三章

第20話 キャッチコピー回収

 寝ぼけた思考で今の状況を考える。


(重い……それに甘い匂い……?)


 閏は昨夜も埃臭い屋根裏部屋で眠りについたはずだが、鼻孔をくすぐるのは花のような甘い匂いだ。


 目を開けてみる。真っ暗だ。おかしい。瞼は開いているはずなのに天井すら見えない。


 しかし、ごそごそと、閏の体をなぞるように細い指先が肌を撫でる。


「だ、誰だ!?」


「うひゃう!! お、起きたの閏? で、でもまだダメ!」


 この声はユナだ。しかし、何がダメなのか。さらに体の上に重みが増す。どうやらユナが閏の体の上に馬乗りになっているようだ。


「……おい、何しているんだ?」


「待ってよ。ワイシャツだとボタンを外さなきゃいけないでしょ」


 なぜシャツのボタンを外す必要があるのか。というか、なんで暗いのかと思って目元に手を当てたら目隠しをされていた。


 強引に目隠しを外すと目に飛び込んできた光景に驚く。


 ユナは下着姿で閏のシャツに手をかけていた。


「ちょっと待て! 一体なんなんだ! 説明しろ!」


「きゃああああああ!! 見ちゃダメえええ!!」


 勢いよく突き飛ばされて床に後頭部を殴打した。


「いてぇ!! なんだよ!! お前が勝手に脱いでいたんだろ!!」


 しかし、プルプルと震えながら両手で胸を隠すユナは顔も真っ赤で、閏の方がいけなかったのかと思うほど被害者の様子だった。


「閏のえっち!!」


「どちらかというとそれはお前に言いたいんだが、まぁいい。とにかく服を着ろ」


「ダメ!」


「なんでだよ!?」


 意味が分からないと言えば、ユナはシーツをかぶって全身を猫のように丸めながら抗議する。


「閏とえっちするんだもん!!」


「なんでだよ!!??」


 顔だけシーツから飛び出すユナは体が見えていないからか、得意顔で語りだした。


「ユナね、セツナを取り戻す方法を発見したの」


 裸になることが条件だったらセツナを八つ裂きにしてやりたい。


「ユナのお部屋が寂しいんじゃないかって優しいセツナはきっと考えたの。だから、部屋にトラウマがある閏のトラウマを克服させて、セツナにも安心してもらう一石二鳥のアイデア!」


 嫌な予感しかしない。


「……一応聞くが、どんなアイデアだ?」


「童貞を卒業できる部屋! 嬉しいね! これで閏もユナに入りびたりだね!」


「その部屋には絶対に立ち寄らないと断言できる」


「というわけで、ユナがお手伝いしてあげる。閏のお役に立たなくっちゃね♪」


「果てしなくいらん。究極にいらん。というか、その状態でどうお手伝いするんだ?」


 しかし、ユナは鼻をひくひくさせてシーツをかぶったまま閏の胸元に顔を寄せた。


「匂う……」


「そりゃ寝汗の一つくらいかいてるだろ」


「これは……生まれてから一度も女子に触れたことすらない高純度の童貞の匂い!!」


「やかましいわ!!」


 肩を掴んでユナを引きはがすが、無駄に抵抗力の強いユナはジタバタと暴れたために、後ろに尻もちをついてしまう。両足を広げて、シーツもはだけさせて。


「……おい、余計なものを見せるな」


「きゃあああああああああ!! 見ちゃダメえええええ!!」


 絶叫と共に涙目のユナは再びシーツをかぶる。


 しかし、屋根裏部屋の温度が下がるほど、閏は冷ややかな視線をユナに向けた。


「貴様の存在は見栄えが良くなろうと部屋だ。それもインテリアに統一感のないゴミ部屋だ。俺が最も嫌うタイプの芸術性のない、品性の欠片もない、テーマ性すら見えてこない、馬小屋と同じだ!!」


「うう馬ああああああっ!?」


 よろりとユナの体が崩れ落ちる。しかし、閏の機嫌はかなり悪く、畳みかけるように持論は続けられた。


「部屋は単に寝るだけの寝室ではない。いや、寝室であれば就寝に最適な家具の配置と色合いが求められる。貴様のようにただ煌々と明かりを灯していれば輝けるなどと考えている浅はかな考えの奴に美のなんたるかを講釈してやるのも無駄な時間に思えるが、」


 無駄だと言いながらも襟元を正す閏の講釈は止まらなかった。


「冷たい雨をしのげる屋根と四方を取り囲む壁さえあれば部屋だ、などとのたまう原始人は洞窟の中で進化を忘れたゴキブリのように暮らせばいい」


「女子にゴッキー……」


 ユナは顔をひきつらせて閏の気迫に圧されていた。


「部屋とは家具と壁と天井の色合いで構成された一つの芸術だ。美は人間の負の感情を洗い流し、深い思考へと導く。思考することこそが知的生命体に与えられた最大の誉であり、能力であり、自己を証明する確かな術であると言えよう」


