第27話 吐き出す気持ち

『お前が好きそうな女がいる』


 六月の頭。今学期一発目のテストが終わった頃にその写真は送られてきた。


「……は?」


 写真を見た瞬間、思わずそんな声が出る。

 女神と見紛うような女が画面の中にいた。

 手に持つスマホから目が離せない。心が一気に沼に引きずられるような感覚がハッキリわかった。


「好き」


 一目惚れは今まで何度も経験してきたけど、これは今までの中で間違いなく一番だ。

 写真を送ってきた相手──幼稚園からずっと一緒の腐れイケメンに、雫はノータイムで返信する。


『どこのだれ』

『俺と同じ高校の日鷹翼』

『何年生?』

『2年』

『家は』

『和泉慎吾 自宅で検索すれば出てくる』

『和泉慎吾の娘?!』

『ああ』


 欲しい情報はすぐ手に入った。驚く内容はあったけれど好都合だ。その手で会社にいる父親にメッセージを送った。


「今回は失敗しないようにしないとね」


 ベッドに寝転がり、スマホを胸に抱いてつぶやく。

 人を好きになると、自分は少々やりすぎるところがある。前回はストーキングが本人にバレて、危うく少年院送りになるところだった。

 

──私からしたら、好きなのにただ見てるだけで済む人の方が変だけど。


 本当に好きだったら、私生活、人間関係、何が好きで何が嫌いなのか、一日の行動、喜怒哀楽──その全てを知りたくなるものじゃないだろうか。

 だけどここ数年で、自分が少数派であることは理解した。好意的な感情からの行動であっても、自分の感覚でやっていたらあっという間に犯罪者になってしまう。やりすぎて捕まらないよう、ブレーキはしっかり踏んでいかなければいけない。

 

「絶対に私のものにする」

 

 そう呟いて、その瞬間から雫は彼女に関する情報収集を始めた。

 両親が有名なこと、そして彼女と同じ学校に増田が通っていることで、過去にできた好きな人の誰よりも低リスクかつ簡単に彼女を知ることが出来た。


 その一週間後、三上雫は日鷹家の家事手伝いとして日鷹翼と対面した。



◇ ◆ ◇



「最近、なにかありました?」


 エプロンを外しながら、雫は自分の作った夕飯を食べる翼の向かいに座る。


「え?」


 一人でもくもくと食事を取っていた翼が顔を上げた。執筆の進捗次第で食事の時間が変わる慎吾が食卓にいないことは珍しくなく、今日も翼は一人のようだ。


「ここのところ、あまり元気がないように見えたので」

 

 神妙な面持ちを意識して雫は言う。

 普段は料理を作ったら帰るはずの雫が席に座ったことに翼は少し驚いていたが、しかし追い払われるようなことはもちろんなかった。


「……全然そんなことないですよ」


 翼は作ったような笑みを浮かべてそう答える。

 その言葉を素直に信じるほど雫も馬鹿じゃなかった。


「嘘ですよね」

「え?」

「流石にわかりますよ。毎日見てますから」


 それだけじゃない。いつから元気がないのか、その具体的な日にちまで雫はちゃんと把握している。


──様子がおかしくなったのは先週、の家に行ってから。


 望月ハルは、雫がいま最も取り除きたい障害の一人だった。

 この数ヶ月で急速に仲を深め、慎吾が取材で家を開けている間、翼が一緒に食事を取っていた後輩。情報提供者の増田からは、男にも勝る怪力の持ち主とも聞いている。

 彼女が体調を崩したと聞き、見舞いへ出かけたあとから翼の様子がおかしくなっていた。望月ハルの家で何かがあったと判断するのは、そう難しくない。

 

