変わったのは心だけじゃない

 保健室の先生はまだ帰っていなかったおかげで鍵を開けて手当をしてもらえた。

 今でもジンジンと熱を持った痛みがするが、大事にならずに済んだだけましか。

「ごめんなさい」

 花園は何度も僕に謝ってきたが、元はと言えば悪いのはすべて粟屋だ。あいつが手を出すような人間だったことを分かっていなかっただけで、より一層幻滅したあいつに取り合いたくないという気持ちだけが増した。

「まずは何があったのかを教えてもらいますよ。ことによっては警察にも通報しないといけないので」

 坂田先生は冷静ながらも状況をちゃんと把握している。きっとこんなことになってしまった以上、学校交流も終わりだろうな。

 今までの苦労が全部水の泡になってしまう。それ自体はかなり残念だがそれよりも僕と花園が望んだ結末にはきっとなっている。彼の面の皮を剥げるならこんな苦労なんて些細なことだ。

 先生にさっきの出来事について話をする。もちろん先生はさっきの場面を終始見ていたわけではない。だからどうして僕が殴られているなんてことになっているのかももちろん知らない。だが、どうしてそんな状況に陥ったのかの証拠はすんなりと出てきた。

「先生、これ見てくれますか」

 見せたのはあ朱莉がこの間こっそりと僕と粟屋との会話を録音したものだった。そこには彼の暴虐ともいえる内容を示唆する会話があった。

 花園をどこかに連れてくるような命令。それは、たとえ未遂であったとしても彼の心象を悪くするには十分すぎる内容だ。

「なるほど。まぁあの学校であれば分からなくもない……いや、今はもう時代が違いますからそんなことはないですか」

 先生が言うには一昔前、といっても先生が学生だった頃は地元でも有名なガラの悪い人が集まる学校だったらしい。それが公立高校に変わったことでその人の集まりもだんだんと無くなって今は普通の公立高校として成り立っている。

「とりあえず事情は分かりました。今日はみなさん帰りましょう、時間も遅いことですし。さっきの事もありますから夜道には気を付けてくださいね」

 先生は悩みの種を抱えたまま職員室に向かい、僕らを見送った。粟屋も先生と出くわしたことは想定外だったみたいで、結局帰りの花園を襲うなんてことはしなかった。

 翌日のHRでは、不審者情報として登下校に注意するようにという知らせを担任から受けた。やっぱり学校としてはそれくらいしかできることは無いということなんだろうな。

「不審者情報なんて久しぶりに聞いたわ。春はなんか知ってんのか?」

 人志になら言ってもいいかと思ったが、やっぱり巻き込むのもあれだからと言い留まった。だがその逡巡のせいでむしろ感付かれてしまう。

「なんか知ってるんだな。……お前、ずっとなんか考えてるよな」

 確かにそんな気がする。多分トラブルメイカーならぬトラブルエンカウンターなんだろう。語呂が悪すぎるからこんな呼び方は絶対しないだろうけど。

 話しても面白く話だぞと前置きをしても人志は聞きたがったので仕方なく手短に話した。だが話したところで反応は薄く「大変だなお前も」と一言零すだけ。話し損とはこのことだな。

「あともう一つ連絡があります」

 人志にあきれたところで担任は黒表紙を捲って思い出したように言った。

「来週の学校交流会ですが、急遽中止になったので行事を変更して球技大会にするみたいです。今日のLHRに決めちゃうんでそれまでに出たい競技を考えといてくださいね。あ、ちなみに行う競技はこの紙に書いてあるのでここに貼っておきます」

 それを聞いて僕はなんとも言えない気持ちになった。花園が考えて頑張っていたこともこれまでのことも、こんな一つの出来事で全部水に流された気分になったからだ。煮え切らないこの気持ちはどううればいいんだ。

 携帯を見ても昨日からなんの音沙汰も無い。それまでは毎日何かしらの連絡が入っていたのにだ。本当にこのまま逃げて終わりか?

 疑わしさは放課後まで僕の心を引きずる。授業が終わって、花園が教室に姿を見せて僕の席まで迷うことなく来たので一瞬教室がざわつく。いつもは朱莉が来るはずなのに彼女が来たからだ。

「また変な誤解が……」

「まぁ頑張れよ」

 人志に同情されながら僕は呼ばれた花園と一緒に教室を出る。そのまま生徒会室まで向かうと先に朱莉は呼ばれていたらしく、会長と一緒に机に座って珍しく神妙な面立ちでいた。

