首塚たたりの世迷言
@yonakahikari
首塚たたりの世迷言
首塚たたり。
そんな笑えない冗談みたいな言葉の
後に「首塚」「祟り」の
父と、親戚と、その他大勢色々諸々の
「はい、じゃあコロッケ三つね」
店頭のカウンター越しに手渡されたレジ袋の中に片手を突っ込む。硬い感触。手触りから推測して、コロッケは一つ、二つ、三つ……四つ。
「一つ多くない?」
ババア、ボケて数も数えられなくなったか。
ぼくのような親切な客はこうして確認してくれるけれど、世の中は善人ばかりで回っているわけではない。「ラッキー、黙っとこ」などと胸の内で
そういう小さな
「オマケだよ。たたりちゃんにはいっつもお世話になってるから、ね!」
「おばさま……」
やはり現代社会に不足しているのは、こういう
全国チェーンのコンビニやデパートの店員、大手企業に飼い慣らされた奴隷の如き浪費社会の犬どもは、今すぐこの脂肪という名の羽衣を纏った天女の
毎年毎年、決まりごとのようにやって来ては、
「あら、たたりちゃん。おはよう。こんな時間に珍しいわね」
「そうそう、たたりちゃん。あの話聞いた?」
「たたりちゃん、
暇人共が、働け。
「怖いわよねぇ。こっちにも出たりしたら……たたりちゃん、なんとか出来ない?」
あといちいち名前を呼ぶな。生きたくなくなってくる。
「ぼく、そういうのじゃないので。無理っす」
淡白に返したら、暇人共が心から残念そうな顔をするので、何故かぼくが悪い事をしたような気分になった。仕方なく「気を付けて見て回っとくっすよ」なんて社交辞令を口にする。すると彼女らは付け入って口々に「お願いね」「心強いわ」「たたりちゃん」等々、矢継ぎ早に言葉を浴びせてくるのだった。
「じゃあ、ぼく行くんで。用事あるんすよ」
話し足りなさそうな雰囲気をピシャリと遮る、斜め四十五度の一礼をかましてぼくは青空会議場の席を立つ。元より座ったつもりも無いのだが。
「あらそう、呼び止めちゃってごめんなさいね」
「別に。失礼しゃっす」
背中に感じ続ける視線。それはさして気にならない。
まぁ、どうでもいいんすけどネ。
「……あの。たたりちゃんっていうんですか、あの子?」
だから、というわけでもないけれど。
少しずつ遠くなっていく話し声が、未だ
「あぁ、
「はい」
「そう、
「そうなんですか? えっと、凄い地主さんとか……?」
「違うわよ。いえ、違わないんだけど、それだけじゃない」
「えぇ。首塚さんの所はね。祟りを受け継いでくれてるの」
「祟りを……? 受け継ぐ?」
「そう。その祟りがあの、たたりちゃんなのよ」
あー、生きたくないなぁ。
――――――
当間市を
四方八方、空の下に描かれた
ともあれ。
それを指して、観光課の職員から街のキャッチコピーを考えてくれと頼まれた際に、ぼくが作ったキャッチコピーがこれである。
——負け犬の街、当間市。
最近は特に陰気な顔が増えたように思う。特に市内に点在する各駅周辺はそうだ。
社会人も学生も、どこか負を
件の住宅街からやや離れた、廃墟のような無人駅。コンクリートのひび割れからぼうぼうと生えた雑草が、生意気にも鮮やかな黄色い花を咲かせている。雨ざらしの青いベンチに腰掛けたぼくは、入道雲から視線を下ろして、欠けた防護プラスチックに守られた掲示板を眺めた。
日焼けで変色したポスターが一枚貼り出されている。細かな内容を遠目で確かめる事は難しかったけれど、どうやら数ヵ月前に催された夏祭りの折、街の
「首塚さん」
どうでもいい事に思考を費やしていると、ふと真横から声を掛けられる。振り向けば、ぼくと同じ黒いセーラー服に身を包んだ少女が何故か所在なさげに立っている。長髪、垂れ目、左手首の包帯。見るからに大人しそうな女子である。
「隣、いいかな」
「だめ」
まさか断られるとは思っていなかったようで、彼女は「え」と驚いた顔をして固まる。それから、眉の端を下げて悲しげな表情を浮かべた。
「冗談、いいよ別に」
「ありがとう」
複雑そうな笑みを見せながら、隣までやって来る。律儀な子だなぁと思った。
ところで、ええと。
(誰だっけ……?)
