Day.27『鉱物』

 露さんがくれた香袋のおかげでぐっすり眠れた葵は、いつもより早い時間に目を覚ました。昨日飲んだ梅ソーダのおかげか、身体の中もすっきりしている。


「といっても、まだ五時か〜」


 起きたのが午前四時半。その間に着替えも身支度も終えてしまった。

 まだ陽も昇っていないけれど庭に出てラジオ体操を始めると、早起きの川天狗かわてんぐや鬼の子や狐の耳と尾が生えた子が何事かと覗きに来る。そして見よう見まねで体を動かし始めるのだ。ラジオ体操が終わる頃には大所帯となっていた。

 終わると蜘蛛の子を散らすように、みんなどこかへ走り去ってしまった。恥ずかしがり屋が多いのか、それともまだ警戒しているのか。


「朝っぱらから元気だな」


 後ろからまだ眠たそうな声が聞こえる。蒼寿郎が欠伸をしながら縁側に出てきたところだった。


「そーちゃん、おはよ……わっ?!」


 寝ている時に乱れたのか、浴衣が少しはだけてしまってる。本人はそれに気づいていないみたいで、葵の反応に蒼寿郎はハテナを浮かべて首を傾げるだけだった。


「そーちゃん浴衣の前あいてる!」

「んぁ?  あー、悪い……支度してくる。待ってろ」

「支度?」

「行くんだろ、花畑」


 襟を直しながら襖の向こうに消えていく。

 酔いが残っているわけでもなく、歩き方もまっすぐた。

 お酒は一度、きちんと飲んではみたい。あーちゃんや辻さんと飲むのも楽しそうだ。もし、叶うなら蒼寿郎とも飲めたらいいな。


 暗かった空が明けていく。東が淡いすみれ色に染まり、だんだんと日が昇るにつれてしらしらと明るくなっていく。真上の空が群青に色を変えていく。


 長屋の戸が開いて、中年の女性が畑道具を持って出てきた。葵に気づくと、軽く会釈してこちらに近づいてくる。日除けの帽子を被った女性は、砂かけ婆の美砂子みさこさんだ。


「おはようございます、葵様」

「おはようございます、美砂子みさこさん」


 美砂子さんは家政婦みたいな立ち位置にいる方で、掃除洗濯料理を、妖怪の子どもたちに教えている人でもある。この人も母とも顔なじみで、昨日名乗る前の葵に「百合さんの娘さんですか?」と言ってきたのだ。


「お早いのでございますね」

「はい、ひまわり畑を見に行くんです」

「あぁ、川向うのでございますね」


 はい、と葵は頷く。


「露さんから、朝の方が誰もいなくて綺麗だと聞いたので」

「そうでございましたか。それでしたら……上流の方の橋を渡ったところから行くと迷わないで行けますよ」


 美砂子さんはつと川の上流を指さした。


「橋を渡ったところから、地面に鉱石が埋まってるんです。こう、綺麗な柱型の小さなものなんですけどね。それが道標になっておられますよ」

「道標ですか」

「えぇ。100年くらい前に、ここに鎌鼬かまいたちの兄弟がいたのですけれど、その子たちがひまわり畑をとっても気に入ってね。迷わないようにって埋めたんですよ」

「そうだったんですね」


 なんともかわいらしいエピソードだ。それに美砂子さんが言うには、その鉱石は霊感のない人間には見えないように工夫されているらしい。ひまわり畑のある森の中にも、同じような目印がいくつかあると、細かい場所まで丁寧に教えてくれた。


「蒼寿郎様がいらっしゃいますし、余程のことがない限り、悪い妖怪には遭遇することはございませんよ。ご安心して楽しんでいらっしゃいな」


 美砂子さんと話していると、身支度を整えた蒼寿郎が縁側から庭に出てきた。浴衣姿ではなく、薄い藤色のパーカーとジーンズにサンダルといった出で立ちだ。その足首に、この前あげたミサンガが結ばれている。


「待たせた」

「そんなに待ってないよ」


 そのやりとりを美砂子さんは微笑ましそうにくすくすと笑いながら見ると「それでは、まだお暗いですのでお気をつけて」と畑の方へ歩いていった。



 美砂子さんの教えてくれた通りに、少し歩いたところにある上流の橋から木曽川を渡って岐阜県に入った。


「ん、なんだアレ」


 橋を渡り終える頃、蒼寿郎が指した先、道の脇に水晶の柱のようなものが刺さっている。地面から葵の膝下くらい長さで、よく見ると春の海のような綺麗な色していた。ぼんやりと光を放っていて、明け方のほの暗い時間帯に、淡い青緑色が神秘的に見えた。


「きれい……」

「ミサコが言ってた道標って、これか?」

「そうみたい」


 道の先を見ると、同じようなものが十メートルおきに突き刺さっている。この水晶のような柱を、鎌鼬の兄弟がせっせと埋め立たせている姿が脳裏に浮かぶ。思わずふふっと笑いがこぼれた。


「よくもまぁ、こんなものをたくさん埋めたもんだな」

「そうだね。それだけ迷うのが怖かったんだろうね」


 行くか、とおもむろに蒼寿郎が葵の手を取った。さりげないその行動にドキッと心臓が跳ねる。


「どうした?」

「い、いや……手……」

「あ? 道標があっても、どんな妖怪がいるかもわかんねぇからな」


 手を繋ぐのが当たり前と言わんばかりに握る手に力を込めてくる。繋いだ手はしっかりと男の人のものだった。大きくて、少しゴツゴツしてる。この手であの炎剣を振っているのだと思えば当然のことだけど、想像していたよりもずっと頼もしくて、胸がほのかにざわついた。

 手を繋いだまま大股で柱を辿る蒼寿郎に、引っ張られないように葵も早足で歩き出した。

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