第47話 エピローグ
自分が恵まれていることに気づいたのは、十歳くらいの頃だったように思う。
家が裕福で、両親が有名で、勉強や運動神経も悪くなく、容姿を褒められることも多かった。
色んな大人に会うたび褒めちぎられれば、否が応でも自分が優秀な人間であることを自覚さ
せられた。
だけど同時に、それは自分の力で手に入れたものではないともわかっていて、たまたま優秀だった両親から運よく生まれただけだからと、奢り高ぶるような態度は取らないように生きてきた。小説をそこそこ読んでいたおかげで、自分のような人間は謙虚でいなければ大層嫌われるということも、早めに知ることができたのは幸いだったと思う。
凄いのは自分ではなく両親だ。そう思って生きてきたし、そんな両親に恥じない子供でいるために、勉強も運動もそれなりに努力をしてきた。そのおかげか、文武両道だとか天才だとかありがたいことによく言われるけれど、両親に本物の天才がいてはとても自分が同じ類だとは思えなかった。
父のように絶対に他の人には負けないという突出した何かを持ってるわけでもなければ、母のように努力せずとも成績トップを維持できるような万能さもない。
「いいよな元から才能あるやつは」
だから、仕方ないとわかっていても、こういう言葉をかけられるとやっぱり苦しくて。
「あんたといると自分がみじめになる」
ただ一緒に過ごしているだけで友達が離れていったときは悲しかった。
「あたしのほうがずっと前から好きだったのに」
知らず知らずのうちに恋愛トラブルに巻き込まれることも数えきれないくらいにあって、理不尽に怒鳴られたことも何度もあった。
だけど同じようなことが何度も起これば心も慣れてきて、高校二年にもなれば昔ほど落ち込むこともなくなっていた。
ハルのことを知ったのは、ちょうどそのときくらいだった。
◇ ◆ ◇
「ねーさっき噂の新入生見たんだけど!」
朝のホームルームが始まる十分前。クラスメイトが教室に入ってきて開口一番、興奮気味にそう言ってきた。
「噂の新入生って……ああ、望月ハルって子?」
翼と談笑していた茜が問う。
「そうその子!」
「まじか。どうだった?」
「めっっっっっっちゃ美人だった」
「おおー!」
トークテーマが一瞬で望月ハルに変わり、ホームルームが始まるまで会話はハルの噂話で大いに盛り上がった。
入学式当日からハルは噂になっていたので翼も美人という情報だけは知っていたが、この日まで彼女の顔を見たこともなければもちろん話したこともなかった。
二限が終わり、三限の美術へ向かう途中の廊下で翼は初めてハルの顔を見た。
──わ、本当に綺麗な子……。
噂になるわけだと、たった一目見て納得するくらいにはハルは綺麗だった。ついこの間まで中学生だった上に身体も小柄なほうだと聞いていたのに、揃いも揃って友人たちが『可愛い』ではなく『美人』『綺麗』と表現していた理由がよくわかった。パステルカラーのような可愛さではなく、水性絵具のような美しさ──例えるならそんな感じだった。
「翼、なんか顔色悪くない?」
昼食を食べ終え、のんびり雑談している途中で茜に言われた。
「え、ほんとですか」
「うん」
茜は頷きながら翼の額に手の平を当てる。
「熱は……なさそうだけど」
「言われてみれば、少し身体が重いかもしれません」
「やっぱり」
やれやれと言いたげな表情を浮かべ、茜は椅子から立ち上がった。
「ほら、保健室行くよ」
「え、いや大丈夫で──」
「いいからいくよ。ごめん、ちょっと行ってくるわ」
「「はーい」」
保健室に行くほどではないと思いつつも、心配してくれる茜の思いを無下にはできず、翼は結局行くことにした。
「うわ、まじか」
しかしタイミングが悪く、保健室に養護教諭はいなかった。
保健室の引き戸には養護教諭の所在を示すマグネットの表があり、『保健室』『職員室』『会議室』『出張中』など、養護教諭が今どこにいるのかが一目でわかるようになっている。
その表によると、養護教諭は今会議室にいるらしかった。
「やっぱり大丈──」
「まーいいや。入っちゃお」
教室に戻ろうとする翼の言葉を遮って、茜はなんの躊躇いもなく保健室の引き戸を開けた。
「ま、ちょっとひと眠りしてきなよ。それだけでだいぶちがうでしょ」
「わっ」
三つ並ぶベッドの一つにぽいっと雑に放られる。ぼふ、と 整えられたベッドの枕に翼の頬が触れた。
「六限終わっても来なかったら起こしに来るから」
「……わかりました」
茜はひらひらと手を振り、ベッドを囲うカーテンを閉めて保健室を出ていった。ガラガラと保健室の引き戸が動く音が聞こえる。
こうなってしまえば仕方ないと、翼は開き直って休んでしまうことにした。
五限が終わるまでにひと眠りできるだろうか、そんなことを思うまでもなく、目を瞑ると睡魔は予想を超えるスピードで襲い掛かってきた。思った以上に疲れていたのかもと、保健室に連れてきてくれた茜に感謝する。
ベッドに横になって五分もしないうちに、翼は規則正しい寝息を立てていた。
「…………?」
翼の目を覚ましたのは茜の声──ではなく、三人の女子生徒の声だった。
「え、先生いないじゃん」
保健室の外から聞こえた女子生徒の声に翼のまぶたが薄く開く。
意識が覚醒しきらないうちに保健室の引き戸が開く音がした。
「あ、でも鍵かかってないや」
ドアが開き、くぐもっていた声がクリアになる。ベッドはカーテンで囲われているため向こうからも翼からも互いの姿は見えない。
