第22話 あと二つ
──ザアアアア……ゴロゴロ……
降りしきる雷雨を聞きながら、巨木の下で過ごす。
……足元が水で濡れてきた。
イドは今すぐにでも引き返したそうに、差し込む薄明かりを眺める。
「やっぱりやめにしますか?」
「ううん。せっかくメイド長さんが用意してくれたし、急がないといけないから」
「そうですか。しかしベスタ様は二人いて、片方が寿命を削られているとは。そこまでして死亡者ゼロなんて、実現しなくてもいいでしょうに」
「何の話?」
ん……? 何だ、このことをイドは知らなかったのか。
てっきり、もうすぐ死んでしまう偽ベスタのために奮起しているものと思っていた。
「アタシは、20歳の間にやりたいことリストを埋めたいの。仕事をして、結婚式を開いて、だから……急いでる……」
「随分と、かわいらしい理由ですね」
おれに対する過剰なスキンシップも、そういうことか。
イドは、寂しそうに目を伏せて頷いた。
「みんなと約束、してたから」
「約束ですか」
「うん。約束……」
約束の内容をイドは話さない。
イヤな予感が強まる。
聞けば答えてくれるかも知れないが、何か……偽ベスタから見えたのとは違う覚悟が見える。
雨が止んできた。
ジュクジュクとする足場を滑らないように進み、ただ前を向くイドを見上げ、ゴクンと固唾を呑む。
「でも、どうしてそういう約束をしたんですか?」
「……そうだね。ここでも別にいいかな。まずは事件のことを話すね」
イドは暗い顔をこちらへ向けると、地べたに正座した。
「神類とベスタ様、それとアタシを除いたみんなを、ジェミニ様が殺したの」
「研究員たちをですか? ……実験台にされ続けたことへの復讐心からでしょうか」
「他の神類まで実験対象にされてたのがイヤだったみたい。……他の神類たちが殺すのに反対したら、ジェミニ様がみんなに夢を聞いて、それを元に神類たちの多数決で一人だけ残すって話になって。アタシが残った」
……そんな陰惨なこと、トラウマになって当然じゃないか。
「むごいですね……」
「神類研究の罪を犯した生き証人として、一人なら残してもいいって。……ベスタ様もきっと、そういう意味で死んでほしくないから……アタシにやさしいんだと思う」
「ベスタ様って、体に毛が生えてない方のですか?」
イドはそう淡々と話続けてから立ち上がると、膝から下をベッチャリと湿らせたまま……森の中を進む。
今の話も大事だけど、偽ベスタのことをはっきりさせておきたい。
答えてくれるだろうか。
「……違うよ。ベスタ様は二人いるって、こないだベスタ様に聞いて初めて分かった。毛の生えていない方は偽物なんだね。でもアタシ、偽物ちゃんのためにやるから。それで、みんなの夢を全部叶える」
「その意気です」
やってもらいたい。
一ヶ月経ってもあの偽ベスタは死んでいないと思うのだが……。
理由は何であれ、イドがやる気になっているのを邪魔したくはない。
歩いても歩いても終わりのない、薄暗い森が続く。
食料になりそうなものは見当たらないけど、草木の葉に乗っている水滴を見て、なぜだか何とでもなるような予感がした。
しかし、この平和ボケが災いする。
ひたすら歩き続けた後、暗闇の中、すっかり乾いた草の上で寝転がり……飲まず食わずの空腹感で眠れない夜が訪れた。
ソース……醤油。
いいや、塩か。
それともマヨネーズ? マヨネーズなら胡椒や明太子も合わせるとおいしそう。
「フィルくん、お腹空いた……。喉乾いた……」
「……そうですね」
「……フィルくん。フィルくんのトラウマって……何……?」
「感謝されると心がツーンとしながら震えるような……虫唾が走ることがあるんです。……どうです、おれのトラウマを知ってお腹は膨れましたか?」
「……え? ……ぜんぜん」
あれ? 何を言っているんだおれは。
一日食べていないだけなのに、頭がアジフライに何をかけて食べるかを勝手に考え始めて……他のことに頭が回らなかった。
……月明かりが差し込み、キレイな草が目に入る。
起きてから、その草を千切り口中へと放り込み、シャリシャリと噛みしめた。
青臭い汁が出てきて、濁りある水分が少し、喉を流れる。
「苦いけど……水分をほんの少し摂れます」
「……アタシも食べる」
イドはそこにある草を、千切っては食べ、千切っては食べ、差し込む月光に沿って刈り尽くしてしまった。
「案外イケる」
イドは刈り尽くした地面の上で横になり、寝息を立て始める。
こんなの、長続きするだろうか。
雨が降っていたとはいえ、来た時に見えた野生動物の一匹すら見えないのが引っかかる。
まさか、メイド長が……?
