せっかく農家に転生したので勇者は目指しません
月見里 嘉助
第1話 仕事に疲れたサラリーマンはやはり異世界転生する
僕はいつも後悔していた。
後悔ばかりの日々だ。
あの日、あの時、もっとこうしていたら、もっと違う選択があったんじゃって。
もう少しだけ頑張っていれば……
結局、今の自分を作ったのは他でもない自分で。
今のくそったれな会社、納得いかない状況、みじめな自分……
そのすべては過去の僕の選択の繰り返しで出来上がっている。
それぐらいは気づいたんだ。
今からでも何かをすれば少しは変わるんじゃないかって思うこともある。
でも口ばっかりで、何もしなくて。
最後の最後でもやっぱり何もできなくて……
だからせめて、2度目の人生はもう少しだけ頑張ってみようと思う。
23時15分。
やっと仕事を終える。
PCの電源を落として、帰宅の準備をする。
向かいの席にはチームのメンバーで後輩の佐竹が座っている。
いや、机に突っ伏して寝ている。
今週は、本日土曜日まで深夜残業だった。
先週リリースしたソフトにバグが見つかり、バグの調査、修正に大慌てだった。
そして、まだ修正は完了していない……
一つ原因を発見し修正すると、それによりまた別の問題が発生した。
ソースコードが複雑に入り組んでスパゲッティ化しているのが原因だ。
それもこれも発注者が仕様変更を繰り返し、そのくせ納期を変更しなかったから、まともな物ができあがらなかったんだ。
まあ2割程度はうちのチームの実力不足もあるかもしれない……
うちの会社は基本、週休二日制をうたっている。
しかし、ほとんどのチームは土曜日も休日出勤している。
ソフトウェア開発の下請けの下請けあたりに位置するこの会社では、安い値段で開発を受注するしかない。
会社はそんななか利益を出すために開発費削減を試みる。
すると開発費の大部分を占める人件費の削減となる。
チームの人数をギリギリまで減らすのだ。
いや、ギリギリではなく、もうアウトな人数だ。
そのためどのチームも期間内に開発は終わらず、毎日深夜残業になる。
会社の規則で土日両方を休日出勤することができないのがせめてもの救いで、日曜だけは休める。
チームメンバーはみんな疲弊し、体を、または心を壊し、一人また一人と辞めていく。
もうこの会社はダメだと思っている。
それでも僕はこの会社に残り続けていた。
佐竹には「先輩、すげえっすね。この状況、よく我慢できるっすね。自分、やってられないっすよ」と言われた。
「他の会社だって同じようなもんさ」と答える。
しかし、心の中で僕らのレベルじゃこの程度の会社しかないのさと付け加える。
それでももう少しいい会社に滑り込めるんじゃないかとわずかな希望を持つこともある。
でも結局今の会社を辞められず、体と心をすり減らす日々だ。
会社を辞める勇気がないんだ。
新しい環境に飛び込む勇気がない。
いつか経営陣が変わって、今の会社がよくなってくれれば……
僕はいつも受け身だ。
何も変わらずに死ぬまで今のまま生きていくのだろう。
佐竹を起こし、会社を出る。
フロアにはまだ他のチームが残っているので、照明は消さない。
老朽化したエレベーターに乗り、老朽化したビルを出る。
ビルは大通りから一本入った細い道に面している。
車がすれ違うのにやっとな細い道だ。
正面にはやはり老朽化したビルが迫る。
見上げても空は狭い。
たとえ見晴らしがよくても、空気が汚れ、星空は見えないだろうけど。
時々考える。
何のために生きているのだろうかと。
仕事をして、アパートに帰って寝る。
疲れていて、休日は昼まで眠り、近くの弁当屋で弁当を買い、一本の発泡酒を開ける。
テレビをダラダラと垂れ流し、大学時代にあれだけ読んだ小説も最近は読まない。
歳を取るごとに友人に会うことも減っていき、今はほとんど会うこともなくなった。
こんな生活で彼女ができるはずもなく、そもそも彼女を作ろうとする元気もない。
幸せってなんだっけ?
たまに考えるけど、たぶん僕には流されて生きていく生き方しかできないのだろうと、諦めてもいる。
子供のころ、将来について何も考えていなかったけど、もう少しきちんとした大人になるだろうと漠然と考えてはいたような。
遠い思い出。
「先輩、あれ」
佐竹が指さしたほうを見ると、荷物配送のバンが蛇行運転をして近づいてくる。
こんな細い道で出すスピードではない。
居眠り運転か?
「佐竹、ビルに戻れ!」
「あ、女子高生が!」
僕たちはビルに入るが、女子高生がスマホを見ながら歩いていたのだろう、車に気づくのが遅れて、動けないでいた。
一瞬、彼女と目が合った気がした。
物語の主人公ならこういう場合、彼女を助けるのだろう。
そして死んで異世界転生か?
