第43話 罪の重さ

「……先輩?」


 不安に押し潰されそうになりながら、震える声でもう一度呼ぶ。

 声が聞こえなかっただけかもしれない。

 ユウキは仲直りできると言い切った。その言葉を信じたい。

 大丈夫、大丈夫と、心の中で繰り返し唱える。

 瞬きも忘れて、扉の木目をただじっと見つめた。


「……ハル?」


 その思いが届いたのか。

 雨音にかき消されそうなほどか細い声が、扉の奥からたしかに聞こえた。


「先輩……?」

「ハル……? そこにいるんですか……?」


 それは、今まで聞いたことのないほど弱々しい声だった。

 ハルのことを拒絶しているとか、怒っているとか、悲しんでいるとか、そんな雰囲気ではない。

 明らかに様子がおかしかった。

 

「先輩、ドア開けますよ」


 胸騒ぎがして、返事も聞かぬままドアを開ける。

 

「……?」


 部屋の中は暗かった。

 照明はついておらず、カーテンは閉め切られ、どんより湿った空気が漂っている。

 勉強机の周りには、自分のあげたマドレーヌとまばらに散らばっていた。

 そんななかで、翼は。


「?!」


 信じられない光景が目に映って、ハルは一目散にベッドに駆け寄った。

 

「先輩?!」

 

 とても現実とは思えない姿に思わず声が大きくなる。


──なに、これ。


 翼は拘束されていた。

 両手は背中側で手錠にかけられ、足首には足枷が、目元には真っ黒なアイマスクが付けられている。


「これは一体、どういう──」

「見たまんまだよ」


 パタン、とドアの閉まる音が聞こえてすぐ。

 女の声がハルの言葉を遮った。

 怖いくらいに穏やかな表情で、家事代行の女が近づいてくる。


「これ、あなたが……?」

「そ。良いでしょ」


 なにがどう”良い”のか、ハルにはまったくもってわからなかった。


「これから君に、私が翼ちゃんを犯すところ見せてあげようと思って」

「……は?」


 目の前の女はいったい、何を言っているのだろう。

 疲弊しきって満足に声も出せない状態の翼が、この状況を自ら望んでいるとは到底思えなかった。


「とても……合意の上とは思いませんが」

「拘束プレイだもん。そんなもんだよ」


 ハルの横を抜けて、女は当たり前にベッドに上がろうとする。

 ハルは女の正面にスっと腕を伸ばし、ベッドに上がるのを阻んだ。


「先輩、これは……合意の上ですか」


 冷たい眼差しを女に向けながら、後ろに横たわる翼に問う。

 翼に会う前の緊張も恐怖も、いつの間にか消えていた。

 ちゃら、と手錠が擦れる音がして。


「ちがいますっ……!」


 翼ははっきりそう言った。


「────」


 次の瞬間には、女の身体は床に抑えつけられていた。

 

「いった……」


 天井を仰ぎながら女は顔をしかめる。

 ハルは女の手首を両手で抑え、下半身を自分の両膝で挟み、女の身動きを取れなくした。


「え、その体格で力強すぎない? 流石にこれは誤算なんだけど」


 そんな状況でも、女の声にはまだまだ余裕が見えた。


「吸血鬼は人より身体能力が高いんだよ。知らなかった?」

「それは知らなかったなぁ」


 吸血鬼のことを知っているといっても、詳しいわけではないらしい。女は感心するように目を開いた。

 そこに焦りはまったく見受けられない。


「ハルっ、三上さんは……その女性はスタンガンを持ってます。気をつけて!」


 少しずつ声が出せるようになってきたのか、翼からそんな忠告が飛んできた。


「あーなんでバラしちゃうかなぁ」

「スタンガンって……」


 物騒な単語に血の気が引く。


「まさか、先輩に使ったりしてないよね」


 こちらの問いに、女は否定も肯定もせず笑うだけだった。


──使ったのか。


 女を押さえる手に思わず力が入った。


「痛い痛い。そんな怒らないでって。顔怖いよ」

「うるさい」


 自分でも驚くほど低い声が出る。

 加減を間違えたら女の手首の骨を砕いてしまいそうだった。


「あー降参降参。無理だわこれ」


 女はあっさりと負けを認め、身体からフッと力を抜いた。

 多少の抵抗は受けるだろうと思っていたハルは若干拍子抜けする。


「で? 私はどうすればいいわけ? 翼ちゃんに謝りでもすればいい?」


 圧倒的不利な状況で、しかし女は煽るような態度でそう言ってきた。


「謝るだけで許されるわけ──」

「でもさぁ」


 静かに、それでいて圧のある声がハルの言葉を遮る。


「私より先に、翼ちゃんに謝らないといけない人いるよねぇ?」


 ぴく、と女を押さえる手が揺れた。

 にやりと弧を描く口角と、メガネの奥で狐のように細められた目がこちらを向く。

 内緒の話をするように、女は声を抑えて続けた。


「てかさぁ、その人の方が罪重くない? だって私は未遂だけど、その人は完全にやっちゃってるわけだから」

「…………」

「てかそもそも人じゃないか。人の血を吸うバケモノだし」


 言葉の一つ一つが、針のように胸の内に突き刺さる。

 自分の犯した罪がどれだけ重いか、わかっているつもりだった。

 でも。


「それなのにさ、許してもらえると思ってのこのこやってきてるのがもう滑稽だよね。そのうえ他人に説教垂れるとかほんと何様? お前も似たようなことやってんだろうがよ」


 女の言う通りだった。

 合意のない吸血は、しばしば強姦と表現されることもあるくらいには近しいもので。

 自分がいま女に抱いている、腸が煮えくり返るほどの怒りは、自分がした行為がどれほど非道であったかをわかりやすく教えてくれた。


「謝るだけで許されるわけないってさっき言ってたけどさ」


 自分は、この女を非難できる立場にいない。


「お前にだけは言われたくねーんだわ」


 瞬間、女の身体がグッと力んだ。


「……あ」


 緩んだハルの力を、女の全力が一瞬上回り。

 自由になった女の右手が、膝丈のスカートの下からスタンガンを取り出した。

 どこに隠し持っているのかと思っていたが、太ももにホルスターを装着していたらしい。

 バチバチと放電しながら、スタンガンが腹をめがけて飛んできた。


「っ……!」


 電極が服に触れるギリギリのタイミングで、なんとか反応が間に合う。

 スタンガンを握る女の手をグッと押さえ込みながら、はっと息を吐いた。


──なんの躊躇いもなく……。


 人を傷つけることに一切の躊躇を見せない女の行動に驚きを隠せない。


──でも。


 これで反撃の目を摘むことはできた。

 目の前の女にやれることはもうない。

 そう思った時だった。


「甘いんだよ」


 重く冷たい声が聞こえたあと。

 右の脇腹あたりに強烈な違和感を覚えた。


「……?」


 緩慢とした動きで視線を落とす。

 女の左手に何かが握られていた。

 立派な銀の刀身が、薄暗い部屋の中で異質に光る。


「────」


 それがナイフだと理解するのに、そう時間はかからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る