第48話
「…下手だな」
その言葉が空気を切るように響いた瞬間、絵を見ていた空気が一気に変わった。
それが彼の良さでもあるけど、時々、こうして誰かの気持ちに無遠慮に触れてしまう。
海斗の言葉に悪気がないのはわかってる。
でも、翔くんが描いた絵に向けて言うには、あまりにも無神経で。
流石の翔くんも怒るんじゃ…と、少しだけ身構えた。
「酷いなぁ。それより、海斗が雫ちゃんを送るの?」
翔くんの声が、空気を和らげるように響いた。
怒らないか。
彼はいつも、場の空気を見て、言葉を選んでくれる。
誰かを傷つけないように、誰かを守るように。
ま、その優しさに惚れたんだけど。
「そうだけど」
海斗の返事は短くて、そっけない。
でも、その言葉の中には、ちゃんと私を気にしてくれている気配がある。
送ってくれなくてもいいんだけどなぁ。
そう思いながらも、口には出せなかった。
だって、そう言ったら、きっと海斗は不機嫌になる。
それに、ほんとは少しだけ嬉しかったから。
「てことは、あの噂はデマだったんだね。良かった。ずっと心配してたんだから」
噂。
その言葉に、心が少しざわついた。
誰が言い出したのかもわからないまま、勝手に広まっていた。
皆、それを望んでいるんだろうな。
「デマって?」
海斗の声が少しだけ低くなる。
その声色に、私の心も少し緊張する。
「ほら、2人が別れたって…」
その言葉がはっきり口にされた瞬間、空気が少しだけ重くなった。
翔くんにまで届いてたんだ。
心配してくれてる人がいる。
それが嬉しいような、苦しいような、複雑な気持ちになる。
「あー、信じてる奴いたんだ」
海斗の返しは軽い。
まるで気にしてないみたいな言い方。
「奴とはなんだ奴とは!お兄様に向かって!」
翔くんが急に声を張る。
その言葉に、思わず笑いそうになる。
空気が少しだけ和らいだ。
「そもそも、お前が普段から雫ちゃんに優しくしないからこんな噂が立つんじゃないの?」
その言葉に、胸が少しだけ痛くなる。
翔くんの言うことは、間違ってない。
海斗は優しいけど、それを表に出すのが下手で。
私にだけ、時々見せてくれるその優しさを、他の人は知らない。
だから、誤解される。
だから、噂になる。
でも、私は知ってる。
彼がどれだけ不器用で、どれだけ真っ直ぐで、どれだけ私を大事にしてくれてるか。
それを誰かに説明することはできないけど、私の中にはちゃんとある。
彼の優しさが、私の中に積み重なっている。
だから…。
「噂なんて、暇な奴らが好き勝手に言ってるだけだろ」
その言葉に、少しだけ苛立ちが混ざっていた。
海斗なりに怒ってるのかな。
私たちのことを、勝手に言われることに。
なんてね。
「そんなこと言って、いつ捨てられてもおかしくないんだぞ。ね、雫ちゃん」
捨てられるなんて…。
むしろ、いつ私が捨てられるか。
そんな不安のほうが、ずっとずっと大きい。
海斗は、私にとって特別で。
彼の隣にいることが、私の居場所で。
だからこそ、いつかその隣から外されるんじゃないかって、怖くなる。
翔くんの冗談めいた言葉に、笑って返すこともできたけど、私はただ、海斗の横顔をそっと見つめた。
海斗は何も言わずに、ただ前を見ていた。
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