第7話 異変は続き、ついに被害者現る

 帰宅後、文香は桔梗から受け取ったお守り袋を手の中でいじりながら、考え事をしていた。

 なんだかんだ言われはしたが、オカルト方面に詳しい相談相手として桔梗が紹介してくれた成昌は、お守りを用意してくれていた。

 これがあれば、ひとまずこれ以上は悪夢に悩まされずに済む。

 お守りを受け取ったときはそう考えていたのだが、本当にそうだろうか、という疑念と不安も同時によぎっていた。

――厄除やくよけって書いてはあるけど、これほんとに効くのかなぁ……?

 今まで、縁結や学業成就のお守りは初もうでやここ一番の時に神社で購入したことはある。

 だが、そのどれもあまり自分が望んだような結果をもたらしてはくれなかった。

 その経験から、お守りの効果にどこか懐疑的になっているらしい。

――ていうか、いくら神社の家の子だからって、うまくできてるって保証もないんじゃないの? そもそも、こんな小さなお守り程度でどうにかなるものかなぁ?……やっぱり、ちょっと高くてもお祓いしてもらったほうがよかったかも

 科学万能の時代を生きている女子高生。

 本音を言えば、夢見の悪さも新学期に入ってからの疲れが出たからではないかと思っている。

 オカルト方面に興味があり、曰く付きの首塚や心霊スポットに足を運んだことはあるが、いままで祟られたり、何かしらの心霊現象にその場で遭遇したりしたことはなかった。

 『天使さま』を試した理由だって、好奇心からというものが大きいが、試したからといって何も起こらないだろう、と高をくくっていたということもある。

――てか、お祓いしないでいきなりお守りって……いや、そもそも必要かな、お守り。気休めにはなるんだろうけど、なんかいまいち、効き目なさそうだし

 神社の人間であるといっても、成昌はまだ修行中であることは、桔梗の口から聞いた。

 修行中ということは見習いということであり、お守りやお祓いの効果に期待できないという不安を抱くには十分な要素だ。

 効果があったらあったでうれしいが、やはり効かないのではないかという前提が、どうしても脳裏をよぎってしまう。

 とはいえ、そんな不安が頭をよぎっても、手元にあるものは、そんな見習いが文句を言いながらも作ってくれたもの。効き目はともかくとして、その厚意を無下にするようなことは人としてどうかと思うのもまた事実。

 気休めでもなんでも、ひとまず持っておいて損はないというのなら、持っておこう。

 そう決めて、文香はお守りをカバンの中へとしまうと。

「文香ぁ、お風呂入っちゃってねぇ」

 部屋の外から、入浴を促す母親の声が聞こえてくる。

「はーい」

声が聞こえてきたドアに向かって、少し大きな声で返事を返すと、文香は着替えを持って浴室へと向かい、入浴する。

 湯船につかり、浴槽に背を預けながら文香は深く、ゆっくりと息を吐く。

 お湯の熱で体が温まっていき、今日の疲れがお湯に溶け出していくように筋肉がほぐれていく感覚を覚えながら、文香の脳裏に今日になって初めて言葉を交わした成昌の言葉が響いてくる。

『別に困ったことは起きてないし、いまのところ実害もないから放っておいて大丈夫だと思うけど、せっかくお節介焼いてもらったんだから会うだけ会ってみようってか?』

 今の所、少し夢見が悪いから寝不足になっているというだけで、それ以外の部分で何か生活に支障があるというわけではない。

 ではまったく困ったことがないのかと聞かれれば、そういうわけでもないのだが、命の危険を感じたとかそういうわけでもないため、放っておいても問題ないのではないかと今になって思っている。

――ちょっと大げさに騒がれたような気がしないでもないけど……まぁ、それだけ心配してくれてるってことだよね? でもオカルトだよ? そこまで真剣になる必要、ないんじゃないかなって思うんだけどなぁ……

 心配してもらっていることに関しては、ありがたみを感じていないわけではない。

 だが、心配してもらっている内容がオカルト関係だ。

 これが恋の行方だったり、部活動のことだったり、生活のことだったりしていたら、文香の態度ももう少し変わっていた。

 変わっていたのだろうが、今回の内容はオカルト。

 いぶかしむか、こいつ大丈夫かと何かしらの精神疾患めいたものを疑いのまなざしを向けるか。

 人によって、反応はそれぞれだろうが、少なくとも、オカルト方面の内容でなければ、文香自身ももう少しそわそわとしたり、相談した時に口にした言葉の内容に顔を赤くしたりしていただろう。

