木漏れ日に照らされて
校舎を出て真っ先に向かった先で、彼女はまだそこに佇んだまま下を向いて何も見ていなかった。息も絶え絶えになりながら木の裏で僕達は立ち止まると彼女にばれないようにそっと身を潜める。彼女の姿は向井も見えているはずで、僕と目が合うとその口は何かを言おうとしていたが言葉にならないままうやむやになる。
「今更、僕が慰めに行けると思ってるのか」
「……行けると思わないと連れてこない」
僕の応えに返す言葉が無いのか、彼は追求するのをやめて彼女を見た。
息が整ってきて頭も冷えたことで向井も僕の頼みに応じる気になったらしい。彼女を一度見るとその気持ちはより強くなって諦めたように大きなため息をつく。
「……琴音は昼ご飯も食べずにずっとここにいるのか?」
「うん。そうだよ」
「それなら琴音の弁当を持ってきてくれないか」
「それならもう人志ってやつに任せてる」
彼は少しだけ驚いた顔をすると笑みをこぼした。僕はどうして彼が笑っているのかも分からないままでいたけど、木の陰から出る直前に言った。
「なんだ、お前ってそんなに周到な奴だったんだな」
僕はそんなことないと言おうとしたけど、返事を聞く前に彼は行ってしまった。携帯で人志に連絡してから僕は彼女たちにばれないようにこっそりとその場を離れた。
まだ昼休みは終わっていない。当然炎天下に自ら身を投じるような特殊性癖を持った人なんて一握りなわけだから教室にはほとんどの生徒が残っていた。
その中に一人、周囲を警戒しながら自分の席に座りながら委員長の席を凝視する不審者がいる。
「痛っ。何すんだ」
「それはこっちのセリフだ。いつからそんな奇行をするようになったんだ。僕はただ弁当を持ってこいって言っただけなのに」
幸いなことに誰もこちらの話に耳を傾けていないので変な騒ぎになることもなくて済んでいる。彼は不貞腐れたように席の監視をやめると肘を突きながらこちらを睨んだ。
「というかなんでお前がここにるんだ。向井ってやつを探しにいったんじゃないのかよ」
「それならもう見つけて連れて行った。僕ができるのはどうせそこまでだし」
なるほどね、と呟いて彼は立ち上がった。仕方が無いと人の間を縫って委員長の席まで行くととなりに掛けられている鞄を探って弁当を取り出す。
あまりにも自然に弁当を取るものだから、他の生徒は人志を注意することなんかできずに彼が教室を出て行くのをただ見送るしか無い。
が、彼はそんなに心の強い人じゃないので階段を降りているときには「死ぬかと思った」と呟いていた。
「もう金輪際お前の頼みなんか聞かん」
「次は僕が聞いてあげるよ」
「言ったな」
彼は僕に弁当を預けると疲れたと言って購買に行ってしまった。きっとアイスでも食べるんだと思う。別れてから僕は弁当を持って静かに移動する。結局こんな時間帯に移動していると嫌でも目立つ。
校舎裏から回ってさっきの場所まで戻ってくるとさっき振った振られたっていう関係とは思えないほどに和やかな表情で互いに顔を見合わせていた。
「弁当、持ってきたよ」
なんて気軽に割り込めるよな感じでは無く、僕は仕方なく二人の会話が落ち着くまで待つことにした。
時刻は一時を回りそう。昼休みが終わりかけて校庭に生徒が集まり始めている時間帯だ。二人の会話も一段落ついて静かな木々の衣が靡く音が聞こえる。
「弁当、持ってきたよ」
やっと言えることができた。僕は堂々と出て委員長に弁当を渡す。彼女からはお礼を言われたが、そんなに大したことはしていない。どちらかと言えば慰めてくれたお礼は向井に、弁当のお礼は人志に言って欲しかった。
「そろそろ再開だな」
「うん。次の種目は僕も審判だから早く行かないと」
僕は先にその場を離れて、すでに準備の位置に着いていた人志に声を掛けた。彼はハチマキをして非常に疲れた顔を見せる。メンタル削られた上でこんな炎天下に晒されたら、確かにそんな顔になるのも頷ける気がした。
