第11話 成昌自身の矜持

 学校に戻った桔梗と文香は、職員室へ向かい、担任に事情を説明したのだが、事前にある程度、成昌から聞いていたらしい。

 担任はそれほど長い時間、二人を拘束することはなく、教室へと戻してくれた。

 昼休みということもあってか、クラス内はそれなりに賑わっているが、その喧騒の中、桔梗は教室の隅の方で一人黙々と弁当を食べている成昌の姿を見つけ、迷うことなく、成昌の方へと向かっていく。

「おはよう」

「……おそよう」

 桔梗からの挨拶に、成昌は挨拶を返すが、その言葉は正確に返されたものではない。

 普段ならばここで文句の一つも飛び出してくるところなのだが、成昌の返しももっともであるため、何も言うことなく、桔梗は成昌の正面の席に座る。

「鞄、どうすんだよ?」

「まぁ、昼休みが終わった時に戻ればいいんじゃないかなぁ、と」

「ふ~ん? ならいいけど」

 問いかけたにしてはまったく興味がなさそうな返事をして、成昌は再び弁当に視線を戻す。

 その様子に、桔梗もから弁当を取り出し、自分も弁当を食べ始める。

 成昌と桔梗が黙々と弁当を食べ進めていると、文香が顔を近づけ。

「ねぇ、のんびりお弁当食べてていいの?」

 と、成昌と桔梗に声をかけた。

 昼休みである以上、腹ごしらえはしたほうがいいかもしれない。

 しかし、交差点で佐奈に赤信号を渡らせようと声をかけただけでなく、突き飛ばすために彼女の背中を押した動物について調べることが先なのではないか、と文香は感じているようだ。

 それも大事だが、と食べていたおかずを飲み込んだ成昌は、水筒を手に取り、中身で喉を潤わせてから続けた。

「学生の仕事は勉強。そっちを優先して何が悪い」

「いやでも……」

「でももデマもねぇ。病院にいるんだったら、そんなすぐに動かなくてもいいだろう。つか、動きたくても動けねぇよ、授業あるんだし」

「善は急げっていうじゃん!」

「お前、自分がいま何言ってんのかわかってんのかよ……で、本音は?」

「堂々と授業さぼりたいから!」

 次の授業の担当教師どころか、学校に所属している教師全員を敵に回すような発言に、成昌はため息をつく。

 桔梗も呆れかえったようにため息をつき。

「文香、さすがにそれは賛成できない」

「えぇ……」

「いくら佐奈のことが心配だからって、自分のやらなきゃいけないことをおろそかにしちゃだめでしょ……」

 それとも、と桔梗は文香の目を見つめ、問いかける。

「佐奈のことを言い訳にして、授業さぼることができてラッキーなんて思ってないよね?」

「い、いやぁ、そんなことは……」

「そんなことは?」

「あり、ま」

「ありま?」

「……した」

 背後から何か音が聞こえてきそうな、そんな微笑みを浮かべている桔梗の圧力に負けて、文香は正直に答える。

 退屈な授業ばかり、というわけではないが、これからの自分の人生にどう関係があるのかわからない授業を受けるより、自分の興味を持っているものややってみたいことをやりたいと思うことは、人間として当然のさがというものだろう。

 が、それでもやらなければいけないことを疎かにしていいという理由にはならない。

 さぼろうとしていた、という事実を聞いた桔梗はさらに文香に迫っていき。

「学生の本分は勉強、さぼろうなんて言語道断。オーケイ?」

「え、えぇと……」

「オーケイ?」

「お、オーケイ……」

「よしっ!」

 文香の返事に、桔梗は笑みを浮かべて返し、ご機嫌な様子でお弁当に手を付け始めた。

「こ、怖ぇ……」

 圧力から解放された文香が思わず口にした言葉は、昼休みの喧騒の中に消えていったため、桔梗の耳に届くことはなかった。

 普段は気さくで、誰の話であってもちゃんと聞いてくれる桔梗の様子しか知らない。

 怒っている様子など一度も見たことがない文香からすれば、うすら寒いものを感じさせるような顔と雰囲気を出すことができるという事実は、戸惑いを覚えるには十分なものだった。