いやいや、ムリがある。
そんな時間はなかったし、神類の誰かが操って移動させてあるのだろう。
きっとアリエスが動物たちの命を大事に思ってて、おれたちの周りから逃がしているに違いない。
でも、ジェミニ様だって獣人たちを恨み続けているのなら、餓死させるためにとやりかねないか?
……ダメだ、他人を疑ってしまう。
他人のせいにしても、腹は膨れないのに。
グギュウウ……
自分のお腹の音で目を覚ます。
木漏れ日が少し暖かい。
体を起こすと、目の前には洞窟があった。
イドは既に洞窟の入口に立っている。
だが、妙なことに草を食べた痕跡がない。
夢でも見ていたのだろうか……?
それとも、寝ている間に誰かがおれたちをここまで運んだ?
イドがこちらを向き、笑顔になる。
「フィルくん、洞窟だよ!」
「……まず、一つ目ですかね」
ただ洞窟に入って、コインを取る。
これだけで鍛錬になるとは思えない。
やはり、まずは食料を何とかしないと。
草は食べ過ぎると戻すし、洞窟に何かいないか……?
入ると、中は不思議と明るかった。
何かの鉱石が光を発しているようだ。
そして広く、上にはハリやトゲのような岩がある。
進むと水場があり、そこには……小魚が泳いでいた!
「食料……!」
「お魚さんだね」
「捕まえて食べましょう」
ドボッと水場に飛び込む。
次々と小魚を土の上へ殴り飛ばす作戦だったが、足元には全く寄ってこない。
バチャバチャと魚を追うと、魚がおれを横切ろうとする。
ドチャッ。
小魚の一匹を土の上へ殴り飛ばす。
イドがちょうど良いところにあった岩の窪みへと投げ入れる。
繰り返し、それを続けていく。
「すごいね、フィルくん」
「ええ、おいしそうです。焼いて食べたいので、火を起こせるもの探してきます」
「火ならあそこにあるよ」
何を言っているんだ? こんな場所に火が起きてるわけ……。
イドの指差す方を見ると、確かに煙が立っていた。
近づくとそこには小さな焚火があり、パチパチと音を立てながら炎を発している。
そして脇には木の枝が集めてあった。
「一体誰が……。ワースが先に来てコインを取ってるとするなら、アイツは使った後ちゃんと火を消すだろうし」
「きっと、用意してくれてたんだよ」
イドは焚き火の前で屈み、両手を広げて暖を取り始める。
ありがたいことだが、こんなでいいのか? 鍛錬とは……。
食事を済ませ洞窟の奥へと進む。
行き止まりにある折りたたみテーブルの上に、プラチナコインは置かれていた。
もっとこう、水面が天井スレスレのような道の先へと進んだり、急勾配の狭い崖を登り降りして進むものだと思っていたが。
一つ目はただ歩いただけで終わった。
「やった! コインだよフィルくん!」
「やりましたね」
何だかモヤモヤする。
こんな調子で終わって、トラウマ治りました〜、なんてことあるはずない。
しかし、イドはキラキラとした目で、コインを指に掲げて眺める。
「コレでトラウマが治るんだね!」
「そうですね」
イドはダイジそうに、コインを手の内へと収めてギュッと握った。
治るとは思わないが、思い込みでも効果はあるかも知れないし。
イドがそう思うのならそれでいい。
「やっと約束を、あと二つの夢を叶えられるんだ……」
「夢ですか?」
「ジェミニ様から殺されたみんなの夢だよ。全部叶えたら、アタシもみんなのところへ……」
「え? みんなのところへ?」
イドは青褪めた顔で口元に手を置き、洞窟を歩いていく。
ついていくと、イドは急足で外へ向かう。
聞き違えでなければ、イドは死のうとしているのか? ……過去を大切に思う気持ちも、神類に対する復讐心も分かりはするが。
「イドさんは死ぬつもりなんですか?」
「……うん。フィルくんもだよね、偽物ちゃんから聞いたよ」
「おれは、まだ決めてません。元々、苦しいだけの毎日を生きていれば、死ぬよりもいい罰になると思っていましたし。ただ、おれに死んでもらいたい人がいるならすぐそうしたいとも思っています」
「……アタシは、フィルくんには生きていてほしいな。同じ約束でも、フィルくんのお友だちは……フィルくんと一緒に死ぬことを選ばなかったし」
「おれは、おれが自分で言い出した約束を守れればいいんですよ。イドさんも自分から、みんなのところへ行くとでも言ったんですか?」
イドはこちらを向いて、笑みを浮かべた。
何かに取り憑かれたような、吹っ切れたような、笑みだ。
「ベスタ様じゃなかったんだよ。最近ね、アタシの記憶がおかしくなってたことに気付いたの。一ヶ月後に死んじゃうのはアタシ。細かく言うと、24日後の12時にアタシは消える」
「そうでしたか」
いいや、一ヶ月経ってもイドは死んでいないと思う。
にしてもイドの様子がおかしい。
なにか、どこか遠くを見てるような……。
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