「……そんなにわかりやすいですか? 私」

「とっても」

「えぇ……」


 これで隠しているつもりなことに驚くくらいにはわかりやすいが、本人としては見抜かれたことが不本意なようだった。


「スマホの画面じっと見て辛そうな顔してたり、話しかけても上の空だったり、ボーッとしてる時間長かったり……多分誰でも『なんかあったな』って気づくと思います」

「わぁ……」


 額に手を当て「なんか恥ずかしいです」と苦い笑みを浮かべる翼。


──恥ずかしがってるのも可愛い……。


 思わずニヤついてしまいそうになるのをグッと堪えて、雫は口を開く。


「私でよければ相談のりますよ」


 今日はこの言葉を言うためだけに残ったようなものだった。

 なにか落ち込むようなことがあった時、相談に乗ってくれた相手というのは総じて好感度が高くなるものだ。この貴重な機会を逃すなんて選択肢は雫にはなかった。

 そしてそれが、望月ハルに関するものであるなら尚更だ。


「ありがとうございます。心配してくださって。でも大丈夫です」


 けれど翼は小さく首を横に振った。変わらず悩みを抱えたような目をしていながら、答えに迷う素振りは一切ない。


「そうですか」


 しかし応える雫の声は冷静だった。

 翼からそう返ってくることはわかっていたからだ。


「でも、誰かに吐くことで軽くなることもあると思いますよ。もちろん無理にとは言いませんが」

「そう、ですね……でもやっぱり大丈夫です」


 けれど翼は頑なに首を縦に振らなかった。


「人に言えるようなことでもないので……」


 続けて、ぽそぽそと零すように翼が言う。

 その言葉の意味が、雫にはあらかた予想がついていた。


「それは、に関することだからですか?」


 雑談をするようにさらっと口にする。


「……え?」


 翼は時間が止まったようにフリーズした。

 その反応がもう答えをはっきり示していて、雫はやっぱりなと心の中でつぶやく。

 何度か目を瞬かせたあと、翼がおずおずと口を開いた。


「どうして……」


 当然この質問は飛んでくると思っていた。

 吸血鬼という一言を出せば自分と話す気になるだろうという目論見が成功したことに高まる気持ちを落ち着かせて、雫は翼の疑問に答える。


「翼さんが後輩の家にお見舞いに行った日、帰ってきた翼さんの首に噛まれた痕があったので。吸血鬼の存在自体は、姉の過去の恋人が吸血鬼だったことがあって知っていました」


 雫は自分の首を指差し、翼の噛み痕があった部分を強調した。

 あ……と翼がもう痕の消えた首に手をやる。


「翼さんが元気ないのは、無理やり吸血されたからじゃないですか?」

「…………!」


 雫の言葉に、翼は元々大きな目をさらに見開いた。


──頭良いのにわかりやすい人だなぁ。でもそんなところもギャップがあって可愛い。


 毎秒毎秒強くなっていく好きを感じながら、冷静な口調で雫は続ける。


「実は私も、無理やり吸血されたことがあるんですよ」

「え……」

「姉が少し席を外した瞬間に、血走った姉の彼氏に肩をがぶりと。だから翼さんの気持ちはわかってあげられるかなって」


 翼の目が不安定に揺れる。経験が経験なだけに、まさか身近に同じような人間がいるなんて思わなかったのだろう。


──まぁ嘘だけど。


 姉に吸血鬼の恋人がいたのは本当だ。けれど襲われたことは一度もない。吸血していた所をたまたま一度見てしまったことがあるだけで、吸血鬼のことは深くは知らなかった。


「無理やり襲われてさぞ怖かったでしょう。でも誰にも相談できないのがもどかしかったんですよね」


 同じ体験をした被害者として寄り添う姿勢を見せる。

 私だけがあなたの事情をわかってあげられると。


「私なら愚痴でも何でも、気が済むまで吐いてもらって大丈夫ですよ」

「あ、いや……私は……」

「?」


 だが、翼の反応は思っていたのと違った。

 あー、と言葉を探すように視線を落として、少しの間のあと口を開く。


「……嫌じゃなかったんです」


 出てきた言葉は、雫が想像していたものと真逆のものだった。


「……え?」


 一瞬聞き間違えたかと思った。

 けれどすぐにそうじゃないと気づいたのは、翼の表情から嫌悪や恐怖といったものがまったく感じられなかったからだ。


「無理やり首を噛まれて、血を吸われて……普通は怖いとか、不快だとか感じると思います。でも」


 いつもよりゆっくり、言葉を選ぶように翼は話す。


「嫌だとはまったく思わなかったんです」


 翼の言っていることの意味が、雫には理解できなかった。


「いやいや……」


 信じられないといった顔で雫は口を開く。


「無理やり吸血されたんですよ? 本当に嫌じゃなかったんですか?」

「はい」

「怖いとかもなく?」

「はい」


 翼は浮かない表情のまま、しかしはっきりと頷いた。

 

「……じゃあ」


 ここ数日の翼の様子を思い返しながら、雫は問う。


「なんで元気ないんですか」


 これまでの反応と先週の様子から、望月ハルが関係しているのはほぼ間違いない。だが翼の主張を信じるならば、そんな顔をする理由がないはずだ。


「……ハルを」


 翼は静かに口を開いた。


「ハルを、傷つけてしまったかもしれなくて」

「え?」


 すっかり冷めてしまったであろう料理に視線を落として、翼は続ける。


「ハルに血を吸われた時、泣いてしまったんです……そしてそのまま、逃げるように家を出てしまって……」


 口を結び、後悔の滲む顔で押し黙る翼。

 そんな顔でも翼は変わらず美しくて、舐めまわしたい願望を我慢しながら雫は口を開いた。


「泣いたって、やっぱり嫌だったんじゃないですか」


 雫の言葉に、翼はふるふると首を横に振る。


「……血を吸われてる時、ぼんやりした頭で色々考えていたんです。『吸血鬼って実在したんだ』とか、『噛まれて痛いのは最初だけなんだな』とか、『実は身近にもっといるのかな』とか……その中で、ふと思ったんです」


 喉から絞り出すように、か細い声で翼は言った。


「……私以外の血も吸ったことあるのかな、と」


 気づいたら涙が出ていました、と翼は続ける。


──は?


