第25話 元勇者、モテる

「で? どうだっタ?」


 ブエナから突然の質問。

 僕は何一つ分からないまま応える。


「……何が?」

「ロザとヤッてみテ」


 頭を鉄球で殴られたような、あるいは心臓の横に針を刺されたような衝撃だった。

 思わず周囲に人がいないか確認してしまう。


 ノルドスク公爵家の本邸、その庭園の片隅にある四阿。

 シーツ一枚で眠るロザリンドをベッドに残して、遅すぎる朝食を終えた僕は、軽く身体を動かしていた。

 訓練というほどではなく、調子を確かめる程度――久しぶりに満足な睡眠と食事を摂った結果、どこまで身体が回復したのかを確認するつもりで。


 ともあれ、僕は構えた拳を解きながら呟く。


「……なんでそれを、君が」

「そりゃマア、ロザにあれだけ大きな声出させてたらナー。隣の屋敷にいてモ聞こえるゾ。ブエナの耳の良さ、忘れたカ?」 


 あまりにもあっさりとした口ぶり。


 僕は急に赤らみ始めた顔を、必死に腕で隠した。

 めちゃくちゃ恥ずかしい。何故だろう。


「別に隠さなくていいゾ。どうせロザから誘われたんだロ?」

「そ、そんな話まで聞こえてたの?」

「いや。でも、ロザは結構そういう匂いさせてタからナ」


 どういう匂いだ。っていうか、匂いでそんな事がわかるのか。

 だが今それは重要じゃない。


「で、どうだっタ?」


 そんな質問にどう答えればいいんだ。

 というか、


「なんでそんなことを君に話さなきゃいけないんだよ……」

「オマエ達のオタノシミがやかましかったセイでブエナも欲求フマ――寝不足なんだゾ。ソノ詫びだと思エ」


 言われて見れば、ブエナの目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。


(……流石に、しらばっくれるのはもう無理だよな)


 仕方ない。

 ごめん、ロザリンド。


「なんていうか。すごく、気持ちが良くて……楽しかった。あんなの、今まで体験したことなかったから」

「オオオ……ウブだナー、アシェ。そゆとこカワイイゾ」

「もっと色々教えてほしかったけど……その。ロザリンドが、もう限界、って言うから」


 ブエナは何故か嬉しそうに頷き、


「ははーん。確かに、アシェの体力に付き合えるオンナなんてイル訳ないよナー」


 親指で自身の大きな胸をトントンと叩きながら、


「次はブエナと、どうダ? 体力なら自信あるゾ。お腹いっぱいになるまで付き合ってヤル」

「いや。それはちょっと」


 僕は頭を振った。


「そういうのは良くないって、昔、仲間に教わったから」


 騎士のヴァネッサ曰く、男子たるもの一人の女だけを愛すべし。もし不貞を働いたなら、その時は腹を割いて詫びてもらおう。

 魔法使いのメイゼル曰く、(もし仮に、アタシに彼氏? 的なものがいたとしてだけど)他の女にちょっかいかけたりしたら死ぬほど後悔させてやるんだから。

 斥候のシェルスカ曰く、あたし以外の女なんて見えないくらい夢中にさせてあげる。


「……最後のはナンカ違くないカ?」

「確かに」


 まあとにかく、そういうことなのだ。


「一応聞いとくケド。勇者時代の仲間とは、寝てナイのカ?」

「全然。そういう質問は、うんざりするほど聞かされたけど。誰が好みだとか誰が本妻だとか」

「その割には三人ともダイブ――いや、カンペキにカノジョヅラしてるよナ」


 そうだろうか。


「好きだとか寝ようとか結婚しようとかは、一度も言われてない」


 朝も昼も夜も魔王軍と戦い続ける日々の中、そういう複雑なことを考える余裕はほとんど無かったと思う。

 明日生き延びるためにはどうすればいいか。

 少しでも早く戦いを終わらせるにはどうすればいいか。


 それだけを追い求める日々だった。


「アシェはそうだろうケド……ま、アレだ。メンドくさい連中だったんだナ」

「ひどいな。まあ、面白人達だったとは思うけど……」


 でも確かに、時々よく分からない理由で怒られることがあった。

 どこの自警団の女性に口説かれたとか、助けた村娘にお礼されたとか、あとは、ラフェンディのナンパに連れて行かれたとか。


「全部僕のせいじゃなくない? って思って。あれはちょっとめんどくさかった」

「アシェは大物だナ、ホントに……」


 ブエナはやけに大きな溜息をつくと――一転、破顔した。


「ま、デモ、アレだ。生きてて良かったナ、アシェ」

「……なんだよ、急に」

「気持ちよくテ、楽しかったんダロ。幸せだっテ、思わなかったカ?」


 言われてみれば。


「思った。すごく」

「ソレだよ。そのカンジが大事なんダヨ」


 僕の肩を抱き寄せると、ブエナは訳知り顔で頷く。


「ブエナはズット思ってたゾ。アシェってマジメすぎ――ていうか、ジギャク的だよナーって」


 言って、ウインクを寄越す。


「オマエはもっと、好きなコトを好きにヤレ。ナ?」


 不意に。

 仲間達が言い残した言葉を思い出す。


「……確かに。君の言うとおりだ、ブエナ」


 自分のために生きろ。

 好きに生きろ。


(多分、僕は――)


 昨夜。

 ようやく、好きに生きることができたんだ。


 自分のために何かをしてやれたんだ。


「オ、ノッてきたナ? やっぱブエナともヤッてみるカ? 覚えたてダカラ飢えてるダロー」

「それとこれとは違うだろ」

「ナンにも違くナイゾ! シアワセはシアワセだろーガ!」


 暴論を叫ぶブエナの肩越しに。

 庭園を横切り向かってくる人影が見えた。


 活動的な服装の麗人――ブリギッテ公爵と側仕えの女性だ。

 いつになく真剣な表情で、毅然とした大股の歩み。


「……公爵から怒られるようなことしてないよね、ブエナ?」

「エッ、いや、コラ、なんでブエナに聞くんだヨ。アシェこそ、正体が見抜かれてないだろうナ?」


 ブエナに脇を小突かれ、いささか緊張しながら。


 やってきたブリギッテ公と向かい合う。


「……アシュレイ様。折り入って、お願いがございます」


 空色の美しい瞳――ミーリアによく似た光を宿す眼差しが、僕をまっすぐに捉えた。


「ミーリアの――決闘代理人に、なっていただけないでしょうか」

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