「どうする?」
「勝手に入っていいのかな」
「でも充希、足痛いでしょ」
「うーん。見た目ほど酷くないけど……湿布だけ貰いたいかも」
体育かなにかで怪我をしたのだろう。声から察するに入ってきたのは三人の女子生徒のようだった。
パチンと電気が点けられ、寝起きの両目に眩しい光が降ってくる。
「充希はそこ座ってな〜」
「はーい」
「湿布どこにあるんだろう」
「この辺にありそうじゃない?」
カーテンで仕切られた向こう側で湿布を探す生徒たち。モノをどかす音や引き出しを開ける音が聞こえ、徐々に意識が覚醒してくる。
「あ、そうそう聞いてよ二人とも」
ふと一人が口を開いた。
「今朝登校したときね、やっと翼先輩見れたんだ! 入学から一週間してようやく!」
「……!」
突然自分の名前が出て、翼の意識は一気に覚醒した。
先輩という呼び方から、生徒らが一年生であることが分かる。
すぐそこに本人がいるとはつゆ知らず、後輩たちは会話を続けた。
「えーいいなぁ。めっちゃ綺麗だよね、翼先輩」
「ほんと目の保養だった。あれはもう美術品だわ」
「将来テレビとかに出てそう」
「全然有り得るな」
なんとも言えない気持ちがせり上がってくるが、黙って聞いていること以外なにも出来ない。気づかれないよう息を潜めていると、しばらく黙っていた一人が抑揚のない声で言った。
「翼先輩って?」
翼の話題で盛り上がっていた二人が「「えっ」」と大きな声を出す。
「望月さん、翼先輩知らないの?!」
「うん」
驚く友人の問いに、望月と呼ばれた生徒が頷いた。
──あれ、望月って……。
午前中に見た、美しい一年生を思い出す。
望月ハル──二年の間でも噂の彼女がすぐそこにいるようだった。
「翼先輩はね、二年のめっちゃ美人な先輩だよ」
ハルに教えるように一人が言う。
「そのうえ勉強も運動も成績トップの天才! 人当たりもめちゃくちゃいいし、もーすんごいモテるんだから!」
「そうなんだ」
続けてもう一人が熱弁するが、ハルはあまり関心がなさそうな声で応えた。
──そんな大層な人間じゃないのに。
ベッドの中で静かにそう思う。
けれど、そう言われることも仕方ないと思っていた。
いくら努力したところで、元々の能力がある程度高くなければ学年二百人のトップになることは難しい。天才ではなくても、能力に恵まれた方であることは確かで、翼はそれをよくわかっていた。
母に似て生まれたこの顔も、美人だ綺麗だと耳にタコができるくらい言われれば、世間から高評価を得る顔なんだと嫌でも理解する。
「あれだけ容姿と才能に溢れてたらさ、人生楽しそうだよね」
だからこう言われることだって仕方ないことだ。
苦労なんてないでしょと暗に言われているような気がして、気分が沈むのも仕方ないことだ。
それでも昔よりは気にならなくなって、数時間もすれば気持ちも落ち着くようになった。
「ね、望月さんもそう思うでしょ?」
うん、と。当たり前のように肯定の言葉が返ってくると思っていた。
「うーん、どうだろう」
だから、予想外の答えに翼は大層驚いた。
「「え?」」
二人の声と翼の心の声が重なる。
「周りからは輝いて見えるような人でも、誰にも言えない苦しみとか悩みとか、そういうものを抱えてる人だっているから」
適切な言葉を探すように、ゆっくりとその声は続けた。
「なにも知らないその先輩のことを、なにも知らないまま判断するようなことはあまりしたくないかも」
「…………!」
それは、ずっと翼が求めていた言葉だった。
努力も苦労もなかったことにされて、見えるだけの情報で嫉妬や敵意を抱かれること、悪意のない羨望を向けられること。
それらを、有名税だと仕方ないことのように言われること。
もう随分と慣れてしまったけれど、それでも苦しいことには変わりない。
だから、自分と一切関わりのない彼女が迷いなくああ言ってくれたことに、胸がじんわり熱くなった。
いつの間にか固くなっていた身体から力が抜けていく。
体調不良も相まってネガティブになっていた思考が、嘘だったかのように頭の中から消えていった。
短い沈黙が下りる。
「あ、ごめん。今の感じ悪かったかな」
最初に口を開いたのはハルだった。
「え? や、大丈夫!」
すぐさま返された声からは、慌てた様子が伝わってくる。
「ていうか、望月さんの言う通りだなーっていま思ってた」
「私も。よく知りもしないのに色々決めつけるのは良くないよね」
ハルの言葉に二人がそう返してくれたことが、翼は余計に嬉しかった。
「ありがとう、二人とも」
翼の気持ちを代弁するかのようにハルが言う。
「いやなんで望月さんがお礼?」
「そーだよ」
「たしかに」
二人の指摘に平坦な声で頷くハル。
良い意味で、望月ハルという人間は変わっているのかもしれない。
「あ、湿布」
ほどなくして、ハルが目的のものを見つけたらしかった。
「望月さんナイス!」
「ありがとう〜」
「よかった見つかって」
喜ぶ後輩たちの声にこちらまで心が和んでいく。
用を済ませた三人は、長居することなく保健室を出ていった。
「………………」
三人が来る前の静けさが室内に戻ってくる。
「望月ハル……」
静かになった保健室で、翼はひとり呟いた。
彼女が初めてハルの家に行くのは、この日から約一週間後の出来事である。
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