隣に並んだものの、その後特に話しかけてくる事も無い様子だったので、ぼくは思考を巡らせた。
どこで会った? 学校? いや違う。家で見た事がある。いつ? 何故? あぁ、夏祭りの前だ。準備の為に、幾人かの偉そうな連中が顔を出しに来たけれど、その内の一人が娘さん、つまり彼女を連れてきたんだったと思う。名前。なんだっけ。ええと、確か。
「
「……えっと、私の事なら、
文字通り、爪の先にも
「
「あー、思い出した。そうだったそうだった。ごめん」
「思い出してくれたんなら良かった。気にしないで」
実を言えば思い出せたわけではなく、名前を聞いた今も正直ピンと来ていない。が、わざわざ口にする必要もないだろう。事実は時として人を傷つけてしまう物である。沈黙は金なり。
「首塚さんもこれから学校?」
「も」。という事は、彼女はこれから学校に行くらしい。セーラー服を着て、鞄を持っているのだから当然と言えば当然か。けれど、ぼくは。
「違うよ。ちょっと用事を足しに行くんだけど、気乗りしないから遠回りしてるんだ。あ、コロッケ食べる?」
何気なくコロッケを差し出すと、爪崎さんはおずおずとそれを受け取った。たぶん、断れないタイプの子なのだろう。
「ごめんね」
ぼくがそう言うと、彼女はコロッケから顔を上げて
「えっと……何が?」
「一緒に学校行きたかったんでしょ? 何ヵ月ぶりの登校かは知らないけどさ。そりゃま、仲間がいたら心強かったろうね」
「やっぱり首塚さんって特別な人なんだね」
違う。少し考えたらこのくらい誰にでも分かる。
ぼくが特別な人間なのは否定しないけれど、この程度の事で凄腕の霊能力者でも見るかのような眼差しを向けられたら困る。居心地が悪い。
「そっか。爪崎さんもぼくをそういう目で見るんだ」
「え、あ、いや」
わざとらしく沈んだトーンで、顔を伏せる。見てもいないのに分かるくらい、慌てた雰囲気がひしひしと流れてきた。立ち上がって、ぼくの顔を覗き込もうと屈んだり、
「冗談」
「えっ」
込み上げた笑いをそのままに、顔を上げて見せる。半分泣きっ面の爪崎さんは、ぽかんと口を開けた。
「爪崎さん、からかいやすいってよく言われない?」
「うぅ……」
不満げに唸る彼女の
「ね、ねぇ。首塚さん?」
「ん」
そうこうとぼんやり考えている内に、いつの間にか隣に座り直していた爪崎さんが、申し訳なさそうにぼくの顔色を
「なぁに」
「
もう一度「だめ」と言ってみたくなったけれど、なんとか加虐心を抑え込む。
「いいよ、なに?」
「祟りとして生きるって、どういう感じ?」
「おおう」
いきなり凄い所に踏み込んできたな。
推理小説でいうなら、探偵がいきなり容疑者に向かって「人を殺すのってどういう感じ?」と訊くようなものだ。
「ご、ごめん! やっぱり失礼っていうか、こういうの訊いちゃうのってよくないよね」
「そんな事ないけど」
ないけど、あるんだろうか。礼儀だとかモラルだとか、そういう一般的価値観にはちょっと自信がないぼくである。
なにせ
「答えにくい、かなぁ。あぁ、言いたくないとかそういうんじゃなくてさ」
生まれてこの方ずっと、そうなるべくして育てられたものだから、それが「並の人生ではない」という事を知識として分かっていても、感覚的には分からないのだ。普通に育てられた、普通の人の普通の価値観、普通の感性に伝わる形で言語化するのは難しい。
ただ、言える事があるとすれば。
「街から出ようと思いさえしなければ、そう悪いもんでもないかなって思うよ」
「そう、なんだ」
「そそ」
学校だって行かなくてもいいし。
「それは羨ましいかも」
「でしょ」
サボり放題だぜ。なんて言いながら笑って見せると、爪崎さんはいやに神妙な面持ちで線路を見つめた。そして、言う。
「私はね、この街を出たいんだ」
「……ふーん?」
まるでとっておきの秘密を打ち明けるみたいだった。
