君と幻想の楽園で 〜悪役な私と、主人公な親友〜

西哲@tie2

第1話 「再会」

第1話 「再会」


 陽光が射し込む廊下の天井は、高く優美なアーチを描き、彫刻のような装飾が静かに光を受けていた。

 反射した光が白い壁をやわらかく撫で、窓辺に並んだ季節の花々からは、甘やかな香りが微かに漂っている。

 整えられた石の床には、さまざまな足音が交錯していた。貴族の子弟たちが、思い思いに廊下を行き交っているのだ。

 中には、友人とふざけて鞄を落とした男子生徒の姿もあり、それを拾いながら笑い合う様子に、近くの生徒たちがちらりと視線を向ける。

 そんな中、こちらに気づいた令嬢たちが足を止め、一歩身を引いて、優雅に会釈を送ってくる。

 控えめでありながら凛とした空気をまとったその振る舞いが、由緒ある学び舎の日常を象徴していた——


 ——その静けさを裂くように、ひときわ高い声が響いた。


「きゃあああっ!」


 その声が自分に向けられたものだと気づく前に、視界が唐突に傾いた。

 重力が一瞬で私を引き寄せる。滑った? 突き飛ばされた? それさえも分からない。


 気づけば、私は廊下の床に尻もちをついていた。

 頭を打ったのか、鈍い痛みが残る。

 普段なら、すぐにでも立ち上がれたはずだ。

 それなのに——身体が、まるで自分のものでないかのように動かなかった。


「なんなの、これは……?」


 記憶が波紋のように広がり、沈んでいた何かが掻き混ぜられる。

 こぽり、こぽりと泡が生まれ、それが弾けるたび、曖昧な映像が脳裏をかすめた。

 ——この記憶は私……? それとも、誰かのもの?


 コトン——何かが、ふと硬質な音を立てて落ちた。

 その瞬間、広がっていた記憶の揺らぎが静かに収束していく。

 ——そして、光が満ちた。





 ぼんやりとした光の中で、ゆっくりと意識が浮上する。

 どうやら、私は冷たい床に座り込んでいるらしい。

 ……少し前のことが思い出せない。

 打ちつけたらしい頭と腰が痛い。

 指先に感じる硬い感触が、やけに現実的リアルだった。


 視界に映る自分の手が——いや、

 これは……私の手じゃない……!

 しなやかな指、淡く透き通る肌。関節のかたちも爪の先も、手の甲のなめらかな曲線も——見慣れたものとはまるで違う。

 視線を腕へと移せば、上質な生地の袖に繊細な金糸の刺繍が施されている。

 手首には上品なレースのカフス。

 さらに、胸元には貴族の紋章—— ローゼンベルク侯爵家のもの。

 これは夢? それとも、何かの間違い?

 けれど、触れた布の感触は確かで、指先を動かせば、細かな刺繍の凹凸がはっきりと伝わる。

 夢にしては、あまりに鮮明すぎる——


「ちょ、ちょっと待って……これ、どういうこと!?」


 突然、考えを遮るように、混乱した声が耳に届く。

 ゆっくりと目を上げると、青い髪の少女が呆然とした表情でこちらを見ていた。


「……リアナ?」


 ふと、唇が動いて、声が出る。

 初対面のはずなのに——なぜか知っている。


「あ、ごめんなさ——え? 私が……リアナ……? 違う、そんなはずない……」


 少女の顔がこわばる。

 次の瞬間、はっとしたようにこちらを見つめ——大きな瞳を見開いた。


「グレース様!? でも、なんで……? こんなことって……」


 その声が無性に胸をざわめかせる。

 身体の痛みが気にならないわけじゃない。

 それなのに、奇妙な既視感が私の頭を埋め尽くす。

 これは一体……?


「グレース様!」

「グレース様、大丈夫ですか!?」

「誰か、治癒ができるもの——」


「あなたたち、静かになさい……私は平気よ」


 一呼吸、そして、身体を起こした途端、視界がかすかに揺れる——身体が馴染んでいない、そんな感覚だった。

 令嬢たちは心配そうに眉をひそめるが、気にしないよう伝えると、しぶしぶ引き下がってくれた。

 これ以上、無様を晒すわけにはいかない。

 そうしようと意識したわけじゃない。

 なのに乱れた髪を押さえ、背筋を正し、優雅な微笑みを浮かべる——自然と身体が動いた。

 まるで自分の意思など必要ないかのように。


 私に侍る令嬢は、ジュリエット、レオノーラ、ガブリエラ、それが彼女たちの名前。

 そして私はグレース・ローゼンベルク。

 記憶に歪みはない。

 だというのに、意識が明瞭になればなるほど、不可思議なが押し寄せる。

 こことは別の風景の出来事が、まるで体験したように思い出せる。

 陽の明るさ、風の匂い、草木の艶やかさ、そして交流のあった人の記憶——


 未だ床に座り込む彼女の瞳を見つめると、息をするのを忘れそうになった。

 そうだ、彼女……リアナ……ウィンスロー。

 まだ正式な挨拶を受けていないというのに、なぜか記憶の奥底にはっきりと存在する。


 私にぶつかった以上、当然、謝罪を求めるべき——

 けれど、彼女の不審でどこか怯えたような仕草——震える指先や、忙しなく動く視線の揺れ——に、胸の奥がわずかに疼いた。

 懐かしい? いや、それだけじゃない——


 ふと、脳裏にもう一つの名前が浮かぶ——


「——……エ、リ……?」


 思考の奥で何かがカチリと嵌まった。

 まさか、そんなはずは——だけど……姿が違う。

 でも、どうしても、そうとしか思えない。


 一瞬、息が詰まる。

 無理に声を出そうとして、喉がひりつく——

 言ってはいけない気がして、でも確かめずにはいられなかった。


「あなた……まさか、?」


 自分の声が震えるのがわかる。

 信じられるはずがないもの。

 少女はその意味に気づいたのか、瞳が大きく揺れ、喉がかすかに動いた。

 小さく息を呑み、唇がわずかに開く。


「えっ……」


 声にならない言葉が、かすかに震える唇から零れる。

 一瞬の静寂のあと——


、なの……?」


 耳に馴染むその言葉は、私の鼓動を早くした。

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