「ね、ねぇ。桔梗って怒るとあんななの?」

「まぁ、そうだな。けど、藤原。あれはお前が悪い」

「えぇ……なんでよ?」

「不謹慎」

 友人のお見舞いという理由で授業を堂々と抜け出すことができたことを幸運に思う、ということは、その友人が不幸を被ったことを幸運に思っていることとほぼ同義だ。

 他人の不幸は蜜の味、誰かの幸運は誰かの不幸、などという言い回しがあるが、いずれも他者の不幸を喜ぶものであり、あまり褒められたものではないだろう。

 むろん、文香もそれを理解していないわけではない。

「それはそうだけど……けど、それを言ったら、安倍だって誰かの不幸でジュースとかお昼とか奢ってもらってんじゃん」

 病院から学校に戻るときに、桔梗から聞いた話を思い出し、文香は反論した。

 科学的に説明できない事象に直面した人間から相談を持ち掛けられれば、その相談料としてジュースを奢ってもらったり、弁当を奢ってもらったりしている。

 それは他人の不幸で報酬を得ていることと同じだ。

 文香はその意味で、他人の不幸が幸運を招いた、ということと少し似ているように感じているらしい。

 だが、成昌は顔色一つ変えずに反論してきた。

「相談を持ち込まれなければ、俺だってそんなことはしない。そもそも、俺自身が動かなきゃいけないとき以外で報酬を要求した覚えはないぞ」

「けど、誰かの不幸を飯の種にしてるのはおんなじじゃん」

 意図的にせよ偶発的にせよ、何かしら科学の力が及ばない現象に巻き込まれることというのは、その人間にとって不運なことだ。

 それが精神的、肉体的な苦痛につながるというのならなおのこと。

 その現象を解決する代わりに報酬を受け取るということは、他人の不幸で糧を得ているということではある。

 だが、成昌はその行いを正当化するように。

「そこだけ切り取れば同じだろうが、俺は無料で自分の体力と精神を切り売りするつもりは毛頭ないぞ? あくまでも俺自身の働きに対する正当な対価だからな」

 自分が他人の不運で報酬を得ていることは否定していないし、そういう見方ができることも否定はしていない。

 だが、それをわかったうえで自分にばかり負担がかかるという不平等は被るつもりはないようだ。

 成昌の意見に文香はすぐに反論することができず黙っていると。

「それにな」

 と、成昌が畳みかけるように続けてきた。

「本当なら、俺が関わる必要がない相談事ばかりに越したことはないんだよ。そういう相談がないってことは、訳の分からないことに巻き込まれて迷惑被ってるやつがいないってことだからな」