 しかし、今回はそういうものはない。

 むしろ、相談した相手がいぶかしんだり、精神疾患のようなものを疑ったりしなかっただけ、まだましなのだろう。

 そういう意味で、文香は友人に恵まれているのかもしれない。

――ま、とにかくこのことは心配しても仕方がないみたいだし、一週間くらい様子見に徹しますかねぇ

 霊障のような怪異の被害を受けている当人であるというにも関わらず、あまり深刻に捉えていないように見える態度だ。

 しかしこの態度は桔梗に相談し、成昌からお守りを受け取ったことで生まれた安心感から生まれたものでもあり、少しばかりこわばり始めていた心にできたゆとりであった。

 それに気づいているかどうかは不明だが、とにもかくにも、文香はあれやこれやと考えていても仕方がないと結論付け、ひとまずはこのあとの展開がどうなるか、頭の隅の方で気にしつつ様子を見ることにした。

 もっとも、海外製のスプラッターホラーやパニックホラーではなく、心霊現象やオカルトを題材にした、いわば和風ホラー映画の主人公になった気分であるという感想を抱いていないわけではない。

 映画のあの作品であれば。最近になって読むようになったあのホラー小説であれば。

今後、自分がどのような目に遭うのか、その展開を虚構フィクションとして楽しんできた作品に登場する人々がたどった道筋を思い出しながら予想していた。

 浴室を出て、脱衣所でパジャマに着替えて部屋に戻ったあとも、虚構を元にした予測は頭の中をめぐり続け、結局、ベッドに入って眠りに就くまで、文香の脳内はその予測に支配されていた。

 だが、その予測の中に、「自分が最終的に命の危険に晒されること」や「精神的に追い詰められておかしくなる」という、いわゆるバッドエンドのような結末は存在していない。

 最終的にこの悪夢やそれに付随する怪異がすべて解決されて、いままで通りの生活が戻ってくる。悪くても、何かしら、怪異の影響は残っているとしても、あまり気にすることなく、普段通りの生活を送ることができるようになるだろう。

 そんなご都合主義のような結末が自分には待っている、と信じて疑っていない。

 それは、自分が当事者であるにも関わらず、自分の周囲で起きているこの怪異をどこか他人事のように、無自覚に楽しんでいるからであり、その態度に成昌はいち早く気づいていたようだ。

 そのため、視覚によって観測することのできない、『見えない世界』を否定するような態度も相まって、成昌は非協力的な態度を取っていたのだが、その態度を向けられていた本人がそのことにまったく気づいていない。

 そして、桔梗もそのことを指摘するつもりはなかったようだ。

 否応なしに、文香が自身の抱えている問題に対する態度について、考え直す時機がくることを、桔梗もわかっていたから。

 そしてその時機は、意外にもすぐにやってくることとなる。

 もっとも、怪異の被害を受けた人物は文香ではなく。


――――一緒に『天使さま』を試し、いち早く自分の異変に気づいたオカルト友達の佐奈だったのだが。




 翌日になり、文香は桔梗からアドバイスされた通り、お守り袋をブレザーのポケットにしまった状態で通学路を歩いていた。

 幸いにして、昨夜は悪夢を見なかったため、ここ数日と比較して気分が軽く、心晴れやかだ。

 やはり睡眠を摂ることは大切なのだ、と実感しながら歩いていると。

「おっはよう!」

「あ、おはよう。桔梗」

 桔梗が背後から声をかけてきた。

「で、どんな感じ?」

「どんな感じって……まぁ、今日はよく寝れたと思うけど」

 お守りの効力によるものかどうかはさておいて、ひとまず、悩みの種になっていた奇妙な夢は見なかったことを桔梗に告げると、桔梗は真剣な様子でさらに問いかけてくる。

「それ以外は?」

「ん? それ以外のことって……いや、特に起きてないけど」

「そう……なら、ひとまずは大丈夫なのかな」

 文香の返答に、桔梗はどこかまだ納得できていなさそうな様子でそう返す。

 その態度に、文香は苦笑を浮かべながら。

「いやいや、ひとまずって。たぶん、もう大丈夫でしょ」

「病気は治ったと思った時が一番危ない。怪異もそれは同じだよ」

「いやいや、怪異と病気が同列って……とりあえず、桔梗の同居人が作ったお守りがあるんだから、そんな心配しすぎることないんじゃない?」

 心配しすぎ、とばかりに苦笑を浮かべる文香に、桔梗はため息をつく。

「ねぇ、文香。もしかしなくても、いまの自分の状況を楽しんでない?」

「え? いや、そんなことは……な……」

「な?」

「な……くもないかもしれない」

「なくもないって……」

 予想していたとはいえ、まさかその通りになるとは思わなかった桔梗は、呆れたとばかりの表情を浮かべ、半眼のじとっとした視線を文香に向ける。

 その視線に苦笑を浮かべながら弁明を始めた。

「いや、だってこんなこと現実で起きるなんてめったにないじゃない。むしろ楽しまないと損になるような気がして……ねぇ?」

 小説や漫画、ドラマや演劇。そういった虚構で描かれるようなことが実際に自分の目の前で起きたのだ。

 そのことに不気味さを感じ、恐怖を覚えることもあるだろうが、文香は恐怖や疑念を向けるのではなく、むしろ全力で楽しんでいるように見える。

 ラブコメディのように、見目麗しい異性や一市民である文香では手の届かない世界に身を置いている人と偶然の出会いと交流ならば、楽しもうとする気持ちも理解できなくはない。

