#26 1から『100』を見出すラブコメ主人公

衣替え。季節が夏に入り、しだいに暑さが感じられるようになった頃に施される、制服の移行期間。シャツは半袖になり、スラックスは薄くなり、平均的な肌面積は広くなる。それ故に衣替えを心待ちにしている者は多い。一体何を求めているのか、その根幹は、おそらくほとんどが不純だろう。


当然の如く彩凛高校にもそのような制度は導入されていて、スーパークールビズという半袖のジャージで過ごすことも許可されている。が、ほとんどが存在を忘れた制度だ。


六月末。無事に梅雨を乗り越え、夏の空気の漂う今日は、既に顔を見せた夏の太陽が雨で濡れていたアスファルトを蒸発させ、おまけに陽炎を立たせていた。うだるような陽の下、校則で長袖シャツを強いられた通学路は正に地獄の一路。歩き慣れた通学路でも、霧也は息も絶え絶え歩く羽目になっていた。


(あ、暑い……何でこんな目に……)


額に滲む汗をハンカチで都度拭きながら、一歩また一歩と歩みを進める。隣を歩く妃貴もまた、手で仰いで涼を受けながらその後を追う。その姿はまるで、オアシスを追い求めて砂漠を放浪する放浪者の様であった。


「ねぇ……あとどんくらい……?」


「あともうちょいだ、頑張るぞ妃貴……」


「えぇ~もうやだぁ~!!」


弱音を吐きながらなんとか到達した教室にはクーラーがかかっていて、汗でわずかに濡れた身体が急速に冷えていくのを感じた。クラスメイトは下敷きをうちわ替わりにして仰いだり、シャツをまくるなりして何とか暑さ対策を講じていた。


席に着くなり水筒の水を呷る霧也。いつもよりも命が癒えていく感覚がした。


「あぁもうクソあちぃ……とっとと明日になってくれないかな」


「明日からだもんね~衣替え。もうしばしの我慢だよ」


「もうしばしって……なんで今日に限ってこんな暑くなってんだ」


そう、先日まではこんな暑さではなかったのだ。ちょっと夏がチラ見している程度の、まだ暖かいと呼べる気温だったが、何故か今日に限って記録的な夏日。神様のいたずらか、はたまた。


「半袖が待ち遠しい……」


「そんな楽しみ?衣替え」


「別に楽しみってわけじゃない。この暑さのまま長袖で過ごすってのは死活問題ってだけだ」


「そんなこと言って~正直に言えばいいのに。『半袖の女の子が楽しみです』って」


「馬鹿言え、俺はそんな不埒じゃないわ」


「特にお前のは」と付け足して余裕綽々な顔を見せる霧也。この台詞が後にフラグとなって回収されることを、この男はまだ知らなかった。


迎えた翌日、七月一日。昨日のような暑さが襲う炎天下、霧也は涼を取るために駅の待合室で妃貴と渚乃を待っていた。スマホのロック画面には気温が表示されていて、

今日は三十度。周囲には学生のみならず社会人でも涼しい格好をしている人も大勢見受けられ、季節の移ろいを感じる。


(あ、もうそろそろ)


時間が迫り改札の方に目を向けると、ちょうど二人が通るところだった。妃貴は俺を見るなり手を上げ合図し、渚乃も小さく手を振る。それを見た霧也はいつも通り振り返す……ことはしなかった。いや、できなかったといった方が正しい。理由は言わずもがな、二人の服装であった。


(は?女神)


夏服。シャツは半袖になり、スラックスは薄くなり、平均的な肌面積は広くなる……だけではないことを、霧也は知った。不純ではあるが、肌面積が広くなることは外見的な魅力度に直結するらしく、今の霧也の目には渚乃も、妃貴さえも普段の倍美しく見えていた。


普段見るブレザーからはなかなか見れなかった肌は白く、炎天下でも肌を焼かない努力をしてきたことが見受けられる。魅力度を底上げしているのは肌だけではない。純白なシャツ、深緑よりも暗い緑から明るいグレーになったスカート。夏服を構成するすべてがその要因だった。


「あれ、おーい霧也ー??動けー」


「き、霧也さん?学校遅れちゃうよ?」


妃貴が身体を揺さぶっても起動しない霧也。もうそろそろ頬でもひっぱたいてやろうかと考えたところで、意識を取り戻した。


「あぁ、ごめん。固まってた」


「固まってたって……暑さにでも頭をやられたか~?……あ、それかあたしたちの夏服に悩殺された、とか?」


霧也をからかうようにスカートをひらひらと揺らす。当の霧也は目の前の光景を目に入れない様に……ではなく、顔を見て悟られない様にそっぽを向いてわざとらしく頬を掻いていた。それを見た妃貴は面食らった顔で問う。


