#29 忘れてること、あったよね?
(あぁ~続かねぇ~……もう二週間前だってのに……)
卓上に広げられた数学のワークを前に、欲望に負けた霧也は椅子を緩やかに倒してスマホをいじっていた。もちろんこんなことをしている暇はないことはわかっている。しかし、危機に瀕しているにも関わらず欲望が牙を剥くのは、それほどスマホが魅力的なデバイスだからか、もしくは目の前の課題に一切魅力を感じないからか。
(いや、こんなことしてる場合じゃない。集中しないと……)
そう自分に言い聞かせ、スマホをベッドに投げ捨てて再びシャーペンを握る。そもそもなぜ勉強を嫌う霧也がわざわざ苦手な数学のワークなんかに取り組んでいるのか。それは何を隠そう、二週間後は一学期末考査だからである。
◇
時は、三日前に遡る。七月も中旬を前にして、空に立ち上る雲も存在感を増してきた頃。教室の生徒は迫りくる夏休みに早くも心を躍らせ、その前に立ちはだかる期末考査のことなどさっぱり忘れていた。無論それは霧也、妃貴含んだその他も例外ではなく、その日の昼時も夏休みの話題で持ちきりだった。
「もうすぐかなぁ、夏休み。いやぁ~楽しみだなぁ、高校最初の夏休み!」
「夏休み、ね。ま、どうせ今年もなんもないんだろうなぁ」
「とか言って、一番そういう系のイベントに期待してるくせに」
「うっせ」
「あらら、照れちゃって。渚乃ちゃんは何か予定とかある?」
「うん、私は友達と遊ぶ予定が何個か入ってるよ。遠出したり、バーベキューしたりとか……」
「うわ、めっちゃ充実してる……」
「霧也、これが本物のリア充だよ」
「ふふっ、けどまだ暇な日の方が多いけどね」
他愛のない、希望に満ち満ちた会話。華の高校生を飾る一大イベントに、去年までは中身のない日々を過ごしていた霧也も今年は期待値が大きく上振れていた。だが和気藹々とした微笑ましい時間も、妃貴の一つの問いで崩壊することとなった。
「そっかぁ~。てか、現実的に夏休みっていつ頃なの?」
「七月の末くらいじゃないか?」
「あ、そういえば年間予定表に書いてあったはず……ほら、夏季休業、って……あ……」
「ん、どうしたの?」
突然、声のトーンを急激に静める渚乃。様子を伺うと、とある一転を見て固まったようだった。不思議に思った妃貴は、渚乃の持つ予定表をひょいと取り上げ、渚乃の見ていた七月の行を目でなぞった。刹那、妃貴も「……あ゙」と声を漏らして固まる。
「おいおい、二人してどうしたんだよ」
そこだけ時が止まったかのように体を固める二人を見て、霧也は苦笑しながら妃貴の肩を揺らした。しばらくして小刻みに震えだした妃貴が、畏怖と絶望に染まった目で霧也を見て、口を開いた。
「……ねぇ、霧也。私たち、何か忘れてることあったよね?」
「忘れてること?課題提出とかか?特にないはずだが……なんだ、心理テストか?」
「ううん、違うの。私たちは今、日常を脅かす宿敵の話をしているの」
「しゅ、宿敵?」
「そう、宿敵」と怨嗟の帯びた声で呟くと、霧也の方に年間予定表を向け、先刻まで見ていたらしい箇所を指さした。そこに目をやると、「期末考査」の四字熟語が。ようやくここで霧也も日常に張り付く邪魔者の存在を思い出した。
「嘘……だろ……?」
「嘘、じゃないみたい。私たちの夏はまだ始まりすらしていなかったね」
◇
数式に赤丸をつけたところで、体を伸ばした。時計に目を向けると、時刻は間もなく二十三時半を回るところだった。まだ数学のワークは半分ほどあるが、数時間前に取ったカフェインの効果も切れかけに入り、眠気が体を侵し始める頃、霧也の携帯が振動した。
(通話?妃貴から?)