 思わず出そうになる声を、雫はすんでのところで飲み込んだ。

 余裕のあった心が、一気に崖っぷちに立たされたような気分になる。

 無理やり吸血されることに恐怖も不快感も感じないどころか、他の人間から血を吸ってるかもしれないことに泣くほど嫉妬するなんて、そんなのもう。


──望月ハルのこと好きじゃん。


 あの日、翼の首に噛み痕があっただけで発狂モノだったのに、嫌うどころか好きだなんて。

 胸の内がぐつぐつと煮えたぎって、雫は今すぐ叫び出したかった。

 そんなの解釈不一致だ、と。


「家族以外の人の前で泣くなんて初めてで、でもどうして涙が出ているかわからなくて……胸の中もぐちゃぐちゃで。そんな姿をハルに見られたくなくて……」


 雫の心象など露知らず、まとまりのない言葉を連ねる翼。


──……ん?


 激情に心が支配されそうな中、翼の言葉にふと雫は違和感を覚えた。

 もしや、という思いが胸の内に湧いてくる。

 それはすぐに確信に変わった。


「泣いた挙句、無言で部屋から逃げて……ハルの目には私がハルを拒絶したように見えたでしょう。彼女の性格上、自分を激しく責めてるはずです。だから、嫌だったわけじゃないと、早くそう伝えなきゃいけないのに……」


 翼の泣きそうな顔を、雫はこのとき初めて見た。


「もう前と同じように接してくれないかもしれないと思うと、会うのが怖くて……」


 それに、と溜めていたものを吐き出すように翼の言葉は止まらない。


「嫌じゃなかったと伝えるにしても、どう言えばいいのかわからないんです。なんであの時涙が出てきたのか、自分でもわからなくて」

「……泣いた理由を聞かれても答えられない?」


 雫の言葉に、翼はこくりと頷く。

 ああやっぱりと。

 釣り上がりかけた口角を、雫は必死で抑えた。


「でも……ただ『嫌じゃなかった』と言っても、ハルは自分を責めるのを辞めないと思うんです」

「……なるほど」


 真面目な顔で相槌を打ちながら、雫の胸の内は怒りから一転、希望に満ちていた。


──翼ちゃんは、まだ自分の恋愛感情に気づいてない。


 無理やり襲われても不快にならず、いるかもわからない自分以外の吸血相手を想像して泣く──普通の人間なら、すぐに相手への恋愛感情を自覚するだろう。仲の良い友達を取られたことによる友情的な嫉妬で片付けるには、翼の感情は少々強すぎる。

 雫が思うに十中八九、翼は望月ハルに恋愛感情を抱いていた。だが、翼はそれを自覚していない。


──普通の人なら当たり前にわかることなのに、恋愛したことないから恋愛感情だってわかんないのかな。数え切れないくらい恋愛感情向けられたことはあるだろうに、自分のにはうといんだね。なんて残酷で贅沢な人なんだろう。でも私はそんな貴女も好きだよ。恋愛感情を自覚してる翼ちゃんよりずっとずっと解釈一致だもん。

 

 雫は心の中で一息に呟きながら、自分の口元に手を当てた。口元が緩むのをどうしても抑えられなかったからだ。


「たしかに、それだと元通りの関係には戻れないかもですね」


 雫はすぐに気持ちを切り替え、慎重に言葉を選びながら言う。

 そもそも、今回の件は向こうが謝るのがまず先であり、翼がここまで悩む必要など一切ないはずだが、そこにはもちろん触れなかった。


「中途半端に仲直りしてぎこちない関係になってしまうより、少し時間がかかってもちゃんとお互いの気持ちを理解した上で仲直りした方がいいのかなと、私は思います」

「やっぱり、そうですよね」


 雫の魂胆など当然知らず、翼は素直に頷いた。


「早く仲直りしたいですけど……もう少し自分の気持ちに向き合ってみようと思います」


 驚くほど欲しい言葉そのままを翼から引き出せて、雫は心の中で小躍りする。


「それがいいと思います」


 にこ、と微笑んでから、雫は椅子から立ち上がった。


「食事の邪魔をしちゃってすみませんでした。どうしても最近の翼さんの様子が気になっちゃって」

「いえ、そんな」


 翼が慌てて立ち上がる。座ったままでいないところに、雫の中の翼への評価がまた上がった。


「むしろお礼を言わせてください。 話を聞いていただいて、自分の気持ちを少し整理することができました。ありがとうございます」

「役に立てたならよかったです」


 そう言って、雫は翼の上腕に自分の手を添えた。

 

「また何かあったら相談してください。話くらいいくらでも聞きますから」

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