「え?図星?」


「……違う、本当に違う」


「じゃあなんでそっぽ向いてるの?」


「うっせ」


「……ふふっ」


遂に何も言い返せなくなった霧也が可笑しくて、渚乃は失笑した。それにつられた妃貴もまた声を上げて笑う。


「あははっ!!霧也それは流石にキモイよ!!そっかぁ~悩殺されちゃったかぁ~」


「霧也さん、分かり易いね」


ドン引きされるかと思ったが、何とか丸く収まったこの場に、霧也は改めて渚乃が女神と評価される理由を思い知らされたのだった。

教室では須くクラスメイトが夏服であり、夏が近づいてきたのをより一層感じる光景であった。妃貴が別グループにつるみに行ったのをきっかけに一人になった霧也は、大きく立ち昇る積乱雲でも眺めていようかと肘をつこうとした、その時だった。珍しく孤立していた莉樹が前の席にドカッと座り、目を白黒させた。困惑する霧也を前に、莉樹は囁いて問う。


「(なぁ、斎条はどのの夏服が一番好み?)」


「(うわ、最低だな)」


先刻に悩殺されたことは忘れたように自分のことを棚に上げて心の内を赤裸々に放った。莉樹はそれを食らうこともなく流して、弁明した。


「(いや、夏服ってそういうイベントじゃん?お前は何をしに夏に学校に来てるんだ)」


「(勉強しに、だ。別に夏服を見に学校に来てるんじゃない)」


「(で、どの娘が一番好みなんだ?)」


「う~ん……」


ツッコミを華麗に流された霧也は、もうこいつには効かないんだと割り切って莉樹に乗ることにした。決して普段から邪な目で吟味しているわけではないが、ラブコメでも衣替えイベントは夏の一大イベントとしてよく描かれているのも知っている。


言われたから仕方なく、と心の中で言い訳をしてクラスメイトの女子に目を向ける。


(う~ん……言われても分からないんだよなぁ~。)


夏服になることで、身体のラインはより露わになる。すると当然元よりスタイルの良かった人はそれが顕著に見た目に現れる。だが正直ラブコメほど浮き彫りになるかと言われればそうではなく、結局は『よくわからない』が正答であり、模範解答だろう。


「よくわからないな、俺には。正直そこのサイズとかそこまで興味ない」


「えぇ~つまんないやつだな……じゃあ分かった。俺の周りの奴らの知見を聞かせてやる」


「いや別に要りませんし」


「まま、遠慮しなくてもいいんだぞ」


「別に遠慮してないし、はぁ……」


もはやツッコむ気力すら萎んでいくようで、今か今かと話したがって目を輝かせる莉樹に、「どうぞ」と手をひらひらして許可を下ろした。


「(山下が言ってたんだけどな?……古柳こやなぎさんはかなり"ある"らしい。暑い日でもジャージだから気付かなかったな)」


「(こ、古柳さん……?)」


名前が出てきた少女、古柳さんの方を見る。あまりアクティブな方ではなく今も一人で本を読んでいる、所謂文学少女である。確かに寒がりなのか、普段からかなり服は厚い気はする。ちなみに話したことはない。ちなみにちなみに山下って男子も霧也は知らない。


「(あと、火比谷もそこそこらしい。これも山下情熱だ)」


火比谷。妃貴とよく話しているということで珍しく顔と名前が一致した。目を向けると、今もギャラリー内で妃貴と話している。「そこそこ」に関しては……どういうわけか、比較対象が近くにいるおかげで莉樹の言う意味が分かった。ついでに山下が頭の中ピンク一色な思春期男子なこともよく解った。


「(で、結局斎条はどの娘なんだ?)」


「(え~、っと……)」


つい矛先が向き、霧也は応えに詰まった。何故ならここで名の挙がったクラスメイトは全て「ある」寄りの者であり、霧也の好みにはからであった。それを公に晒していいのか、一瞬考えた。だが、すぐ答えは出た。


(とにかくその『山下』とかいう頭の可笑しい奴と一緒は御免だっ!!)


満を持して、答えを口にした。


「ごめん、俺、無に『有』を見出して、そこにそそられるタイプなんだ」


「……うわ、ヤバいなお前」


「お前が言うなよ!!」


開いた窓の外の広く淡い夏空に、一人の少年の苦言が響いた。





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