明治死に戻り令嬢の鬼恋奇譚

淡雪みさ

序章

藤山家の悲劇



 赤く色づく楓の葉が、錦の織物のように美しく散っている。

 冷え冷えとした風が吹きすさぶ中、桔梗ききょうは両手を擦り合わせながら舗装された歩道を歩いていた。

 秋の日はすぐに落ち、暮れるのが早い。


 レンガや石材を用いた洋館が建つ中、街の中心部から少し外れると木造建築の家屋が並んでいる。桔梗の住む帝都には、過ぎ去った時代と新しい時代が共存するかのような独特の雰囲気があった。

 並木とガス灯を配した大通りの歩道を通り抜け、ひっそりと佇んでいる巨大な洋館――桔梗が嫁入りした巨大財閥の名家の邸宅がある。

 玄関を飾るステンドグラスには、由緒正しき名門の証、藤の花を模した藤山家の家紋が輝いていた。

 桔梗がここで過ごすのも五年目。この五年間は、幸せなものだった。


 桔梗が生まれ育った月宮つきのみや家は、華族でありながら貧しかった。

 かつては朝廷の給料で暮らしていたために土地を持たず、明治維新後に収入源を失ったのである。

 さらに、華族としての家格を維持したり、他の華族と交際をしたりするのにも多大な出費が必要だった。

 金融恐慌で華族専用の銀行が破綻してからはもっと生活が苦しくなった。


 爵位を返上しようという話になりかけた時、拾ってくれたのが藤山家の次男である藤山誠二だった。


 藤山家はかつて広大な領地を持っていた大名家由来の家柄で、華族になった後も高い財力を維持していた。

 女学校に通っている間に結婚の話が来ず、周囲から売れ残り扱いされていた桔梗は、誠二からの婚姻の申し込みをこれ幸いと引き受けた。


 しかし桔梗は、何故誠二がそれまで会ったこともなかった自分に縁談を申し込んでくれたのか、未だに腑に落ちていない。


「奥様、おかえりなさいませ」

「酒などわたくし共が買いに行きましたのに」


 帰宅早々、住み込みの女中たちが桔梗の元へ集まってくる。彼女たちは噂好きで、年の近い桔梗にもよく話しかけてくれるのだ。厳格な藤山家の人々よりも、新しく嫁いできた桔梗の方が、彼女たちにとっては声をかけやすいらしい。誠二以外の藤山家の人間に馴染めていない桔梗にとっても、女中たちの存在は有り難いものだった。


「ありがとう。でもこういうものは気持ちが大事だから、自分で手間をかけたかったの」


 少し照れながら言うと、女中たちは顔を見合わせ、「あらあ」と桔梗と誠二の仲をからかうような笑みを浮かべる。


「旦那様とは五年経っても仲がよろしいのね」

「家族が増えるのも時間の問題かしら。うふふ」


 桔梗は、これには曖昧な笑いを返した。

 結婚して五年。誠二との間に夜の営みはなく、寝室も別々である。誠二が夫婦のことについてどう考えているのか、桔梗は聞けぬままだった。

 五年も経てば子供の一人や二人授かっていてもおかしくはない。家の人々には桔梗の側に問題があると思われているかもしれない。

 桔梗は小袖の上に羽織った羽織の袖をきゅっと握った。


 住み込みの下男が無言で傍を通り過ぎていくと、女中たちの意識が一瞬、そちらへ向けられる。彼は昔からこの藤山家におり、若くて体付きがいいのでこの屋敷の女性陣に密かに注目されているようだった。


「あの方、昔からいるだけあって、鷹彦様や誠二様とも仲がよろしいのよね。お話しているところを見たことがあるのだけれど、本当に楽しげな笑顔だったわ」

「ええっ、あの方って笑うのね。いつも必要以上に喋らないのに」


 女中たちは下男の後ろ姿をうっとりした顔でじっと見つめている。女の使用人と男の使用人では仕事内容が異なるため、話したくてもあまり関わる機会がないらしい。

 桔梗は内心、誠二とのことを深堀りされる流れにならなかったことにほっとしていた。


「そういえば桔梗様、お聞きになりまして? 点消方の田辺さん、鬼だったんですって」


 話の移ろいやすい女中が、こそっと桔梗に小さな声で問うてくる。

 点消方というのは街中にあるガス灯の点灯、消灯をする職業の人々だ。夜になるとガス灯を点けて回り、朝が来ると消している。割れたガラスの補修や交換、煤で汚れたガラスを清掃するのも点消方だ。


「……鬼? あの方が?」


 桔梗は信じられず聞き返す。

 田辺という男は、この辺りでは馴染みの点消方だった。黒い法被を着用した親しみやすい中年男性で、毎晩大通りの点灯を行っていた。桔梗も帰り道で何度か喋ったことがある。しかし彼はどこからどう見ても普通の人間だった。


「そう、鬼。夜に人を食っていたところが見つかって、邏卒が捕まえたそうなの」

「いつからだったのですかねえ。最後に会った時は確かに人間だったように思うのだけど……」

「そんなの分からないですよお。鬼が成り代わっても、見かけは本人と全く一緒と言うではないですか」

「ああ、恐ろしい恐ろしい。大昔に封印された鬼の頭領の片割れも、まだどこかに身を潜めていると言うものねえ」

「あなた、それって平安の頃の話でしょう? さすがにもういないわよお」


 平安の御代より日本に巣食う鬼は、人よりも強大な力を持った妖怪だ。

 平安の世には鬼の頭領が存在していた。その鬼は非常に強い力を持ち、本来群れぬはずの他の鬼たちまでをも従わせていたと言われている。手足は八本、頭が二つある異形の鬼で、両の頭は互いに意思を持つが、一つの肉体を共有していたらしい。

 朝廷の陰陽師によって本体を真っ二つに裂かれ、片方の鬼は氷の呪詛によって永久に冷たい地の底に封印されたが、もう片方は逃げたという記録がある。


 統率する鬼の頭領がいなくなって以降、鬼の数は減ってきたとはいえ、明治の世でも絶滅はしていない。


 鬼は喰った人間を模倣する。自分が喰い殺した人間と全く同一の構造を呈し、見かけも全く同一となる。怖いのは、その人間の生前の脳の状態も完全に模倣するために、記憶も知識も全く同一で、家族が話していても相手が本人なのか鬼なのか見分けがつかないことだ。

 鬼と人間の違いは、鬼が人を喰うことと、人間を超える身体能力を持っていることだけ。人間を食べる現場を見つけて初めて、鬼であるということが発覚する場合が多い。


(そういえば最後に会った時、酔ってしまいそうな、妙な匂いがしたような……)


 桔梗がどうにか一週間ほど前の記憶を頭の引き出しの中から引っ張り出していた時、背後から低く冷たい声がした。


「夕飯の支度はどうした?」


 振り返れば、およそこの世の者とは思えないほどに美しい男性が立っている。艷やかな黒髪に白い肌、色っぽく紅い唇。日本人にしては顔がくっきりとしていてどこか西洋的な雰囲気も感じられる、大島紬の着物を身に纏った、端麗な容姿の青年。

 心優しい誠二とどこか似ているのは目元だけで、眼差しからは厳しい印象を受ける。

 その冷ややかな視線を向けられていると、心の芯まで凍り付きそうになる。


 藤山家には四人の子供がいるが、その長男――藤山家の次期当主である藤山鷹彦たかひこのことが、桔梗はどうも苦手だった。



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