第43話 星空一面 その七

 オスプレイに限らず、長期間の航行が可能な宇宙軍の巡宙艦にはトレーニングルームが備わっている。

 目的はもちろん、乗組員などの体力錬成だ。

 特別な軍事機密は一切無いので、室内の各種鍛錬器具はエインツらも使用が許可されている。


 トレーニング器具以外に、この部屋にはもう一つ特徴があった。

 今は一面薄い灰色をしたドーム型の天井を、スイッチ一つで透明にする事も出来る点だ。


 特に持久力を鍛える鍛錬をする上で、外が見えた方が気分転換になる。その要望を取り入れ、天井の透明と不透明の切り替えが可能な仕様となっている。


 その為この部屋は、鍛錬だけでなく、外の景色を見たい人間も利用しに来る。そう二人は説明を受けていた。


 エインツとハルナがトレーニングルームに入室した時、薄い灰色の天井から外は一切見えず、先客は一人もいなかった。

 あったのはベンチプレスやランニングマシーン。各種鍛錬装置と休憩用の簡素なベンチなどである。


 消灯まで一時間半。

 食後であるのも含め、時間的に体を鍛えようと考える人間はいなくても不思議ではない。

 ハルナの弱点を晒す事もないし、名誉も守れる。むしろエインツらにとって好都合であった。


「……エインツの冒険譚を聞いて、改めてエインツは凄いなと思ったんだ。戦闘力はもちろん、場数を踏んでいるなって」


 ハルナは自らの思いを口にする。

 守られるだけでなく、エインツを支えたいという気持ちはぶれないが、拭いきれない恐怖は隠し通せないでいた。


「あの時代は、今よりずっと戦争が身近にあったからな。死にたくなければ、生き延びる為にはどうするか。それを考えるしか無かった」

「その差は決定的だよ……もちろんラルシェも。グラハム様とアリーシャ様もそう。単に魔法の勉強しかしてこなかった私なんか、足元にも及ばないわ」

「よせよ。戦争に揉まれ続けた俺たちとハルナを比べても仕方がない」


 ハルナの発言にエインツは、強めの口調で打ち消しの言葉を口にした。


「……私はラルシェとグラハム様とアリーシャ様と同じように、守られるだけでなくてエインツの力になりたい。それは変わらない。でも、今回の戦いは宇宙で行われる可能性が高い上に、前回のようにはいかない筈だから……」


「極寒の宇宙空間は、氷竜にとって最高の環境だ。加えて無重力。自分が最も力を発揮出来る環境である事に、高い知力のドラゴンが気がついていない筈がない。今度のフォルテアは、格段に手強くなっているだろう」


