集合ポストのぬいぐるみ

 知り合いの女性、A子さんから聞いた話です。


 A子さんがいた高校のクラスメイトに、人形を集めるのが趣味の女生徒が居たらしいんです。ここでは仮にB美さんとしましょう。

 B美さんはクレーンゲームの景品がぬいぐるみだとお小遣いを使い果たすほどに散財する、人形愛が強い人でした。「狭い場所だとぬいぐるみが寂しがる」が彼女の言い分だったそうです。


 その日、B美さんは教室に新しい人形を持ってきていました。“新しい”といっても新品の雰囲気ではなく、どちらかというと使い古された、遊ばれ尽くしたような風体だとA子さんは思ったそうです。

 既製品というよりはハンドメイド品のようでした。毛糸を編んで作られた編みぐるみの少女人形です。お世辞にもクオリティが高いとは言えない代物で、眼のパーツは少し煤けていたそうです。B美さんはその少女人形を休み時間の度にカバンから取り出し、愛おしげに毛糸の髪を撫でていました。

 あまりにも異質なぬいぐるみに、A子さんは少し興味が湧いたそうです。


「それ、相当長い間大切にしているものなの?」

「ううん。これは、昨日“保護”したんだよね」


 B美さんはそう言うと、最近あった出来事を話し始めました。

 その話とその後の顛末が、今もA子さんの頭にこびりついているそうです。


    *    *    *


 アルバイト終わりの帰宅時間でした。帰宅したB美さんは、部屋に入る前にエントランスの集合ポストを確認したそうです。

 B美さんは築40年の公団住宅に母親と2人で住んでいました。建物そのものが老朽化してボロボロで、隣人との交流もそこまでないような団地です。隣の人の苗字が何であるかを気にすることもなく、彼女はポストから新聞や封筒を取り出そうとしました。


 「一番左端のポストに、この子が取り残されてたの」


 ある住人のポストに、人形が詰め込まれていたそうです。

 首だけを野晒しにして生き埋めをするかのように、本来なら封筒やチラシしか入らない投入口に上半身を残してぬいぐるみが捻じ込まれている。B美さんが見たのは、そんな光景でした。

 B美さんは、すぐに「子どもの悪戯だ」と思ったそうです。小さい頃にやるような他愛のない遊びのひとつだ。気にする事でもない。そう思い、その日は何も触る事なく帰宅したそうです。


 次の日も、その次の日も、ぬいぐるみは変わらない位置にありました。B美さんも徐々に他人事にできなくなり、バイトや授業でも例の人形に思いを馳せるようになったそうです。

 遊んでいるうちに元の持ち主に忘れられたのか、それとも不要になって捨てられたのか。B美さんにとって、その人形は飼い主に捨てられたペットに近い存在だったのでしょう。

 気付けば、B美さんはその人形を手に取っていました。その時は窃盗という意識はなく、ただ「懐かしくなった」そうです。


    *    *    *


「この子を見てると昔を思い出すんだよね。どこかで会ったことがあるのかもしれないっていうか……」

「やってることは泥棒だよ? B美、元の持ち主に返したほうがいいよ……」


 呆れながら提案するA子さんに対してもB美さんは上の空で、手慰みのように繊維のほつれた毛糸人形を撫でていたそうです。

 その様子を笑いながら眺めていた別の友人が、何かに気付いたかのように「あっ」と声を上げました。


「胴体に何か挟まってない?」


 手編みの人形なので、ところどころ隙間が空いていたそうです。表面から飛び出していたのは、白い紙の端でした。

 引き抜くのは簡単だったそうです。ちょうど人形の腹の空洞部分に入れられていたのは大学ノートの切れ端を折り畳んだ紙片で、平仮名を習いたての子供のような乱雑な文字が一面に書かれていました。


