胡蝶夢跡綺譚

夢鳥瑶乳

胡蝶夢跡綺譚由縁 序章


この物語は、いや、人の歴史というのは脚色にまみれた紛れもない真実である。

真実など誰も興味は無い。人が求めるのは娯楽性ただそれだけである。自分が楽しめる都合の良い解釈を作りそれが時代を経りながら伝聞していずれ真になるのだ。ではそれが自分らにとって都合の悪いものなら?そう、なら新しい歴史を作りあげればいいのだ。

ただ、私たちは本当の事に娯楽性をいれるだけ。本当よ。むしろ私たちはただ事実をそのまま伝えたいのだけれど、娯楽を入れなければ人は注目してくれないんだもの。


「準備はいい?お兄ちゃん」


ふわりとウェーブがかかった猫っ毛の白髪を無邪気に揺らした、凛々しい顔つきの少女は、正面で筆を手にもつ少年に問いかけた。

少年は少女と鏡あわせのような顔立ちだが、明るさを持ち合わせた少女とは違い、人生に疲れたような憂いを帯びている。いや、これは少女の明るさにやや疲弊しているような感じである。単ではなく狩衣を少女も着ていたら少女の方が男性らしく見えるだろう。


「ああ、始めてくれ」


それを聞くと、”少女”は「すう」と小さく呼吸をし、低めのしとやかな声でこう謳う。


「安倍泰成と玉藻の前が”息子”、安倍安行が申します-----」


これは彼らの父と母の名誉を取り戻すためのふることぶみだ。




ーーーー

後白河院平安末期の御時、陰陽師がいた。その男は天才陰陽師、指御子として名が知れ渡る者であった。名を安倍泰親という。


そんな彼のもとに白玉のような美しい光り輝く子が生まれた。真珠のような白い肌、大きな黒目がちな瞳、濡れ羽色の産毛を生やした子供の肌は柔らかく暖かく手にしっとりと馴染む。

母親の美しさが似たのだ。母親は子を産んで死んでしまった為、忘れ形見としても泰親に溺愛された。

末息子だが3、4男辺りに置いてもいいのでは無いかと冗談を言わせるくらいに愛らしかった。


その赤子は千枝松という幼名をつけられ皆から甘やかされた。


千枝松は「ちちうえ」と泰親を呼ぶと「どうした?」と千枝松を抱き上げる。これがたまらなく良かった。大柄な父の胸に抱かれるとなんとも言えない心強さを貰えたからだ。それにこうなると、他の年の離れた兄弟が「父上いい加減仕事に集中してくださいませ!」と言いながら泰親から千枝松を取り上げる。すると兄弟は兄弟で千枝松に絆されて仕事に集中しなくなる。何なら「いっしょにおしごとします」と言うと「そうかそうか」と膝において構ってくれる。これが甘えん坊末っ子の特権だった。


しかし、3歳になった頃、千枝松の周りの者が体調を崩した。彼の父親である泰親もこのまま噂が広がれば回り回って自分の評判に関わることを危惧した。




・・・






「ちょっといいかな、葛の葉大婆さま、千枝松」


泰親は葛の葉のいる部屋を訪れた。泰親はいつもの人たらしな外面を崩し、本来の高慢狡猾気味な表情を葛の葉に向けた。


大婆さまと呼ばれるのに似つかわしくない涼やかな顔立ちの美女は「はい」と千枝松を抱いたまま泰親の方を向いた。実際、泰親も彼女が先祖である安倍晴明の母であることは知っているが、年齢は正確には分からない。

彼女は尼なのか、くせっ毛がちな柔らかい黒髪を短く整えている。そこからちらりと覗く白い肌は尼であることはわかっていても我がものにしたくなる甘美な誘惑であろう。筆で一筆書きしたような切れ長な目を泰親に向ける。それも肉親でない男が見れば色めき立つものであろう。尼削ぎ風にしているのが実に勿体ない。

泰親はそんな彼女を他所に彼女に抱かれ「ちちうえちちうえ!」と言う千枝松に「あーん父上よー」と構っていた。


「あぁ、じゃないじゃない。例の皆の体調だがあれは恐らくこの千枝松が原因だよね」

「貴方浮かれて気づいてなかったですものね」

「なんで気づいてんのに教えてくれなかったのよん」


葛の葉は人ではない。その為指御子である泰親よりも何かを感じる能力は上であったりする。泰親は彼女を相談役として重宝していた。


「指御子が浮かれて気づかないくらいには初めは弱かったからですよ!私だって恐れるものでは無いと思っていましたが、皆が体調を崩し始めた辺りから途端に力が強くなってきて。しかも私も神聖な狐ッ!ですから、このような力が効きにくいのでそこまで問題視してませんでしたわ」