僕にそんなことができるはずもなく、そもそもとっさに体が動かない。
彼女は車にはねられた。
僕はそれを見ていた。
初めて人が死ぬであろう瞬間を見た。
暴走車は運悪くビルのエントランスに突っ込んできた。
恐怖で体は動かない。
佐竹も動いていない。
僕と佐竹もダメだな。
自分の死について考えたことはあるが、こんな死に方とは思っていなかった。
おんぼろアパートで一人孤独死。
まあ、そんなところと考えていた。
こんなことなら、もう少しかっこよく、彼女を助けて死んだほうがましだったか。
そもそも体も動かなかったからダメなのだけれど。
修正中のプログラムはどうするのだろうか?
他のチームへも引き継ぎができているはずもなく、迷惑をかけそうだ。
設計書も最新に更新できていないし、ずいぶん苦労するだろうな。
せめて修正を完了させてからにしてほしかった。
僕の人生は何も残せなかった人生だったなぁ。
ああ。
母は悲しむだろうか。
悲しむだろうな。
ごめん……
僕がいなくなっても、それでも、難しいかもしれないけれど、幸せに生きて欲しい、と願う。
周りは白い世界だった。
霧の中に浮かんでいるようだ。
重力を感じない。
暑さも寒さもない。
たぶん、死後の世界なのだろう。
死んだら何もなく、無になり、そこで終わり、考えることもなくなると思っていたが、違うということだろうか?
この状態で何年も、何十年も、何千年も存在し続けるのだろうか?
そのうちに僕の意識は徐々に希薄になっていき、消えていくんだろうか?
そちらのほうが良いな。
死んだのならキレイになくなりたい。
『君は消えたいのかい?』
声が聞こえる。
頭の中に直接響く。
男性でも女性でもない、声変わり前の少年のような声だ。
姿は見えない。
声だけ。
それはどうでもいいよ。
もう死んでしまったんだから。
『例えば、生き返れるとしたら、君はどうする?』
生き返る?
例えば10歳のころに戻って、生き返るとか。
そうすれば、きっと別の人生を生きれるかもしれないな。
いや、ないか。
きっと僕は同じ選択をして、同じ人生を歩むだけ……
『そうではなくて、僕の世界でね。君の知識でいうところの異世界転生ってヤツだよ』
あなたの世界?
『そう、僕の世界。僕の世界はまだちょっといろいろ問題があってさ。手を加えたいのだけど、作った僕が直接手を出すのって卑怯じゃない? だから他の世界の人間を引っ張ってみようってね』
あなたは誰。
「僕の世界」ってことは神様ってこと?
『まあ、君の世界でいえば、そんなところさ。僕みたいなのはいっぱいいるんだよ。大したことはないさ』
神様ってだけで大したことはあると思うけど。
『本当に大したことはないのさ。それはそれとして、君はどうする? 僕の世界で生き返るかい? どうせ死んでるのだから、もう一回生きてみてもいいんじゃない?』
どうなんでしょうか。
もう一度生きてみて、今と同じようになるのではないでしょうか。
一生懸命に働いて、寝て、働いて、それだけで終わる。
『まあ、それでいいんじゃない。それで年取って死ねたら。今回のは若く死にすぎでしょ。生きてれば何かいいことあるかもよ』
いいことあるでしょうか。
自分は自分のままで。
結局同じことにしかならないのではないでしょうか。
『いやいや。人生なんてちょっとしたことで変わるでしょ。例えば、そこらへんの石を蹴飛ばしたかどうかだけで大きく変わることだってあったり、なかったり。未来なんてコーヒーに落としたミルクが形を変えるようなもんだよ』
いや、例え下手……
ミルクじゃコーヒーに混ざって、なくなってしまいますよ。
そうですね……
せめて親の死を看取る程度は、今度は生きてみたい。
もう一回生きてみたいと思います。
異世界転生ということはスキルとかいただけるのでしょうか?
『僕もライトノベルっての、読んだからね。ちょっとだけあげよう』
勇者とか賢者とか?
『勇者って勇気出して魔王倒した人のことでしょ。魔王倒す前にはなれないでしょうよ。賢者って賢い人でしょ。それも今までやってきたことで、他の人からそう呼ばれるだけじゃない』
そうですけど。
本当にラノベ読みました?
『読んだよ。モンスターに転生したり、勇者を陰から助けたり、スローライフを目指してみたり』
ちゃんと読んでるのに、その設定って……
『ちょっとだけ他の人より才能あるくらいかなあ。頑張ればいい感じになれるよ』
チートではないんですか?
『チートなんて転生させたら、僕の世界、メチャメチャになっちゃうでしょう?』
いたって真っ当な理由なんですけど、納得はできない。
『まあいいじゃない。僕も忙しいし。じゃあ行こうか』
ちょっと待ってください!
せめて、病気しない体とか、経験値100倍とか……
『まあ、いいじゃない。大丈夫、大丈夫。じゃあさ、バイ。がんばってね!』
こうして、僕は異なる世界に転生した。
軽い性格の神様に適当な感じで送り出された。
それでも感謝はしている。
人生も二度目なら、もう少しうまくやれるんじゃないかと思うんだ。
もう少しだけ幸せになって、もう少しだけまともな終わり方をしたい。
きっと変われるはずなんだ。
人生二度目なら……
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