第18話 樹と交流
「はぁ……、俺はユナの力さえ満足に使えないのか」
武器に変化していた麦虎とユナは元の姿に戻った。
『進化出来たら今の比ではない。落ち込むくらいであれば、とことん闇に落ちて自分と向き合うことだな。見てみろ。網の一つが消えている』
魔眼を使って校舎の方を見ると、黒い網が一つ消えていた。そして、今まで感じることのなかった魔女の気配を強く感じ取れるようになった。
「セツナっ!!?」
「んん?」
ユナの声でいい加減閏は傷口の塞がった上体を起こし目を凝らす。魔女が消えた場所から紫色に光る靄のようなものが飛び出してきた。
「あれがセツナ? やはり肉体を物質で構築していないのか」
「セツナー! こっちだよー! ユナここだよー!」
しかし、紫色の物体は空中で旋回すると、校舎の方へ飛んでいき、あっという間に見えなくなる。
「な、なんで? セツナー!」
ユナは追いかけて走り出すが、どう見ても光の動き方は、ユナに気付いていながらユナのところに戻るのを拒絶したように思えた。
「セツナは自分から魔女に捕まったのか?」
『ふぅむ、では貴様の脳みそにバグを送った犯人もガフの部屋のブービートラップということか?』
それは少し考えにくい。
『いや、多才な魔族と違って魔導具には決まった能力しか付与されていない。ガフの部屋の本体であるユナはまだ魔力の波長も変えられるが、ブービートラップにそんな能力は無いだろう』
となると、考えられるのは三重の網への防性魔法すら突破する第四の精神攻撃が仕掛けられた可能性だ。
おそらく黒い網が機能していたのは魔女の持つ這う虫のような黒い気配を隠すための隠ぺい魔法の行使だろう。
魔女は自分たちが犯人だと言っていたが、複数犯の中には精神感応魔法を得意とする人間族の協力も混ざっている気がした。
閏は起き上がると心臓に受けた攻撃だけ、まだ完全には傷口が塞がっていないことを確認した。しかし、ぼんやりともしていられない。
「すみません、能三先生はみんなの様子を見てきてもらえますか?」
「っは! そうか、デートプランを考える前に教師として給料分の仕事は残っていたな」
大人しいと思ったら魔女とのデートプランを考えていたのか。
「では後ほど合流しよう」
忠國と別れた閏はユナを追いかけて校舎の中へ入る。
校舎の中は朝の騒がしさと違って落ち着きを取り戻した生徒たちで賑わっていた。
『我は一応校舎の中を残らず見て回ろう。貴様はそのみっともない身なりを整えて来い』
『すまない。俺は保健室に行くよ。予備の制服があるかもしれない』
麦虎と別れて閏は保健室に向かった。閏の靴音だけが響く暗い廊下はとても静かだ。
保健室の扉に手をかけると、相変わらずというか、鍵などはかかっておらず、すんなりと扉は開く。
樹は寝ているかもしれないと心配したが、ベッドの方は明かりがともっていた。
「樹、起きているのか?」
くすくすと、押し殺したような笑い声が聞こえた。
「次は休み時間に会いに来てと言ったでしょ」
そうだった。今はまだ授業中だ。すまないと言いながら薬品棚を漁って消毒液とガーゼを取り出す。
傷口の回復を早めるため自身で治療を施してから樹のところに向かった。
カーテンを開けると、ルームランプで照らされた樹の手元には見慣れた本が開かれている。
「読書も好きなんだな」
ぎょっとした顔の樹は閏の血まみれの制服を眺めたが、怪我はしていないとわかると顔をほころばせた。
「ああ、これ。実は、僕には双子の妹がいるんだ。ミツキは無口な絵画より、お喋りな読書の方が好きでね」
樹とミツキ。名前の響きのように、似たような感性の持ち主なのかと期待が膨らむ。
「ヘルマン・ヘッセの車輪の下か。俺も子供のころ読んだよ」
詩人でもあり小説家でもあるヘッセは、モンドリアンと同じ時代に生きた作家である。
「かけがえのない友達を得ただろう。主人公は友達との関係を『結ばれ合っているという一種独特な幸福感と無言のひそかな了解とに満ちていた。』と言っていた。俺はこの言葉を聞いたとき羨ましく思ったよ」
芸術ともまた違うが、落ち着いた部屋に本棚は良く似合う。
それも詩集や名作をそっと忍ばせて置いたら、見た目にも美しく、読んでも実のある良いこと尽くめだと閏はインテリア思考で考えていた。