「知らない場所で、知らない人達と、今の私じゃない私になって生きてみたい」
「それは」
たぶん、彼女には無理だろう。
私じゃない私。彼女の言うそれは恐らく、俗にいう「ありのままの自分」「本当の自分」というヤツの事を指しているんだと思う。
けれど、無理だ。それをするには強い自我だとか、決断力が必要で、彼女にはそれが無い。学生の身分である今が正にそれを培い、スキルとして自らの内に養っていく時期だというのに。
「いつか、いつかね」
「……」
沈黙は金なり。事実は時として人を傷つける。
夢を見るのはタダだし、自由だ。そもそも現状に甘んじているぼくには、街から出ようなどと思っていないぼくには、彼女の将来設計図にケチをつける資格なんて無い。
「うん。いいんじゃない、そういうのも」
だから、ぼくは嘘を吐いた。
爪崎さんは何故か「ありがとう」なんて言いながら、ぎこちない笑みを浮かべた。それから一口、コロッケを
「これメンチカツだったの?」
「え、うそ」
――――――
爪崎さんと別れて後。ぼくはふらふらと当間市を巡り歩いた。
市内四十八ヶ所に存在する『
西南西、都市郊外の林中。獣道を辿った先にある小さなお堂の片隅に、ぽつんと建てられた碑石の頭は僅かに欠けている。足元の欠片を拾い上げ、溜息を吐いた。やはり、木工用ボンドでは無理があったか。
ぼくは観念して、用事を足しに行く事にした。来た道を戻り、住宅街まで引き戻った頃にはすっかり日が暮れていた。冷え切った最後のコロッケ……もといメンチカツを頬張りながら、目的の場所まで最短経路を進む。
夜風が冷たい。やがて冬がやって来るのだと思うと、少し気が滅入る。寒いのは平気だが、雪というヤツがぼくは嫌いなのである。
あれはどうにも、あざといように思うのだ。
真っ白な粉雪が景観を一緒くたに染め上げ、日照りを反射させて輝く様を人は綺麗だなんだと
四季あれど冬の一季に
着飾るといえば昨今の住宅もそうだ。流行なのか知らないけれど、やたら外観のディティールにこだわった物が見受けられる。この住宅街に並ぶ家々も、御多分に漏れずそういった代物が大方を占めていた。
これは個人的な好みを大いに含んだ見解なのだけれど、家というのは少々武骨なくらいがイチバン良い。昔ながらの職人が、頑丈さを追求して柱の一本一本に技術の粋と魂を込めたような。なんか、そういう感じのやつ。
そういった意味では、目の前の大きな平屋はぼくの理想に近い。
時代の流れに逆らった木造瓦屋根の古屋敷は、どう見たって周囲の軒並みから浮いている。広い建物、広い庭。それを守る四方のブロック塀は、敷き詰められたように並んで縮こまる他の家々を嘲笑っているかのようだ。
鉄柵で閉じられた門前のインターホンを鳴らして数秒待つと、予想よりもクリアーな音質で
『どちら様でしょうか』
「どうも、祟りです」
応えてすぐ、インターホンがブツッと音を立てる。それから少し待つと、鉄柵が自動で開いていった。
『どうぞ』
インターホンが口数少なめにぼくを招き入れる。遠慮なく足を踏み入れ、芝生の踏み心地を確かめつつ、玄関前の呼び鈴を鳴らす。今度は
「こんばんは、たたりさん。月が綺麗ですね」
玄関のドアを開き、姿を現した痩身の男性は丸眼鏡を押し上げながら、無機質な口調で社交辞令をこちらに向ける。社交辞令、というか。ぼくの記憶が正しければそれは口説き文句だったような。まぁいいか。
「こんばんは」
返し、一礼をする。斜め四十五度。一応、こういった礼儀作法は教わったので、自然な
ぼくは祟りである。祟りが家人の都合を考えるとはこれ如何に、とも思う。
頭を上げれば、男性と目が合った。何かを期待するかのような眼差しを向けられ、
「こんばんは、爪崎さん。月なんて大きな石ころですよ」
――――――
「さて」と爪崎さんは言った。
