのです!!😇
そんな思いがいっぱいうちの三国志には詰まってるので、
読んでいただけて嬉しいです。長くなって申し訳ない!
ありがとうございました!