「とにかく、このままでは頑張って上げたボクの評判が下がるからね。なんとかせねばと千枝松を視たんだけどこれ特殊な力よね。ここでは呪力と呼ぼうじゃないか。で、これ呪力にいいと思うんだよねぇ」


泰親は一枚の呪符を袖の内から出し、葛の葉に渡した。受け取った葛の葉は自身の体が軽くなるのを感じた。


「どう?いくら婆さまでもいつまでもこの子の力を浴びるのはきついんじゃない?ボクもつけてるけど今のとこなんともないねぇ」

「いいですわねこれ。でも周りの人じゃなくてこの子に付ける呪符の方がいいのでは?」

「だからさぁこれも作ってみたの」


泰親はもう1枚別の呪符を取りだし、千枝松の胸元に差し込んだ。そして2人は自身の呪符を外してみた。2人の体にはズシッとした重みが来た。


「...ダメっぽいね」

「ええ」

「で、お願いあるんだけどさ。

大婆さま、陸奥に行く勇気ある?」

「.........は?」

突然の発言に葛の葉は驚いた。

「いやぁね、この子の力を抑える神社が陸奥にあるっぽいのよ。理由はぜーんぜん分からないんだけど占ったら出てきてね。ほら、ボク天才じゃない?見つけちゃうのよこれがさぁ!

それにこの子成長するにつれて力増すよきっと。だったらそこで力を抑えた方がこの子のためになると思うよ」

「それは千枝松を遠くに置きたいということですか?」

「あのねぇ、僕のこの子の溺愛ぶりを見てそれを言う?この子を思ってだよ。それに葛の葉大婆さまにこの子を預けたらいい子になりそうじゃないか!というわけでよろしくね!」


強引な泰親の発言に葛の葉は納得していなかったがこの子を想ってならば仕方ない。と渋々承諾した。


「千枝松、父上とはもうしばらく会えなくなるけど、元気に過ごすのだよ。」

「やだ!なんで?ちちうえ!嫌です!」

「うん、そうだよな。ごめんね。」

「やだ、やだやだっ!」


こうして泣きながら泰親にしがみつくと、泰親はそれを無理に放そうとはせずただ千枝松の柔らかく細い髪を撫で続けた。


「大丈夫、いつか父上が会いに行くからな」



こうして陸奥国刈田のとある神社で過ごすこととなった。







「千枝松、今日の勉強はここまで。外で遊んでいらっしゃいませ」

「葛の葉大ばあ様も一緒に!」

「分かりました」


「生き物は触らないでくださいね。弱ってしまいますから」

「うん」


その聞き付けを守りせっせと花で王冠を作る。

遠くから狐耳と尾のついた女房が走りながら二人に呼びかける。


「千枝松殿~!葛の葉の前~!こちらをどぉ~ぞ~!」


その女房が差し出してきたのは水菓子であった。

「貴方、気遣いは有難いけども走りながら大きな声を出すなんてねぇ~!!!」


葛の葉の女房にガミガミ𠮟りつける日常茶飯事をよそに千枝松はその水菓子を口に運んだ。


「…あれ、これこんな味だったっけ」


甘酸っぱくて美味しい。でも、千枝松の記憶ではその水菓子は甘味だけ溢れたものであったのに。


「 もしかして腐ってましたか!?」


女房は慌てて千枝太郎の食べかけの水菓子に被りついた。


「あら、美味しい桃ですわよ。」


その反応に葛の葉も安堵のため息をついた。


「いっぱいありますから、お二人共どうぞ沢山召し上がれ」


ドバドバと桃を袖から出した。


「あら、こんな高級品沢山あるならわたくしの分はいいから女房たちで分け合いなさいな」

「! さすが葛の葉の前!私達︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎神使‪”‬の鏡!大好きですわ~!!!!!」