「成功か?」
「まぁ、多分。委員長は大丈夫だと思うよ」
後半戦が始まり、生徒の熱は休憩をしたことでさらに増していた。特に後半戦に盛り上がる協議が詰め込まれているということもあって、全員がその競技が行われるのを待ち望んでいる。審判の仕事が終わって、自分のクラスのテントに戻って休んでいると後ろから肩を叩かれて振り向いた。そこには見たことのある人の姿があり、僕は脱いでいた靴を履いてテントの影から出た。
「どうしたの。次の競技は見ないの?」
「安心しろお前も見たいだろうし、手短に済ませる」
人志に離れる事を言うと校舎側のネットに寄りかかりながら話を聞いた。
「僕から約束を破った上でこんなことをお願いするのはアレなんだが、約束を覚えているよな」
「勝負のことなら忘れてないよ」
「まだ、勝負してくれる気にはなってるか?」
勝負。もう意味の無くなってしまった勝負は、僕からすれば終わったものだと心の内では思っている。ただ、それも彼の捉え方次第というのが本音だ。彼があの勝負の約束を無かったことにしたくないなら、僕はもちろん勝負を受けることを拒んだりしない。
あの時に止められなかったのは僕の責任だし、彼が口から滑らせてしまった言葉を戻すこともできないのはもちろんだけど、じゃあ彼と勝負することが本当に意味の無い行為なのかと言われたら、それは違うと僕は応えると思う。
「良いよ。君が勝てばただ約束の順番が違っただけで何も間違ったことはしていないし、僕が勝ったら君は自分の思いに正直になったってことでいいと思う」
「……ありがとう。ならその勝負、負けられないな」
向井が安堵した様子でその場を去ると、校庭の方で大きな歓声のようなものが響いた。どうやら僅差でAクラスが勝ったらしく、校庭を挟んで喜びと悲しみの声が選手を挟み込んでいた。次の競技は僕達が出る百メートル走だ。すぐに行かないと。外していたハチマキを頭に巻いてテントから出るとき、ちょうど後ろの方で座っていた人志に声を掛けられた。
「絶対勝てよ、春」
僕は彼の手を叩くと、入場門の方へと向かった。
退場する生徒たちが遠目に見えて僕達の参加する競技名が呼ばれる。一人挟んだ場所に向井がいて、気持ちを引き締めるようにハチマキを今一度強く結んでいる。
じりじりと照るその日差しは僕の頬に一筋の汗を流す。走順は5番目。あと十分くらいはここに留まらないといけないと思うと億劫だった。だけど時間が過ぎるのはあっという間。僕達の出番はすぐに回ってくる。
「次の方、並んでください」
誘導の人によって九人が一列に並ばされる。奥では走り終わった生徒とそれを捕まえた審判が順位の書かれた旗の位置に生徒を向かわせていた。ピストルを構えた審判が火薬を補充し、旗係は準備ができたとこちらに向けて旗を揚げる。
「位置に着いて」
掛け声がした。その瞬間に、全員がクラウチングのポーズをして肩膝を地面に突く。この日の熱さを一身に背負った地面はカラカラとした上で鉄板のように熱く、鳴り響く音に耳を澄ませると周りから聞こえていたはずの生徒たちの声が不思議と遠ざかっていくような感じがした。
「よーい」
音がした瞬間に僕は足を動かした。こういうので走るとき、ゆっくりと体を起き上がらせながら腕を振って走れば良いと聞くけれど、あれは本当に確かなことなんだなと最近初めて知った。
50メートルを超えるまで、距離の差はみんなほとんど同じで前には誰も見えない。だけど後半戦は違う。残っている全部の力を振り絞って走るんだ。それはそれはもう疲れる。だけどその勢いのまま走ることができるなら、きっと僕の視界には誰も映らない。
ゴールテープを切ったのは誰か?
僕の体に纏わり付くそれは、勝利を知らせる祝福だった。
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