〈どうかおすくいください〉


 A子さんには、そんな風に読めたそうです。


 それまで和やかだったB美さんの周りが静まり返り、現状を理解しているか怪しい彼女の笑みが教室を包み込みました。

 明らかにヤバい物を拾ってきたのでは? 口には出さずとも、この光景を見た周りの誰もがそう思っていたそうです。それでもB美さんはマイペースに「ポストに入ってたのって手紙を埋めてたから?」というような事を呟いていたらしく、堪らずA子さんが声を上げたそうです。


「今夜のバイト上がり次第、一緒に返しに行くよ!」


 A子さんはそれなりに面倒見がいい性格で、当時は一度首を突っ込むと最後まで関わらないと気が済まない性分でした。B美さんのバイト上がりを見計らって、例の人形を元あった場所に返すまで見届けるつもりだったんです。

 バイト先からの帰り道でも、B美さんは変わらず例の人形を撫でていました。A子さんはその様子を内心で薄気味悪く思いながら、目的地である団地まで歩いたそうです。


 時刻は22時。まだ深夜でもないのに団地全体が薄暗く、部屋の灯りはまばら。入居者はそれなりに居るはずなのに、二人が正面玄関に着くまでに出会った住民は一人もいませんでした。

 正面玄関からエントランスは一部壁のないピロティのような吹き抜けになっていて、駐車場やゴミ置き場と隣接したその場所が実質的な共有スペースになっていたそうです。色褪せた掲示板に貼られた〈ピンクチラシお断り〉などの手書き文字を眺めながら、A子さんは徐々に歩調を緩めました。先導するB美さんが視界に入る位置で、なるべく遠巻きに見ようと思ったそうです。

 A子さんが立ち止まる頃には、数十メートル先のB美さんは集合ポストに辿り着いていました。元の場所に人形を戻すだけの簡単な仕事を見届けて、帰って寝よう。欠伸を噛み殺しながら、A子さんは返却の様子を眺めていたそうです。


「……えっ?」


 聞こえたのは、B美さんの困惑する声でした。A子さんの位置だと遠くからぼんやりとしか見えませんでしたが、何かを見て酷く驚いている様子です。抱えていた例の人形を落としたまま拾うことも忘れ、その顔色は青白いまま俯いていました。


「B美、大丈夫!?」


 慌てて声をかけるA子さんに向かって首を横に振り、B美さんはゆっくりと懐中電灯の光を集合ポストへ照らしました。白い円形の光が銀色のポストに反射し、その光景がA子さんの視界に広がります。


「B美の住んでる部屋以外の全部のポストに、同じ人形が詰まってたんです」


 数十体の人形の煤けた眼が、A子さんたちの方を向いていました。短い腕を外に伸ばして、まるで救いを求めるように。


 B美さんは青い顔で虚ろに笑っていたそうです。自分の部屋番号のポストにだけ空いた不自然な空白を眺めながら。


「これじゃ、うちの家が入れたみたいじゃん」


    *    *    *


 集合ポストに入っていた人形は、すべて人形供養に出されたそうです。B美さん自体がこれ以上の大事おおごとにしたくなかった事もあり、隣人トラブルや嫌がらせとして処理されないよう管理人に連絡などはしなかったらしいんですよ。

 “らしい”というのは、A子さんがその後は噂でしか事情を聞いていないからだそうです。B美さんはその後引っ越しと転校をし、今は誰も行く末を知らない。A子さんは俺にそう言うと、最後に付け足しました。


「B美が例の人形のことを“懐かしい”って言って手放さなかった理由、ずっと考えてたんですよ」


 B美さんが人形を集めるようになったのは、幼い頃に肌身離さず持ち歩いてた人形がきっかけらしいんです。よく友達に話していたことを、A子さんは最近になって思い出したらしくて。

 B美さんが大切にしているぬいぐるみの特徴は、すべて例の人形に当てはまるんです。


 「お母さんが作ったぬいぐるみだ」と、彼女はよく自慢していたそうです。


「偶然だったら良いんですけど。『うちの家が入れたみたい』じゃなくて、本当に彼女のお母さんが入れていたとしたら……」


 引っ越して、彼女は救われたんでしょうか? A子さんは、そう静かに呟きました。

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狐怪談 @fox_0829

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