こんな時間になんだよと煩わしさを感じながらも、電話を取った。
「なんだよ、夜中だぞ」
『ごめんね~?ちょっと勉強集中できなくて』
「勉強?お前が?」
『そう、あたしが。……そんな意外?』
「まぁ正直柄でもないな」
『ひどくね?あたしそんな怠けてないし』
「ははっ、ごめんごめん」
ご立腹な深夜の来客に苦笑する。どうやら霧也と同じく勉強に励んではいるが、集中できずじまいらしい。それで霧也に電話をかけたらしいが、ここで一つ霧也に疑問が湧いた。
「まさかお前……俺以外にも通話かけてたんじゃないだろうな?」
『……えへへ』
「えへへじゃねぇよ。……他に誰にかけた?」
『……渚乃ちゃん』
「……はぁ」
『ちょっとだけ!ちょっとだけだから!』
「わかった、ちょっとだけだぞ」
『やった』と画面越しから聞こえてくる嬉しそうな声に霧也はまた笑みを漏らした。それからはいつもの、何気ない日常の会話が続いた。教科担任の愚痴、近所のおいしいスイーツ、淡い過去の話……そしてもうそろそろ話題も尽きてくるころだろうと思ったところで、『あ、そうそう』と妃貴が何かを思い出した。
『さっき渚乃ちゃんと話してた時にね、また勉強会やりたいね~って話になってね』
「勉強会か……あ、また俺の家とか言うんじゃないんだろうな」
『いや、誰かの家とかはあんま考えてないの』
「ほう、つまりどっか外出しよう、と。ちなみに候補とかはあるのか?」
すると妃貴は考えているのか、黙り込んだ。少しの沈黙が過ぎ、妃貴の口からは候補が挙げられた。
『ファミレスとか?』
「飯食いたいだけだろ」
『カラオケとか』
「勉強どころじゃないだろ」
『否定ばっかりじゃん……』
「もっとまともなの出せよ」
『そんなこと言われてもさぁ~』
考えあぐねる妃貴に、霧也はそこまでして勉強会したいのかと呆れて小さく溜息をついた。とはいえ勉強するきっかけもなければまともに勉強すらしないことは事実なので、これは霧也にとっても貴重な『勉強せざるを得ない機会』であった。
この機を逃したくない霧也は、せっかくなので場所の候補を考えてみることにした。自分の家……という選択肢はなくはないのだが、直近は休日に親族が家にいる予定があり、あまり友人を家には入れたくなかった。
『ねぇ、霧也。なんかデカい別荘とか持ってる友達いないの?』
「んな奴もっといい私立校入ってるっての……」
『そんなこと言わずにさ、ダメ元で誰かに聞いといてくんない?』
「えぇ~……なんか恥ずかしいし……」
『頼むよぉ~霧也ぁ~。勉強会したくないのかよぉ~』
「……わかったわかった。聞いといてやるよ」
『やった。さすが霧也。さすきり、だね』
「んだよそれ」
霧也のツッコミに機嫌よさそうに笑う妃貴。押しに負けて了承したはいいものの、霧也に聞ける相手にこれをなんと説明しようか、寝る直前まで頭を抱えてたのだった。
◇
「なぁ、別荘とか持ってない?」
「「……は?」」
急に真剣な顔でそう問う霧也に、悠と莉樹は「何言ってんだお前」と怪訝な顔を隠そうともせずに向けた。この炎天下にも関わらず屋上で昼食を取ってとうとう頭がやられたかとも思ったが、その眼差しを見てはどう考えても素面だった。
「べ、別荘なんてそんな……齋条も急だな?」
「持ってない、か?」
「当たり前だ!別荘持ってる奴なんてこんな私立校より良いとこ入ってるわ」
「僕もさすがに別荘は……。というか、別荘なんて使って何するんだい?」
何をするかを問われた霧也は、妃貴が勉強会を予定していること、その勉強会のために場所が欲しいことを赤裸々に話した。話を一通り聞いた悠はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど……だから別荘とか急にわけわかんないこと言い出したんだね」
「わけわかんないってなぁ……俺だって初めて聞いたときはわけわかんなかったよ」
「確かに僕に別荘はない。だけど……『僕の家』はすぐに用意できるよ」
「えっ?迷惑じゃないか?」
「迷惑ってのは、僕の親にかい?そのことなら、僕の家には基本親は居ないから心配いらない。加え大勢読んだとしても十分入れられるキャパシティもあるよ」
「実際こいつの家、馬鹿デカいぞ。めっちゃ豪邸みたいだし、めっちゃ金持ち」
「マジで!?」
突如明かされた悠の事実に、霧也は目を丸くする。のらりくらりとしている自由気ままな奴だと思っていた印象が、今はそれらが全てが余裕から生まれているものに見える。
「というわけで、僕の家を場所にするってのはどうだい?実際僕も、莉樹だって人の目がないとまともに勉強しないだろうし」
「お前なぁ……ま、悠もこう言ってるし、いいんじゃないか?」
「ありがとう、悠。すぐ妃貴に話してみるよ」
見るからに嬉しそうな顔でスマホを操作する霧也を見て、莉樹は穏やかな笑みを、悠は面白そうなことが起こりそうだとやはり不敵な笑みを浮かべていた。
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『ラブコメ主人公』になろうとした結果、幼馴染がヒロインになりそう ドコイチ @dorcoid
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