第2話 仏滅日和(ぶつめつびより)

 小学五年生になった冬の夜、家の勝手口から火の手があがり、僕と母親が取り残された。

 仕事から帰ってきた父親が水をかぶり、むせびながら家の中へ助けに来てくれた。


 焼け落ちてきた天井を、父親が自ら盾となって僕たちを守った。

 母親は、毛布に包まれた僕を抱きかかえて燃え盛る炎の中を突き進んだ。


 外に出られた時はもう、僕の意識は途切れていた。



***



 気が付くと白い天井、繋がれた点滴。


 そこは病院だった。


 驚くことに僕は火傷一つ負っていなかったが、そこで医者に聞かされた内容は耳を疑うような事実だった。


「初めまして、君の担当のお医者さんだよ。えー、皇焔すめらぎほむらくん。カッコいい名前だねぇ。えーと……、検査したんだけど君は火傷も怪我もしてなかったんだ。多分お父さんとお母さんが守ってくれたからなんだね」


 そうだ、2人が守ってくれたんだ。

 2人ともこの病院に入院してるんだろうか。


 医師が続けて話す。


「お母さんは……まだ寝たままなんだ。体中に火傷しちゃっててね。そして残念だけどお父さんは……ついさっき、君が目を覚ます少し前に――」


「ちょっと先生!」


「ああ……わかってる! だがその事実を誤魔化すわけにもいかんだろう。それにもう五年生なんだ。それくらい理解わかってもいい歳だろう!」


「それにしてもですよ! 『最近の子は色々と早い』と言ってもこの状況で両親のことを知ったら――ハッ! なんでもないのよ、ボク」


 何かを言い合っているが、言ってることがわからない。


 ……母さんが寝たまま?

 父さんが数分前になんだって……?


 頭が真っ白になってそれから退院の日までのことを覚えていない。




***




 退院の日に婆ちゃんから両親のことを聞かされ僕はようやく理解した。

 ただただ泣いた。

 こんなにもこの世界が、自分の境遇が憎らしいと思ったことはなかった。


 僕は念のために数日間入院させられた後、目を覚ますことが絶望的だと言われた母さんを残して婆ちゃんの家に引き取られた。


 その年明け、母さんは気道熱傷きどうねっしょうによる呼吸不全で息を引き取った。

 この知らせを聞いても、もう涙は出なかった。





***





 中学生に入った年の冬、婆ちゃんの物忘れが酷くなってきた。

 数か月前に道端で転んで頭を打ってから、買ってくる物や財布などを忘れることが多くなった。


 最初はその程度だったんだけど、ここ最近は僕のことも忘れる。

 退院してからの2年ちょっとを一緒に過ごしたから忘れられることが余計に悲しかった。



 それから半年も経つと婆ちゃんは人が変わってしまったように僕を怒鳴るようになっていた。


「あんたは誰だい! この家を乗っ取る気だね? 出ておいき!」


 そう言って大騒ぎするもんだから近所の人からも色々言われて、ついに役所の人たちもやってきた。


「認知機能の低下が酷いようだね。どこかに預け……失礼。面倒をみてもらえる施設を探そう」


 そう言ってくれたけど、両親が他界した自分にとって育ての親である婆ちゃんを見捨てるわけにはいかなかった。

 僕はその申し出を断って、家で面倒を見ることにした。


 掃除、洗濯、買い物、料理、介護、そして学校と……。





***





 中学三年生になったが相変わらずいじめは続いていた。


 昔よりも内容は苛烈を極め、目が合えば肩パン、ケツバット、いじめグループ総勢11名の昼食の買い出し、何故か部活が終わった後のグラウンドを1人で片付けさせられ――。

 ……というのはまだ触りの部分。

 人に言いたくないこともいっぱいさせられた。

 自分でもよく学校に行ってたなと思う。


 まぁギリギリだったのかもしれない。


 「来ないと家に行くからな」とか「いじめ2倍に増やす」とか言われたからというのもあるけど……。


 その時は誰も僕と話そうとしないから自分がどんな表情だったのかもわからない。

 恐らくどん底のような顔だったんだろうな。




***




 そしての大晦日の昼過ぎ。


 僕は不良グループの大将、サエキさんに呼び出しをされた。

 その呼び出しの連絡は皮肉にも、かつての親友だった黒神くろがみ闇示あんじによって伝えられたのだった。


「お前さ、サエちゃんに歯向かったっしょ? 万引き拒否った上に上納金も渡さなかったとか――殺されるよ? 今日だって神社に呼び出しされてるからね?」


「うん ……」


 それが精いっぱいの返事だった。


 今のアンジに昔の面影はなく、平気で僕をこき下ろしている。


「23時半までに来ないとマジで知んないかんね? サエちゃん、キレたら俺も止めらんねーから」


 このサエちゃんと言うのは、兄が暴走族の総長であることを利用し、それをネタに悪いことをやっているらしい。

 その立場を利用しているのか虎の威を借りるというのか、今やアンジは手下のような立ち回りで上手くやっている。


 ……僕にはそういうのちょっと無理だし、一度いじめのターゲットにされたら興味がなくなるか新たなターゲットを見つけるまでは続くだろう。


 それが嫌なら逃げるしかない……か。


 これが高校に行っても続くのか。


 それから先は……。


「おい、聞いてんの?」


「う、うん……」


「お前、さっきから『うん』しか言わないじゃん。とりあえず23時半。来ないとヤバいからな、伝えたからな!」


 そう言って電話は切られてしまった。


 昔は一緒に遊んでいた友達だったはずなのに、今ではこんなに遠くなってしまった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。


 かつて共に時間を過ごした親友は、もういない。

 僕はアンジとどう接すればいいのかわからなくて言葉に詰まり、それをよく指摘された。



 長い溜息の後、婆ちゃんが汚した部屋とトイレを掃除して夕食の買い物に出かけた。





 商店街には人の気配がしない。

 大晦日だからだろうか。

 まるでこの世界に自分1人しかいないような感覚だった。


 1人は慣れっこだった筈なのに今は無性に淋しく感じる。

 今にも泣いてしまいそうな感情を押し殺し、街はずれにある無人のコンビニまで走った。



 結局、外で誰とも出くわすことなく家に戻ってきた。


 家では婆ちゃんが普段と変わらずに色々やっていた。


 夕飯の支度後、すぐに婆ちゃんの食事と内服の介助をする。

 食べた後もワーワー騒いでいる婆ちゃんを余所よそに、入れ歯洗浄やら歯磨きやらを済ませベッドに寝かせた。


 横になればよく休んでくれる。

 それが唯一の救いだった。



 洗い物をした後、神社に行くまでの時間を自分の部屋で過ごす。

 やっと空いた時間だったが、逆に暇になってしまったのでここまでの人生を思い返す。


 …………。


 …………。


 …………。


 ……何も良い事なかったな。


 来年は良い事あるだろうか。


 来年なんか来なければいいのに。


ピピピピピ……



 いつから鳴っていたのだろうか。

 僕は急いでアラームを消した。

 もうそんなに時間が経ってたのか。

 少しボーっとしてただけなのに出発時間になってたなんて…。



 出かける前に婆ちゃんの様子を見る。


 …………。


 良く休んでいるようだ。


「婆ちゃん、ごめん……」


 そう言って部屋を出た。


 この時の「ごめん」は何に対しての謝罪だったのか自分でもわからない。

 ふと漏れた言葉だった。

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