ガバっと葛の葉に女房は抱きつく。


「ちょっと、はしたないわよ!」


といいつつもまんざらでもなさそうな表情をする葛の葉を微笑ましく眺めた。


「ん。皆でいっぱい食べてくれ」


花の王冠を女房の頭に載せながら千枝松は言った。


「やだぁ!千枝松殿も!!!」


女房は千枝松にも抱きついた。いつまでもこんな温かい日常が続けばいいなと願いながら。


「葛の葉御前!」


するとまた別の女房が走りながらやってきた。


「緊急事態なので失礼いたします。先程、夕顔が倒れたので帰しました。」

「呪符はきちんとつけていた?」

「はい。しかし呪力を貯めこみ、使えない状態になっていました。」

「女房たちに自分の呪符が呪力を吸収仕切っていないか確認させるようにして」

「はい。」


そう葛の葉が命令するやいなや、事態を告げた女房は足早に他の女房のところへ向かった。

また水菓子の女房もそれについて行った。


「思った以上に呪力が成長して言っている...」


葛の葉は重い顔で呟いた。その隣で同じ顔で俯いていた千枝松も呟いた。


「...わたしのせいだ」

「違います!貴方は何も悪くありません!貴方はただそういう体質で生まれてきてしまった

だけ!」


そう千枝松の肩を掴んで説得していると、その肩に蝶が舞い降りてきた。そしてその蝶は方に触れるやいなや溶けてなくなった。



「こうやって生き物を殺す吾が?

家族は京にいるのに人に危害を与えてしまうために人里離れた境内に居て、呪力に多少耐性のある、神に仕えし狐を女房にしている吾が?」

「でも悪いのは呪力で...!」

「その呪力を持っているのは吾だ!吾は1人になるしかないんだ!」

「お黙り!」


葛の葉は千枝松をギッと睨みつけた。


「わたくしは絶っっ対に貴方から離れません!呪力なんか効かない体にあともう少しでなる

んですから!!!現に私は他の女房よりずっっと耐性あるんですからね!

それに皆、貴方を邪険にしてここに置いている訳ではありません。貴方の父、安倍泰親は貴方の呪力が外に漏れない場所を見つけ、我々神使なら耐久性のある呪符を開発しました。女房達だって呪符をつけながら甲斐甲斐しく貴方の世話をしています。これに愛以外の何があるってんですか。」


ふぅと葛の葉は一呼吸を置いた。


「いいですか、それに私は、貴方の大ばあ様は貴方が望む限りずっと傍にいますから」

「...うん。ぜったいだよ」


ボロボロ2人は涙を流した。千枝松にとっての光は葛の葉だけだった。

しかし数日後、ばたばたと女房達が暇を出した。原因は千枝松の呪力に耐えられなくなったからだ。皆、涙ながらに最後千枝松に挨拶をするのだ。


「千枝松殿、貴方は父上(やすちか)のように立派な陰陽師になって安部家を支えるのです

よ。貴方はお優しい子。私、貴方にもらった花の王冠、今でも大事に持っていますのよ。」


そう鼻声で、最後に水菓子を与えた女房は千枝松の頭を愛おしそうに撫でた。


「いつか、花の王冠毎日届けるから・・・」


その言葉を涙に溢れながら聞き、女房は去った。

これでもう残ったのは葛の葉だけだった。

葛の葉は千枝松の身の回りをすべて管理した。(千枝松が転んで助ける描写、勉強を教える描写、遊ぶ描写を挿入?)本当に宣言通り彼女が千枝松の傍を離れることはなかった。


「ばあ様、汚れたから着替えてきます。」

「ええ。洗って着替えてらっしゃい。わたくしは夕飯を用意しますから。」

そしてそれぞれ向かうべき場所に向かった。

「ええと着替え・・・」


女房がいたころは女房や葛の葉がしてくれたが、葛の葉がしかいない今、最低限は自分でやらなくてはいけない為、自分の着替えの場所などは把握していた。


「あれこれは」


葛の葉が使っている机が珍しく散らかっていた。そこには細々と千枝松の呪力について記載がされていた。そしてその予防や対策についても研究がなされていることが伺われ、父の泰親との呪力についての手紙もあるようであった。


「ばあ様・・・」


その葛の葉の胆力に千枝松は感動した。本当に彼女は千枝松の呪力を克服しようとしているのだ。


「どれ、さすがに狩衣を一人で着るのは大変でしょうから手伝いますよ」


突然葛の葉がやってきて、千枝松が机の上の物を見ているのを発見した。


「あら。散らかっていますね。すみません。」


葛の葉は淡々と片づけた。


「ばあ様、いつもありがとう」

「はいはい、どういたしまして。」


そうそっけなく言いながら千枝松の頬をつく指はほんのりと熱を帯びていた。

こうして14年の月日が経った。


「葛の葉」

「重い!!!あなた大きいんだからおどきなさいな”泰成”殿」


14年の間に千枝松は元服して泰成という名になり、身体も大きく成長していた。

そんな泰成は作業をしている葛の葉の背中に背を持たれている。


「ええだって」

「ええだってもありますか。わたくしも大柄ですが、さらに大柄な貴方を支えるほど私の体

は大きくありません」

「...そうかすまなんだ」


葛の葉から離れ、姿勢を正した泰成は悲しそうに俯いた。泰成は葛の葉しかいなくなって以降、極度に甘えたがりになってしまっていた。


「あーもう、ここ!わたくしの横にいなされ!」

「!やはり葛の葉は優しいなぁ」

「もう、あの子のような子供は出したくありませんから」


葛の葉は泰成の肩を抱き寄せた。


「あの子とは?」

「...貴方の先祖であり、私の息子清明です。わたくしは実の子を諸事情があり育ててあげられなかったのです。だから泰成、せめてあなたには孤独な思いをさせたくないのです。」


