怪我ンバナ

夏蒼朱士

第1話

 五体心体のうち、どこか患っている人々が疎らな病院内の景色。

 品川遥は山吹色の煌めきが窓から注がれる院内を意味もなく広く見渡し、自分もその人間の一人なんだと思いながら一人納得していた。

 視線を移せば、ギブスでガチガチに固定された右足に移す姿はまるで負傷者そのものであり、その姿にため息を深く吐くこととなった黄昏時。

「はぁ………」

 いや、別に患っている人たちに向けたため息ではなく、自分自身の不運である事というのを誤解しないでほしい。

 季節は春の訪れを過ぎた五月のはじめ。

 大学を行き帰りする特にやることもないが、三日後に控えるゴールデンウィークという一種の長期休みは楽しみという心で支配されていた。

 そのこともあり若干、浮かれていたこともあり心を弾ませながら帰路についていた。

 だが、それがいけなかったのだ。

 その最中にアパートへ階段に足を掛けようとしたその時、グキっと右足首を捻り自分の体重のままに横へ流れるように倒れ、結果その足で救急外来へと向かい結果、骨折だと先ほど告げられた。

 そして、今はその医療費の会計を終え、病院の待合室で時間を潰していた。

「はぁ………」

 自分でも情けなくなってくる。

 一回も骨折はおろか捻挫や打撲といったものには何十回とは言わずとも少なくともあまり縁のない。

 なのに、骨折した理由が事故とか事件ではなく単に自分の不注意のせいでというなんともパッとしない理由でなったともなれば情けないを通り越して呆れてくる。

「なんて不運だ……」

 視線を気にすることもなく信じもしない神にまるで愚痴を垂れ流すように盛大に独り言を溢しつつ、持っていた保険証を専用のケースへと戻そうとした。すると……、

「あっ……やべ」

 まるで気にしていなかったのか、それとも元々の不器用さと相まったのか、いずれにしても床の方へ落としてしまった。

 一見、それは健康優良児からすればなんてことのないハプニング。

 だが、負傷者からすればそれは困難そのもの。

 慌てて、拾おうとしたのだが足を負傷しているため、歩くというのがまず使えない。

 手を伸ばそうとしても、ポトンと落ちたというより床をなぞるようにして落としてしまったため、それは遥か先の方へ保険証がある。

 人にとってもらおうとしたが、それは申し訳なさの気持ちとたかがそれ如きでという何というか圧ではないが陰口を叩かれるかもしれない。

 よって、ここで取るべき行動はさっき病院から貸し出された松葉杖を使わざるおえない。

「まさかこんな日常生活に支障をきたすほどだったとは……」

 やれやれと言わんばかりにため息を吐き、隣の座席に掛かる松葉杖を両脇に挟んで、歩こうとする。

 だが、使い慣れないものに加え持ち前の不器用さが相まって、なかなか目的のところまで歩けない。

「ああ、もうッ……」

 次第にイライラが募り、面倒にまでなってきたのでそのまま諦めるように座席に腰掛けた。

 別に自分自身、個人情報とかプライバシーだとかそういったものに関してはどうだっていい。

 ただ、自分が超能力者であれば、保険証を引き寄せる芸当ができなんの苦労もせずにできたというのにとこの時ばかりは強く思いしばらく時間を潰していた。

 すると、

「これ……そのぉ、あなたのですか?」

 突然、若い女の声と共に目の前に自分の保険証を差し出された。

「あ、ああ……そうです」

 遥は初対面に強く警戒を持つほど人見知りだ。

 なので、今もそんな警戒心の元、返事がなんというか言い換えれば素っ気ない感じで保険証を取り上げるように手に取りながら返事を返した。

「あ、ありがとうございます」

 俯いたまま、返事をするのは些か失礼かもしれないと思いながらも感謝も忘れない、それが品川遥というものだ。

「いえいえ。良かったです、合ってて」

 その人間はどこかほっとしたように遥に言うとついでに興味本意なのかこう続けた。

「女の子みたいな名前だったので私、違ってたらどうしようかな〜と不安で不安で」

 その言葉にまったくと言っていいほど悪い気は起きなかった。何故なら、それはその人の言うことはもっともであるからであったからだ。

 品川遥–––ぱっと見ただけではそれは女の子みたいな名前である。それ故が多くの人に勘違いされ、もう慣れたが小さい頃はよくその名前で揶揄われたものだ。

 なので今更、目くじらを立てるなんてことはしない。

 だが、遥が機嫌悪そうに見えたのか、自分でも失礼だということを自覚してしまったのか「すみません」と九十度に近い角度のお辞儀と謝罪を見せた。

「い、いえよく間違われるので大丈夫です……」

と、その謝罪を手を前へと掲げると女は続けて「私もなんですよ」

と、突然そう言った。

 なんのことかと思うと、その女は「これ」と自身の保険証を見せてくれたと同時に名前のところを指差す。

 この人にはプライバシーなんてものはないのだろうか、と思ったのだが自分自身が先までなかったので何も言えないし、なにより女の言葉に不思議を覚えたが故の好奇心がそれを勝った。

猪島いのしま……りく?」

『陸』の字をそのまま口に出し、不思議そうに首を傾げて言うと横から、

「むつみです、む・つ・み」

と、まるで子供に教えるように一語一語を丁寧に言い、付け加えてこうも言った。

「私も男性に見られる名前なので同じだなと」

 この時、その人–––猪島いのしまむつみの姿の方へ視線を興味本位で見上げるように向けると遥は驚きを露わにするかの如く、目をギョッとさせた。

「やっと、顔見せたね」

 そう、猪島は言うと微笑含んだ笑いを見せたのであった。

 

 

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