 エインツがハルナの続きを口にする。

 相手を侮った末に足元をすくわれ、それが原因で死んでしまったら後悔しか残らない。


 仲間に死んでほしくない。そう思うのは当然の事である。

 最悪の未来を回避する。ハルナと自分に言い聞かせる意味でエインツは、現実を直視する。


「前回以上に、より連携が求められるのは間違いない。……そんな中で、暗所恐怖症の自分が足を引っ張るかもしれない。そう言いたいのか?」


 エインツの説明にハルナは無言で頷く。

 精彩を欠くハルナの左手首には、光沢を放つ銀の腕輪が嵌まっていた。


「今日の訓練でもエインツは、初めて操作するハイスピードイージスを、充分に使いこなしていた。このままじゃ私は益々置いていかれる気がして」

「俺がハルナを置いていく訳がないだろ」


「分かってる。でも、その為にも暗所恐怖症は克服したい。星の光が沢山ある宇宙なら、まだ何とかなるかもしれないから」


 ウドペッカ大迷宮での、予期せぬ一幕が強制的に思い出される。

 本音を言えばエインツは、ハルナが身も心もすり減らす、痛々しいところなど見たくはない。


 だが、これはハルナの本音だ。

 自分の意に沿わないからと、彼女の意志を頭ごなしに拒絶する事も出来ない。

 ハルナの意志を否定するという事は、エインツへの愛情も否定するという事だ。

 あり得ない選択肢である


「悪いけどエインツ。私のわがままにつき合ってくれない?」

「……分かった。そこまで言うなら俺は止めない。だが、やばいと思ったら問答無用で終了するからな」

「うん。お願いするね」


 言ってハルナは、胸に手を当てながら深呼吸を繰り返した。ハルナもまた、ウドペッカ大迷宮での記憶を思い出しているらしく、肩は小刻みに震え、顔色は優れない。


 己に暗示をかけているのだろう。

 小声でエインツの為。エインツの為とハルナは、繰り返し呟いていた。


 安心材料があるとすれば、ハルナが口にしたように、宇宙には無数の星の光がある事だ。

 地表と違い、雲に遮られる事も無い。


 一筋の光すら差し込まないウドペッカの完璧な暗闇に比べれば、恐怖が緩和される筈だ……

 頭では理解していても心が全く落ち着かないエインツは、いざとなればハルナの元へ駆けつける体勢を維持する。


「良いよ。エインツ。天井を透明にして明かりも消して」


 固く強張った声でハルナは、明かりと天井の遮蔽を切り替えるスイッチ。その前で陣取るエインツに告げた。


「……いくぞ」


 一瞬だけ迷った後、エインツは声に出してからスイッチを切った。

 直後トレーニングルームは、各種鍛錬機材を備えた天体鑑賞会の場となる。


「あ……あ……」


 色とりどりの星光に流れ星。

 天文好きの人間にとってこの光景は、神がかった恍惚感を与えてくれるが、そうでない者にとってはただ暗いだけの部屋だ。

 それだけで済むのなら、エインツがここまで気を揉む事はない。


 問題は暗闇を人一倍恐れる者

 今のハルナはその最たる存在だ。

 微かな希望は宇宙の深淵に消えた。

 ウドペッカより症状が若干ましというだけで、ハルナが体を震わせているのは、薄闇に覆われていても分かった。


「ハルナ。無理をするなよ」


 ハルナを驚かせないようエインツは、見ているだけの無力感と、駆けつけたい衝動を噛み締めながら静かに声がけする。


「だ、大丈夫。……ウドペッカの時に比べたらこれくらいっ……」


 気丈に振る舞おうとしているが、ウドペッカよりましと言っている時点で、大丈夫でないのは明白だ。

 薄闇の中で鈍く光る銀の腕輪を、エインツは親の仇を見る目で睨む。


 魔帝の再来を阻止するべく考案された銀の腕輪。腕輪に掛けられた魔法は、装備者の精神と能力を損なう方向に作用する。

 ハルナが光魔法を極めた代償に、暗所恐怖症を患ったように。


 それ故に、現代の魔導士のほとんどは、各属性の魔法を極めようとしない。

 仲間の命が掛かっているなど。切羽詰まった理由があったり、よほど特殊な思想の持ち主でない限り、弱点を付与させようと思わないからだ。

 銀の腕輪の拒否を許さない、制度の存在も大きい。


 これらの事が同盟に属する魔導士の質の低下に繋がり、魔帝の杖の跳梁を許しているのではないか? という批判をする派閥もある。

 しかしその派閥をもってすら、銀の腕輪の制度を放棄させるには至っていないのが現状であった。


 今にも崩れ落ちそうなハルナの立ち姿。

 もう限界か?

 エインツが自分の手元に顔を向けた時だった。


「エインツ。スイッチはそのままにして」


 ハルナの揺るぎない声が、エインツの次の行動を制止させる。


「だが!」

「良いから。……ここに来て。私を抱きしめて」


 先ほどまでの虚勢が感じられない、確信がある強い声でハルナは要望した。


「……分かった」


 何を思ってハルナが、抱擁を求めているのかは分からない。

 しかし、恋人が望んでいて。滅茶苦茶な要求でもない。

 断る理由は一つも無かった。


 壁際を離れ、闇の中でも輝く銀髪を目指してエインツは歩く。

 ハルナの元に数歩で辿り着いたエインツは、言われた通り優しく、労るようにハルナの背中に両腕を回した。

 ハルナも同様にエインツを抱きしめ、鍛え上げられたエインツの胸に自らの額を押しつける。

 震えは微塵も伝わってこない。


「やっぱりそうだった」


 ハルナは呟く。

 その声にエインツは、確信と安寧を読み取った。


「……何がやっぱりなんだ?」


 ゼロ距離でのハルナはやはり落ち着く。

 おそらくハルナも、俺と同じ気持ちなのだろう。

 ハルナの銀髪を手で梳きながらエインツは、半ば確信をもって問うた。

 自意識過剰とは思わない。

 些かも怯えていないハルナが、全てを伝えてくれているのだから。


「ウドペッカの時を思い出したの。あの時も、ニクスの後にエインツが明かりを手に来てくれた。その時の安心感は、言葉では言い表せないくらい。だから今回もそうなんじゃないかって」

「……俺もハルナを肌で感じられて、凄え安心する。最高だ」


「私もよ。……今だったら良く分かる。私はエインツが好きで好きで堪らない。ウドペッカでは、エインツの気持ちを考えずにあんな事を言って。……ごめんね」

「昔の話だ。気にするな」


 抗えないほどの恐怖心が、エインツと肌を触れ合う事で沈静化する。

 恋人としてこれ以上の栄誉があろうか。

 計器の針は振り切れている。

 恋慕の情はとっくに最高潮。理性で抑える事は不可能だった。

 手が届く範囲で二人は体を離した。


 例え何百、何千もの視線に晒されていたとしても、今のエインツに止まる気などない。


「「……」」


 以心伝心。一瞬だけ見つめ合った後、二人は何の抵抗もなく唇を重ね合う。

 頭上では永遠の星空が、どこまでも拡がっていた。

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