「ヘッセのような唯一無二の才能が無くても、こうした唯一の友達が欲しいってね」
おそらく唯一無二の感性でヘッセの名作を評した閏に樹は驚きを隠さなかった。
「車輪の下を読んで、そんな風に解釈するのは面白いな。彼は車輪の下敷きにされたよ。友も初恋も彼の救いにはならなかった」
残念そうに語る樹を見て、閏は首を傾げる。
「そんなことないだろ。離れていたって弱っていたって、友達には長い手紙を書いていたじゃないか。父親には短い手紙だったのに。きっと話したいことがたくさんあったんだ」
樹は納得できないらしい。口をとがらせて反論した。
「死んでから? 話したいなら生きているうちに連絡を取るべきだ」
「今の時代ならそうするだろう。いや、どうかな。かっこつけたいじゃんか」
人生の終わりに辞世の句を詠んだ方がかっこいい気がする。
閏にとって重要なのは実用性ではなく芸術的な見栄えである。
当然だが、樹に理解されるはずもなかった。
「でも彼は言った。『こうしたとうとい瞬間は、呼ばれないのに来、嘆かれないで消え去った。』と。やっぱり、友との思い出だって彼の元に残ってくれなかったんだ」
不思議な気持ちで閏は樹を見つめた。見つめられた樹も不思議そうに首を傾げる。
「……おかしいかな?」
「いや、多くの人間はそう解釈するんじゃないか。主人公を哀れに思う者も多いだろうし、嘆く者も多いと思うよ」
閏は視線を壁に飾られたホッパーの『ナイトホークス』へ向けた。今宵も静かに孤独と自由を訴えかけているようで、閏の心は深い森の奥へ誘われる。
この絵を見ていると、ハシバミの実をかじりながらうっそうと茂る夜の森へ足を踏み出し、ひんやりとした湖畔へたどり着くような一人きりの有意義な自由を謳歌できるのだ。
「閏はそうは思わないってこと?」
一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。しかし、視線を樹の方に戻して、ああ、と思い当たる。
「思わないよ。車輪の下はヘッセの自伝的な小説だ。下敷きにされないで生きた生き証人が書いているんだぞ」
じろりと、樹に睨まれる。
「そういう枠から逸れた感想は作品に対する侮蔑だと思うけど」
軽率な発言だったと反省した。
「わかった、怒るな。でも、俺は作品について語るより、読み手の感性について語り合いたい」
その本を読んで、どう受け止めたのか。本というのは誰が開いても同じ内容である。
同じ本を読んだ閏にも内容はわかっているし、語り合うなら内容そのものより、作者が意図するところをどのように解釈したのか、読み手の感性を知りたいところだ。
「僕は、主人公の自滅を、恵まれた者のおごりだと感じたよ」
まさに自滅した者が樹の目の前で胸を押さえた。生粋のブルジョワ産血統書付きサラブレット閏は、己のしでかした過ちを棚に上げて下敷きにされないで生きている生き証人である。
「そ、そうだな。ホント、恵まれてるやつって周りを顧みない……」
「そこで傷付かないでよ。閏のことを言ったんじゃないし、大体、君のこと何も知らないし」
その通りだ。いきなり青い顔をされても樹も困惑するだろう。
「情けない話ではあるんだが、俺も樹のことをよく知りたいと思うから」
過去の過ちを話そうと思ったが、廊下からパタパタと軽快な足音が近づいて来た。
「悪い。今日はこの辺で帰るよ」
「閏、もう一度忠告しておくけど、そういうことは教師に任せた方がいい」
今じゃすっかり血の乾いた閏の胸元を指差して樹は顔をしかめた。
「今度はそうしよう」
苦笑しながら閏はカーテンを閉じた。
静かな気配を好む樹のために保健室を出ていくと、廊下でユナに捕まった。
「もおおおう! 閏! 保健室で二人きりなんて何をしていたの!!」
「確かに、保健室には二人いたな」
「んんんんん? 誤魔化してる?」
閏は一度だけ振り返って保健室の扉を見ると、ナイトホークスの絵を思い出しながら歩みを再開させた。
☆☆☆
閏は樹と友達になりたいんだなぁ(*´ω`*)しみじみ
次回もお楽しみに☆
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