「そうなるのがあたりまえで、幸運だなんて思ってないってこと?」

「そういうこと」

 依頼がなければ、そしてその依頼を完遂できなければ、依頼主からジュースを奢ってもらうことも、昼食を奢ってもらうこともない。

 成昌はそれを当たり前のこととして受け取っているし、別に依頼がなかったからといって困るわけでもないし、成昌としては自分に依頼が来ないほうがいいとすら思っている。

そのため、依頼が来ることを『幸運』とは思っていないのだが、頼ってきた人物を無下に扱うほど、成昌は冷酷な人間ではない。

「だからって、俺は自分のことを安売りするつもりはないんでな。報酬を要求するのはそれが理由だ」

「いや、安売りしたくないってのはわかるけど……」

「あいにくと慈善事業じゃないんで。それに、報酬を約束させるってことはそれなりの成果を出すことを相手に約束することだ。約束は守らなきゃいけないよな?」

 約束は守るべきもの。だから、依頼を受けたら全力を尽くす。

 それが成昌なりの誠意であり、矜持であるようだ。

「まぁ、依頼がなきゃないであんたが困らないし、テキトーに片付けるつもりもないってのはわかったけど……」

 もうちょっとわたしの依頼にも真剣になってくれてもいいじゃないか。

 そう思ったことが成昌に気づかれたのだろう。

 呆れた、と言わんばかりのため息をつき。

「様子を見るんだろ? 一応、お守りを渡してるんだから、ひとまずはそれで我慢しろ」

「えぇ……」

「お守りが壊れない限り、報酬は請求しないから、安心しろ」

「いや、心配してんのはそのことじゃないんだけど……」

 成昌としては、あくまでも一週間は様子を見たい、という文香の言葉を尊重してのこと。

 手を出さないことが今のところの依頼者の願いなのだから、別にさぼっているというわけではないし、まったく動いていないというわけでもない。

 すでに文香にはお手製のお守りを渡した。

 文香から直接、相談を受ける前に桔梗からある程度の話を聞いていたため、夢違ゆめたがえ観音を描いた紙片を入れているため、悪夢から守ってもらえるはずだ。

 一週間、そのお守りを持ったまま、悪夢を見ることがなければそれに越したことはない。

 いたずらに不安をあおるようなことはしたくないし、何より、そんなことは人の不安に漬け込んで金品をむしり取る詐欺師の行いだ。

 犯罪者と同じようなことをするつもりはない。

 仮にも『本物』であるという自覚がある成昌にとって、そこを譲るつもりはまったくなかった。

「ま、もしお守りが壊れるようなことがあったら必ず知らせてくれ。そんときは本格的に動いてやるから」

「なんか上からねぇ……まぁ、そうなった時はちゃんと知らせるわよ」

 ひとまず、成昌が依頼に対してしっかり対応するという言葉を信じることにした文香は、ふと気になることが出てきた。

「ねぇ、なら佐奈を助けるのはどういうこと? 別に佐奈から依頼を受けてたわけじゃないよね?」

 文香が知る限り、佐奈が成昌に『天使さま』のことについて相談したという話は聞いていない。

 依頼を受けなければその手のことで動くつもりがない、と成昌は言っていたが、それならばなぜ、成昌は佐奈のことについて聞き出したり、見舞いに行こうとしたりしているのだろうか。

 その疑問に、成昌はあっさりと答える。

「あいつも藤原と同じで『こっくりさん』をやったんだろ? なら、あいつに話を聞けば、何かわかるかもしれないだろ」

 それに、と中身がすべて胃袋に収められた弁当箱を片付けながら、成昌は続ける。

「以前、あいつから依頼を受けたことがあったからな。それにあくまでお前さんの依頼の『ついで』みたいなもんだ」

「えぇ……それってどうなのよ?」

 依頼を受けたことがあるから、というより、自分がいま受けている依頼と関係があるからという理由だけで頼まれることなく手助けするというのはどうなのだろうか。

 先ほど語っていたことを、早速、否定するような行いをしていることに、文香は疑問符が浮かんでいるようだ。

 だが、安心しろ、と返す。

「この分も、ちゃんと上乗せして請求するから」

「って、結局わたしが支払うんかい! てか安心できるか、そんなもん!」

 結局のところ、成昌は文香の件も佐奈の件もきっかけが同じである以上、文香からの依頼として扱うらしい。

 成昌は全否定するだろうが、その態度に、文香は結局のところ、成昌も他人の不幸を飯の種にしているのではないかと思わずにはいられなかった。

 そのことを追及しようと口を開きかけたが。


キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン……


 昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

 この音が聞こえてきてしまった以上、あまり長い時間、話をするわけにはいかない。

 次の授業の準備をしなければ、担当教師に怒られてしまう。

 ただでさえ、午前中の授業を佐奈の付き添いと警察の事情聴取で欠席してしまったのだ。

 成昌が学校の担任に伝えてくれたため、事情は知っているだろうが、それでもあまり心象はよろしくなくなっているだろう。

 ならばせめて、午後の授業は真面目に受けたい。そう思うのが人情というもの。

 まだ言いたいことは山のように残っている状態ではあったが、文香はひとまず引き下がることにして、自分の席へと戻っていった。

 その背中を見送り、成昌は次の授業の支度を始める。

 すると、先ほどからだんまりを決め込んでいた桔梗が口を開く。

「成昌、なんで正直に言わなかったの?」

「何が?」

「佐奈のこと。確かに中学の時に依頼を受けたことはあるけど、ほんとのとこは文香の依頼の範囲内だから関わるんでしょ?」

「ばれたか」

 成昌は苦笑を浮かべながら返す。

 桔梗の言う通り、成昌が佐奈に話を聞きに行こうとしている理由は、佐奈のことも文香の依頼の範囲に含まれると捉えているためであり、ついででもなんでもない。

 むしろ、『天使さま』――『こっくりさん』を一緒に行った人物からも話を聞いて、文香が何を呼び出したのか、その手がかりを得たいと考えている。

 むろん、報酬を上乗せするつもりもない。

「まったく、カッコつけたのか、からかってるのか……」

「からかいが八割だ。ついでに言えば、多少、びくついてくれれば御の字だ」

 その言葉に、桔梗は苦笑を浮かべていた。

 気持ちはわからなくもないのだが、少し話をした方がいいだろうか。

 そう思いはしたが、すぐに授業が始まるため、桔梗も特に何も言うことなく、次の授業の準備に向かっていった。

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