清明は泰成の6代前の先祖である天才陰陽師であった。泰成を見つめる葛の葉の目は泰成を通して清明を見ているようだった。


「何があろうとも」


その言葉は泰成にとっては希望の光だった。対して葛の葉にとっても泰成は自らの息子にできなかったことを果たせる存在であった。


ばたり


葛の葉が音を立てて倒れた。

その瞬間昔駆けてきた女房が発した「先程、他の女房が倒れた為に帰した」という旨の発言が

フラッシュバックした。


「葛の葉!」


倒れた葛の葉はゴフッと咳をしながら吐血した。


「すまない、見るぞ!」


泰成は葛の葉の呪符を確認する為に彼女の服の襟を開けた。すると彼女にはおびただしい数の呪符が貼られていた。そしてその呪符は全て黒く染まっていた。

泰成は直感的に感じた。自分の呪力はもう、葛の葉でも耐えられないほど強力になっているのだと。

絶望を感じた泰成を見て葛の葉は真っ先に否定した。


「違います、これは私が呪符を新しくするのを忘れていただ」

「そんなわけないだろ」

「貴方は悪くないのです。ただ呪力が強いだけで」

あの時と同じ台詞を葛の葉は言った。

「こんなに血を吐かせるような人間が悪くないわけなかろう!」


泰成は顔をぐちゃぐちゃにしながら葛の葉に言った。


「ばあさま、もう、京にお戻りください。貴方と居られないことよりも、貴方がこの世からいなくなることのほうがずっと嫌だ。」


これを聞いた葛の葉は京に帰ることしかできなかった。


「…さよならなんて言いませんよ。でも絶対に帰ってきます。絶対に。」


そう言い残し、この刈田の馬頭山から出ていった。


「さようなら葛の葉ばあ様」


葛の葉の小さくなった背中を見ながら、一人そう呟いた。

だってあの状態から察するに彼女は自分の呪力を克服できるわけがない。


「…それに吾がいなくなれば済む話なのだから」


唯一自分の呪力に耐えられた愛しい家族が居なくなってしまったのだから、このまま孤独に暮らして何の利点があるだろうか?ましてや他人に取ってみればこの生ける毒のような存在は死んだほうがいいだろう。自分なんか死んだほうがいいのだ。短刀で髻を切り、首筋に当てがる。


「さようならばあ様」


再度この言葉を口にした。今度はある意味絶望から解き放たれた安らかな声色で。

その瞬間泰成の鼻に小さな蝶が止まった。その蝶は溶けることなく鼻の上でヒラヒラと羽を揺らしている。


「何故無事なのだ」


泰成はその蝶が自身についても溶けないのかが不思議だった。しかしその蝶はヒラヒラと優雅に泰成の鼻を去り、空へ舞った。


「まて!」


泰成は首にあてがった短刀を捨て、つかさずその蝶を追いかけた。あの蝶が自分の体質の解決への糸口かもしれないと思いながら。

蝶は山の奥へ奥へと向かった。そこは天然の湯が湧き出る場所であった。

ゆらゆら揺れる蝶が止まったのはその湯の中で寝ている大柄な女の鼻の先であった。

あまりに死んだように眠っているので泰成は女を湯から出してやろうか、と思ったが自分の体質もあるからどうしようかとあたふたした。


一方、鼻に蝶が止まった途端その女はぱっちりと目を開け、泰成の方を見た。

その瞳はその湯の水色と浮かぶ藻の緑を混ぜ合わせたような綺麗な色、所謂浅葱色であった。


泰成はその女の瞳を見るととてつもなく魅了された。そんなわけで泰成は口を滑らせてしまったのだ。


「吾と結婚してはくれないか」


浅葱色の瞳の女はもちろんこう答えた。


「何言ってんだお前」


これが後世、大罪を犯したと様々な文献で記述される安部泰成と玉藻の前の出会いであった。

しかし先述したようにこの物語は2人の子である我々が真実を記し、安倍泰成と玉藻の前を擁護するものである。

私たちの両親はただひたすらに純粋な愛を求めた清い人々だというのをここに宣言しよう。


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胡蝶夢跡綺譚 夢鳥瑶乳 @yohchi_tamamo

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