 あくまでも閏の持論である。


「貴様は邪神が滅ぼした前時代においてオランダという国で生まれたピエト・モンドリアンという画家を知っているか? 彼が人生の後半で残した抽象画はどれも思考にシンプルでありながら複雑なインスピレーションを与えてくれる」


 閏は床にへたり込むポカンとした表情のユナに携帯端末を見せながら語った。


「モンドリアンの代表作、赤、青、黄のコンポジションだ」


 画面には線と色と四角い形で構成され、文字通り赤と青と黄色しか色見の無い抽象画が映し出されていた。


 邪神が地上を焼き尽くしてしまったため、前時代の芸術作品の多くは炎と戦乱に飲まれ、本物は焼失している。しかし、データは電子ネットワーク上に残されていたため、復元したものや画像などはこうして残っているのだ。

 

「コンポジションとはこの絵の場合、意味は構成となる。線と色と形のみで構成された芸術だ。余計なものをそぎ落とし、シンプルな美を追求したもの」


恍惚とした表情で語る閏の鼻息は荒い。


「だが、シンプルの中にも赤、青、黄色、あるいは白もしくは灰色で表現された空白という多様性がある。しかし、はみ出しや色むらもない黒一色の垂直線と水平線のグリッドがそこへ信念という個人の魂を現していると、そうは思わないか?」


「えっと、は、はい……」


 肯定しなければ閏の放つ威圧感にも似た気迫に飲み込まれそうだとユナは感じ取ったようだ。


 閏は両手を広げて高らかに声を張り上げる。何かを誤魔化すように。


「これぞ芸術だ! 思考へと導くテーマ性だ! 俺は部屋を持つならコーヒーの芳醇な香りを楽しむ自室にこのコンポジションを飾りたい! 家具の色見は赤、青、黄色、黒のみだ!!」 


 部屋にトラウマを抱える男は病気をこじらせて病的にインテリアへのこだわりが強くなった。


「わかったかユナ。部屋のインテリアとは芸術であるべきなんだ」


「ええっと、インテリアへのこだわりはわかったけど、エッチするときは電気消すじゃん?」 


 閏の唾を飛ばす恫喝が屋根裏部屋に響き渡る。


「だぁほっ!! 明かりに照らされていようが暗闇だろうが部屋のインテリアにおっ勃つ男がいるかたわけ!!」


「ひ、ひどいいいいぃいいい! ユナは女の子だもん!!」


「部屋型の喋るインテリアだ。性別などくそくらえだ!」


 完全無欠な拒否の姿勢にユナの頭は垂れ下がった。


『昂りは収まったか?』


『うぐっ、な、なんのことだ! 俺は最初から冷静だ!』


『パンツなど布だろう。人間の思考はよくわからんな』


 冷や汗の流れる額を袖で拭うと、閏は密かにほっと吐息を零した。


「さて、阿呆なことをしていないで教室に行くぞ」


「……はぁあああい。ぐすん」


 しかし、朝食を食べ終わり学園内を歩けば、事態は急展開を迎えた。


『世界の果てへようこそ』という張り紙が校舎の至る所に貼り出されていたのだ。


 意味が分からず、閏が校舎の外に出て魔眼で見ると、まだ網は二重でかかっている。


 しかし、街の至る所でも張り紙は見られ、街を行き交う人々の顔も晴れやかなものだ。


「このアイテムがあればようやく『世界の果て』にたどり着けるのね」

「課外授業ってことは俺たちは参加できないのか?」

「戦闘技術が必要なんだろう」

「誰が見つけても『世界の果て』へ繋がる扉は開くわ」


 そうだ、そうだ、と頷き合いながら、街を行き交う人々は『世界の果て』へ思いを馳せる。


 どういうことだろうか。閏は近くにいた釣竿を持つ男性に声をかけた。


「すみません、あなたは『見ると死ぬ部屋』の噂を知っていますか?」


 しかし、男性は首を傾げた。


「なんだいそれ? 学校で流行ってるのかい?」


「……いえ、ありがとうございます」


 男性は授業をちゃんと受けるんだぞ、と言って去っていく。


 なんだこれは。まるでこの街に最初に訪れたときと同じではないか。


 学園都市全体に張り巡らされた網が健在なことを考えると、『見ると死ぬ部屋』に関する記憶が『世界の果て』に書き換えられたということだろう。


(だが、なんのために……?)


 元の記憶に戻した犯人の意図が掴めないまま、閏は学校に戻っていった。



☆☆☆

きっと最初に目にした方は意味不明だったであろうキャッチコピーを回収しました!


おかげさまで毎日順位が上がっております!

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