「朱莉、そんな顔してどうしたの」

 隣に座るとすぐに彼女はそ理由を答える。

「だってさ、朝に聞いたよね。学校交流会は無くなっちゃったって。これってやっぱり昨日のあの事が原因だよね」

「それは間違い無いと思う。たぶん朱莉が見せたあの音声が決め手になったことも多分確かだろうし、それに昨日から一回も粟屋から連絡が無い。たぶん何かあったんだろうな」

 あいつのことは気になるのは確かだが、こっちから何かコンタクトを取ろうとするのはまた違う。わざわざあいつのために行動しようなんていうのは一ミリも考えられない。

 でもこれではいはい終わりですねと諦めるやつなのかと言われれば絶対に無い。だから何も無いのが逆に不気味だ。

「花園のところには何か連絡は無いの?」

「う~ん、特に変な連絡とかは無いかな。でももう解決でいいんじゃないかな。学校交流会も終わっちゃったし。できることなんて無いよ?」

 電話は突然来た、それも花園の携帯に。相手はもちろん粟屋。このまま無視しようと一度は話合っていたが一向に切れる気配が無いのを見て花園は渋々スピーカーをオンにして電話に出た。

「もしもし?」

「おいっ!お前らどういうことだ!」

 開口一番怒声が生徒会室に響き渡った。花園は何か反論しようとしたが、あまりにも粟屋の圧が強く返す隙も無いほどに詰め寄った言葉に全員ただ唖然と聞くしかない。

「お前ら、覚えてろ。どうなっても知らないからな」

 最後にチンピラみたいな捨て台詞を吐いて彼は電話を切った。とは言ってもそこまで彼の言葉は響いてこない。もし襲ってくるとしたら通学路の間。人の多い場所を通る関係上、襲われる可能性があるのは人通りが急に減る学校の周りくらいのはずだ。

 だがそこも生徒が行き来する関係でほとんど安全と言って良かった。彼の報復の危険度はかなり低いと僕なりに考える。

 昨日の話の続きをしようと坂田先生は僕達を探していたみたいで、生徒会室に来てからしばらくして部屋に入ってきた。

「良かった。どうやら怪我はそこまで酷くないみたいですね」

 僕の怪我を確認して良かったと安堵の息を落とす。本題はもちろんそれではないので、昨日の出来事を確認ついでに結局粟屋についてどうなったのかを伝えに来てくれたみたいだ。

「一応あの後ね、警察に通報して色々話をしたんだよ。勝手に返しちゃったことは怒られたけど証拠があったりしたことやその場でそれ以上の事件に発展しなくて良かったという風に言われたんだ。で、その話が相手方の学校まで伝えられて結局その後すぐに粟屋くんは退学、それに加わっていたとされている残る生徒も同じ学校だったみたいで彼らも同じく退学処置になったってことみたいだよ」

 退学、その言葉を聞いたとき心のどこかで喜んでいる自分がいた。

 安堵よりも喜びを先に感じたのはきっと僕だけじゃない。花園もそう感じていたはずだ。あの屈辱を感じていた彼女ならこの気持ちを共有できる。

 だけどそんな気持ちを表に出して喜ぶ勇気は無く、静かに彼のことを忘れるようにと心の奥底に存在をしまいこんだ。

「それじゃあ、色々あったけどありがとうね」

 部室の前、彼女はお礼を言いながら生徒会室に戻ろうとする。少しだけ開いた扉の向こうでは日野田先輩が何か言っていた。

「どうだ、役に立ったか?」

「はいっ!二人ともすごく活躍してくれましたよ~!また何か困ったことがあったら頼らせてもらいますね」

「もちろん。いつでも歓迎してるから安心して」

 それは日野田先輩が言うことじゃないような……。

 彼女はそのまま廊下の角を曲がって消えてしまう。一瞬、僕と目が合って満面の笑みを見せたような気がしたのは気のせいだろうか。

 どうなっても知らないと脅しを入れてきた彼は今、不起訴処分なったものの学生としての身分を失ったことで日に日に仕事をするようになったらしい。僕は今も彼にされたことは忘れられないが、いつかこんなことを花園と話していても笑い話になる日がくれば良いなと思う。

「それはね、私があなたの弱みを知っているからだよ。春擬き」

 もう擬きなんかではない。僕は春なのだから。


「お土産、いる人~!」

 小此木先輩の言葉に呼応する声が二人。こんな時だけ一丁前に先輩のような態度を取る日野田先輩に、ただただ元気に返事をする朱莉。それを僕と篠原先輩は苦笑いをしながら眺めていた。

「楽しかったですか、修学旅行は」

「ああ。十分に満喫することができた。そうだ、お前にもお土産がある」

「ありがとうございます」

 そう言って渡されたのは東京土産として最も有名なバナナな土産だった。僕はそれを開けてコーヒーと一緒に食べる。

「おいしい」

 これくらいガヤガヤしている方が良い。三人がわちゃわちゃしている中で篠原先輩と食べるお土産は、とても美味しかった。

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