 だが、文香が直面している現象は怪異。ジャンルで言えば、ラブコメディやサスペンスミステリー、ファンタジーではなくホラーだ。

 ホラーというジャンルは虚構作品であればまだしも、現実ノンフィクションとして目の前に現れた場合、楽しむどころの話ではない。

「楽しまなきゃ損って……結構、神経がすり減ると思うけど?」

「だから昨日相談したんじゃん。てか、びびって縮みこむより、むしろ開き直って楽しんじゃったほうが、これからの人生、ハッピーじゃない?」

「いや言いたいことはなんとなくわかるけどさ……」

 楽観的と言ったらいいのか、考えなしと言ったらいいのか。それとも、恐怖心から目をそらすための精いっぱい虚勢を張っているのか。

 どちらにしても、自分が直面していることなのだから、もう少し真剣になってはくれないだろうかと、桔梗が心のうちで文句を言っていると。

「きゃあーーーーーーーーーーーーーっ!」

 前方から女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。

「え? ちょ、なに? 事故?」

「ちょっと行ってみよう」

「う、うん」

 野次馬根性というわけではないが、さすがに気になってしまったのか、桔梗は困惑している文香に声をかけ、悲鳴がした方へと向かっていく。

 少しだけ歩いていくと、何かの事故か事件があったのか、何人もの野次馬がスマートフォンを構えて写真や動画の撮影している。

 マスコミ、もとい、マスゴミまがいの群衆をかき分け、文香と桔梗は彼らがカメラのレンズを向けている先へと進んでいき、群衆の森を抜けたその先にあった光景に息をのんだ。

 多少、劣化しているためアスファルト部分が見えている横断歩道の真ん中のあたりに、明らかにアスファルトのものではない黒いものがあり、その黒いものの端からは、赤黒い液体が広がっている。

 赤黒い液体が血であることに気づくまで、そして流れ出ている血が何を出所としているのかを理解するまで、さほど時間は必要なかった。

「え……あれ、わたしたちの学校の制服だよね? あれ、大丈夫なのかな?」

 ピクリとも動く気配がしない黒いものは、文香と桔梗が通う桜沢高校の制服だった。

 先輩なのか後輩なのか。それとも同窓生なのかはわからないが、心配そうに文香が呟く中、桔梗は携帯電話を取り出す。

『はい、一一〇番ひゃくとうばんです。事件ですか? 事故ですか?』

「北泉桜沢高校近くの交差点で交通事故です。横断歩道の真ん中あたりで桜沢高校の制服を着た女子生徒が頭から血を流して倒れています」

『かしこまりました。すぐに署員を向かわせます』

「よろしくお願いします」

 電話口の職員にそう告げる桔梗の言葉に、文香も携帯電話を取り出そうとする。

 だが、桔梗はその手をつかみ、止めた。

「文香はあの子を歩道の方に寄せて。このままじゃ引かれるかもしれない」

「わ、わかった」

 桔梗に頼まれ、文香は桔梗に鞄を預け、横断歩道の方へと向かっていく。

 事故が発生したからか、歩行者信号が赤になっているにも関わらず、周囲の車は通行しようとはしていない。

 そのおかげで、本当は危険なことなのだろうが、文香は堂々と信号を無視して倒れている女子生徒の方へと向かっていく。

「ちょっと、大丈夫? 返事できる⁈」

 必死に声をかけるも、女子生徒からの返事はない。

 だが、気を失っているだけのようで、浅いながらも息をしているし、喉元に指をあてると、かすかにではあるが、とくとく脈を打っていることが確認できた。

 ひとまず、最悪の事態は避けられていることに安堵のため息をつくと。

「すみません! この子を安全な場所まで運ぶので手伝ってください!」

 文香が大声で手伝いを求めると、我に返った数名の女性が文香を手伝い、倒れていた女子生徒を歩道の方へと運んでいった。

 手伝ってくれた女性たちにお礼を言い、文香は改めて女子生徒の顔を見ると、驚愕で目を丸くし、息をのむ。

 横断歩道から安全な場所へ運び出すことと、何より、いままで生きてきて交通事故の現場に一度も遭遇したことがなかったことから、実際に遭遇したことでショックを受けてしまい、気が動転していたため、気づくことができなかったのだ。

「ちょ……佐奈⁈ しっかりして、ねぇ! 佐奈ってば!」

 事故に遭い、被害を受けた女子生徒が、自分と同じく、『天使さま』を行った同好の士であるという事実に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る