アイアムアドベンチャラー

　背丈の低い草が生え揃う少し湿った草原。一度踏めばくっきり跡を残すだろう。

そんな牧歌的な場所に絹を裂くような絶叫が響いた。

「ア～～～～～～～～プス様ァ～～～～～～～！！

助けてくださ～～～～い！！！！」

背はそこそこに可愛らしさの残った顔立ちの青年が、絹を裂くような絶叫を響かせて疾走していた。

あまりにも必死で不格好な走り姿はある種の滑稽さすら感じさせるだろう。

必死の形相で走る青年はこの場にいない誰かへ思考による会話を試みた。

「（アープス様お願いですから早く助けてください！

でないと貴女の愛しい信徒はオークの棍棒でミンチにされちゃいます！！」

『わ、分かりましたから落ち着いてください御託（みたくし）さん！貴方を追うオークも足の速い種族ではありませんから、長く走れるよう抑えて走ってください』

誰かの声は、焦りで滅茶苦茶な走り方になっている青年を落ち着かせようと必死だ。

御託（みたくし）と呼ばれた青年の後方には、筋肉と脂肪を身に纏った豚面の怪物が数えきれないほど迫っていた。

『御託さん、早く＜祈り＞を捧げてください！アープスの準備は出来ています！』

「リクエストは鉄砲！！拘りなんて気にしてられるか命には代えられん！！

布施も言い値で持ってけえ！！！！」

＜慈愛と抱擁の太陽神よ、苦難の暗夜へ挑む我らに、主の御力（みちから）をお貸しださい＞

走るための手振りを止め、胴の前で手を組み唱えた＜祈り＞は、世界を動かす力となって表れた。

『鉄砲を検索……東京都浅草にて発見、送付します』

「よくも追い回してくれたな怪物どもめ！人類の編み出した兵器に慄……？」

聞こえてきた「東京都浅草」に思わず反応してしまう青年。刹那に走った思考を振り切り、奇跡を受け止めるべく手を前に伸ばし走る。ぱっと光って咲いた花火のような閃光が青年の前で炸裂し、物体を手の内に落とした。

（たしか上の部分を引いて撃つ準備するんだったか。）

「俺の鋼の肉体が欲しけりゃ、代わりにこの鉛玉をくれてやるよ！！」

青年は落ちてきたものを、勝ち誇った顔で怪物たちに向けた。

取り寄せた物品をまじまじと見る青年。

目を大きく開いていた青年は目を鋭く細めると、それを怪物の群れに投げ込んだ。

「アープス様ーーーー！！鉄砲は鉄砲でも……

『豆鉄砲（まめでっぽう）』じゃねェかぁぁぁぁ！」

体を正面に戻し、全力疾走を再開した青年は思わずツッコんだ。

「ちょっとアープス様、これ浅草土産ですよね！？豆鉄砲が効くのは精々鳩なんですよ～～～～！」

『すみませんすみませんすみません！焦るあまり確認を怠っていました！』

ここにはいない誰かの謝罪に返事をする余裕もなく、青年は必死に思考を巡らせる。

「あの数を相手できる程に俺は＜魔術＞に熟達してない。槍を振り回しても多対一で俺が袋叩き！やべーよこれ詰んだ！？」

息が続かなくなってきたか、あるいは焦りが極限まで高まってきたか。段々と青年の顔が青くなってきた。

青年は鉢金の巻いた頭をガンガン殴り、逆転の一手を探して自分の手札を振り返る。

　（俺に扱える＜魔術＞は殺傷能力に乏しい。

相棒（やり）だって一から鍛えてもらった物だけど、数の不利を覆すほど特別なものじゃない。そもそも俺の実力じゃまだムリ……

まともに戦えば俺はひき肉！つまり勝利条件は遁走一択！

ならば、俺が生き残れる唯一解はこう……！）

「クソッタレ……やってやろうじゃねえかよこの野郎！」

青年は急制動し、豚面の怪物たちへ振り返る。

虚勢を振り絞って嘲笑を浮かべ、怪物の注目を集めるように右手でサムズダウン、左手でファックサインを示す。

指の周りとその先には空気が密集したような揺らぎがあった。

「上等だ豚共ォ！ポークソテーと厚切りベーコン、なりてえモン選びなぁ！」

怪物たちの目が、不可思議な形に立てられた指へ集まる。

＜竜巻（たつま）け疾風（はやて）、俺を背に乗せ、世界の果てまで届かせろ＞

＜零（こぼ）れろ種火、薪（たきぎ）に落ち、主の後光で照らし出せ＞

ファックサインの先へ風の奔流が集まり、サムズダウンの先へ火球が点った。三節で唱えられた術であるが、火球は風よりも力強く燃え盛っているように見える。

青年が風の塊と火球を掌で挟み合わせ、地面に叩きつけると──

土煙と閃光を伴う【大火（たいか）】が吹き上がった。

「……ﾌﾟｷﾞｭﾙﾙﾌﾞ?」

「ﾋﾟｷﾞｯｸ｡ﾌﾞﾌﾌｰ」

ぱらぱらと土くれや小石が降り注ぐ中、反射的に腕や手に持った武器で頭を庇っていた怪物たちが目を開いて辺りを見渡す。しかし、互いに顔を見合わせて訝し気な表情を浮かべるばかりだ。

辺りを嗅ぎ回っても、焦げた匂いや掘り返された土の匂いがするばかりで肩をすくめている。やがて怪物たちは諦めてしまったのか、走ってきた方向へ帰った。

「……危なかった～～～～。一か八かに勝ったぜ」

青年の上体が湿った土の中から起き上がった。上体には泥土がこびりついている。

極限の緊張が解けたのか、下半身を地中に埋めたまま空を仰いで倒れ込む。

「やっぱ一人で動くもんじゃねえや。皆がいれば殲滅出来ただろうになぁ……」

悲しそうな、寂しそうな表情を浮かべた青年は立ち上がる。

「（アープス様、ご協力ありがとうございました。）」

『いえ、私もお役に立てず申し訳ございませんでした。ご無事でよかったです』

「（ちなみに、布施を言い値って祈った件なんですがね……今回はお互いに不幸があったことですしお勉強させていただい）」

『それはダメです。ちゃんと即時調達分の上乗せを引き落としますからね』

手を揉み始めた青年に会話相手がきっぱり断りを投げ返す。

値下げ交渉に失敗し、青年の顔色が悪くなったかと思うと──

　再び湿った土の上へ倒れていった。