笑顔を向ける相手

 クラスごとに集まったその日、100メートル走を誰が走るかという議論になった時に僕は真っ先に手を挙げてそのまま採用された。順々に話し合っていた競技決めはやっぱり点数配分が高めのリレーに時間が割かれる。

 すでに出る種目が決まってしまった生徒もいるなかでの話し合いに時間をかけるわけにはいかないと、すでに競技が決まった生徒は各々練習に向かってて良いと言われたので続々と生徒が外に向かった。体育祭実行委員であるのに先に出てしまってもいいのか?とも思ったが、まだ人志もいたし他の学年の実行委員も残っていたので遠慮なく先に練習させてもらうことにして僕もその人の波に続いて校庭へと繰り出した。

「なんだ、ちゃんと約束は守るみたいだな」

 校庭にはもうたくさんの生徒が練習を始めていて、それを見ると本格的に体育祭が近づいてきていると感じる。その雑踏の中に言い争った相手はゆっくりと温まったその体を止めた。

「そこまで僕は薄情じゃない。君がどう思っているのかは知らないけどね」

 靴の踵を地面で叩いて直した僕はうずうずとした彼の足を見て、先にゆっくりと走り出した。それを見た彼はもちろん僕の隣に並ぶように続いてきた。

 走る練習する生徒もいれば二人三脚を練習する生徒、呆ける生徒を探す方が難しかった。全員が勝ちたいと思って練習していて今僕もその中にいる。

 グラウンドを一周した頃、向井はちょうどいいだろうと僕に提案をした。

「そうだ、タイミングも良い。今の時点でどっちが速いか勝負しないか?」

 もし差があったところで、残りの日数でその差を埋められるほどの努力ができるのかは分からない。ただ、彼の挑発的なその誘いを断る理由もないので僕たちはそのままちょうどトラックの真ん中くらいのところで止まった。

「合図は任せるよ」

「じゃあ遠慮なく」

 この高校の競技は基本的にクラウチングスタートを採用している。どちらも腰をかがめて準備を整えると向井の声が響いた。

「用意…………スタート」

 それはほとんど同時だったと思う。半周しかない一分にも満たないその戦いはあっけなく終わるものなのにあっけなく済ませたくないと思ってしまう。

 踏みしめる地面の感触、懸命に振る腕、微かに匂う土の香り。

 まだ終わりはそこではないぞ、と50メートルを過ぎたところで体が苦しいと叫ぶのを無視して走る。僕の目の前には校庭が回る様にあって、追い越されていないと分かった僕は最後の力を出して残りを走り切った。

 勝者がいたのかいなかったのか。審判がいるわけじゃないから分からないが、僕の視界に彼は最後まで映らなかった。久しぶりの全力疾走は応えるな。息を切らしながら他の人の邪魔にならないようにトラックの内側にしゃがみこんだ。

「それで、どっちが勝った?」

 相手もまた、息を切らして膝に手をついている。が、すぐに立ち上がって息を整えてしまった。現役で何かやってるのだろうか、さすがだ。

「あいこだ。口だけじゃないんだな」

 彼はきっぱりと言うと僕に手を出して立ち上がらせてもらう。その表情には悪意を一切感じないただ純粋に感心した彼の心の内を映していた。

 立ち上がった僕を見ると彼はすぐにまた今度なと言って行ってしまう。そんなにすぐに行ってしまうのかと思いつつも、きっと今ごろ他の種目も決まってクラスの団体競技の練習も始まる頃合いだったので良かった。僕はさっきまでいた教室に戻ることにする。

「あ、来た来た」

 人志は教室に入ろうとした僕をすぐに見つけて手招きする。中に入りそこに残っていたのは、僕が出ていった時とは違って実行委員のみが教室の中央で話し合っている状態だ。黒板には端から端まで書かれた種目に生徒の名前がひたすらに書かれていて、チョークで書かれた部分の方が多いんじゃないかと思うくらいだった。

「どうだ、これで良いと思うか?」

「良いも何も、まずは全員が何かしらの種目に出るように調節するのが先なんじゃないか」

「もちろんそれは終わってるって。その上で余った枠に誰を入れるかって話だよ」

 僕が向井と勝負をしている間にすでそのあたりのことは終わらせていたのか。少し申し訳なく思いながら黒板に書かれた競技を見る。余っている枠は二人三脚と、砲丸投げ。……砲丸投げ?

「高校っていうのはこんな競技まであるの?」

「らしい。俺も最初見た時はびっくりしたな」

 先輩たちも同じような感想を抱いていたが、それよりもここで僕がちゃんと資料を読んでないことがばれたので叱られた。

「まぁそれは良いじゃないですか。それより競技の方決めないと」

 人志が軌道修正してくれたおかげで助かった。それに納得した先輩方はそれぞれの競技について考えていたが、三年生の先輩がいいことを思いついたようで僕らの方を見て頷いた。

「二人で二人三脚をする気はないか?」

 同時に二人して顔を見合わせたわけだが、そんなことを考えてもいなかったために笑いながらその提案を流そうと試みる。

「どうしてそう思うんですか?こう見えて、俺たちあんまり仲良くなくて」

「そうですよ。息も合うかどうか分からないですし……」

 言動に反して、珍しくこの時の二人の息はぴったりだった。どっちも必要以上に競技にには出たくないという意見は合致していたからこそ、自ずとどちらも考え直すように先輩方に訴える。

「はっ!でも今の二人は息ぴったりだぞ。案外上手くいくんじゃないか?」

 一人がそんなことを言い出してしまったがために他の先輩方も確かにそうかもなんていう勘違いを起こし、意見が傾いたこの場での説得はもう無理だと僕たちは諦めてその運命を受け入れることにした。

「なら砲丸投げの方は先輩たちでどうにかしてくださいよ」

「ということは二人三脚はしてくれるってことで良いか?」

「……良いですよ。なぁ人志」

「あぁ」

 もう決まったことには興味がないといった感じで椅子を二つ並べて寝転がっている。いや、もう少し頑張れよ。

 そうして確認を済ませたと思うと先輩がたは皆、どこか安心した様子で息を吐く。どういうことか分からなかった僕はなんで安心してるか聞いた。

「砲丸投げの話し合い、しなくていいんですか?」

「ごめん、言ってなかったんだけどさ。こいつ一年二年とずっと砲丸投げやってるんだ。だからそっちは話し合う必要が無いっていうかなんて言うか」

 すでに言質を取った後だからか少し申し訳なさそうに言っているのが悪意を割り増ししている。完全に騙された。

 これには僕も手で頭を抱えるしかない。

「済まんな。俺はこの通り二人三脚はは苦手だからな。他の走る競技もあんまりできないし、ここくらいしか頑張れるところもないんだ。だから、なっ?お互い頑張ろうぜ?」

 先輩が握手を求めるので僕は渋々それに応じた。それすらもなんか言いくるめられている気がしてならないのは気のせいだろうか。

「ともかくこれで全部決まったね。体育祭まで時間もないわけだし、あとちょっとだけど頑張ろう!」

 三年の先輩はその小さな体でとても力強く掛け声をした。それにみんなが連なって士気を高める。いつの間にか寝ていたはずの人志も立っていた。彼女はそれを先生に提出してくるといってもう一人の砲丸投げをするといった男子生徒と行ってしまう。

「じゃあ私たちも学年種目の練習とかあるし行こっか」

 二年生の先輩と一緒に校庭に出てから、みんなを集めて日が沈むまで練習をした。

 そして残念なことに一難去ってないのに一難が降って来る。まだ僕たちには頑張らないといけないことが残っているらしい。

 

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