通されたのはイ草の匂いが香る六畳一間。天井の低さも相まって、客人をもてなすにはやや狭く感じるけれど、個人的には嫌いじゃない。こうして座っていると、ひっそり茶会でも開きたくなる心地良さだ。
吊り下げ式の照明が、灯籠のようなデザインであるのも好印象。
「秋の御目通りは先日に、
言いながら、急須で淹れたお茶を差し出してくる爪崎さん。
「分家も分家、宗家の
「
思わず零れた感想を置いて、湯気の立った茶碗を受け取る。習った所作をそのまま投影し、茶碗に口付けた。ほぅ、ふむ。爪崎さんはどうやら、お茶を淹れる才能を持っていないらしい。
「して、本日は何用で御座いましょうか?」
問われて、僕は茶碗を手前横に置いた。二度と口を付ける事は無いだろうけれど、突き返すのも気が引ける。
「さっき言った通りですよ」
「はぁ」
小首を傾げる爪崎さん。張り付いた笑顔が少し困った風にして歪む。
「言った通り、ですか。はて」
しらばっくれている、というわけではなさそうだ。であれば、埒を開けよう。
「祟りです。祟りに来ました」
「……誰を?」
「貴方を」
「何故?」
「心当たりがあるのでは?」
ここまで言えば、流石に伝わるはずだ。そう
「あぁ、成程。バレてしまったんですね……」
「そういう事です」
「私が妻を、
「……」
惜しい、といえば惜しいのである。けれど、ニアピンというか。そこはかとなく、そこじゃない。
「当間の地を統べるは
どうだろう。
「であるならば、祟りの対象と見なされるは
どうだろう。
「然しながら、何の弁明も許されないというのは口惜しい。恩情を
「……」
どうだろう。ここまで
まるで演説でもするみたいに身振り手振りを加えて“事情”を語る爪崎さんは、どうやら演技の才能も無さそうだ。大げさ過ぎてつまらないのだけれど、そのつまらなさが逆に面白い。
とはいえ、時間は有限だ。夜も更けてくるし、そろそろ帰りたくなってきた。
爪崎さんの妻……
それ
「であるからして」
「爪崎さん」
そろそろ口を挟ませて貰おう。
「どうでもいいっす。その話」
きっぱりと告げて、打ち切る。すると爪崎さんは、
「残念、残念です。宗家、首塚当代のお心に我が
「いや、そういうんじゃないです」
これ以上喋らせておくと面白さよりも
「仮に爪崎さんの奥さんが、爪崎さんの言う通りの人であったとしても、そんな事はどうでもいいし、殺した事だってどうでもいいんですよ」
そんな事はどうでもいい。
「たった今、爪崎さんが語った話が全部嘘だっていう事もどうだっていいですし」
「は?」
「本当の所……奥さんは貴方という恐怖に怯え、最期の時すら
どうでもいい。どうでもいい。
「爪崎さん。これは、そうっすね」
どうでもいいのだけれど、きっちりと説明してあげなければ、彼が妙な真似をしないとも限らない。
「祟りなんてものを自称するキチガイ娘の、
そう前置いて。ぼくは
よって、繰り言。わざわざ言語化して伝えなければならない事への不満、愚痴溢し。世迷言。
「爪崎さんは先代の首塚たたり……つまりぼくの
どこから説明を始めるべきか悩んだけれど、順を追った方が理解は
「だから、かあさまに容姿が似ていた
宗家とでは身分が違い過ぎる。分家同士であれば、多少の格差があってもそこまで障害にはならない。要は妥協だ。中身を似せていくのは後でいい。外見ばかりは……まぁ、整形という手もあるが、そんな分かりやすい形で示してしまうと、宗家への劣情が明るみに出て、祟りの対象にされてしまうと考えたのだろう。
「奥さんを恐怖で縛り、支配した。そうして先代たたりのように、いえ。貴方の中で作り上げた妄想のたたりのように振舞わせた」
自分を愛してくれるたたりを。
誰もが
「飽きてきた……て感じなんすかねぇ」
その憤りは去年、先代たたりが没して過激化した。もはや実物を眺め、己を慰める事も叶わない。そうなれば、贋作に妄想を強いる手も激しくなってくる。
上手くやれなければ罰を与える。どうして上手くやらない? 必死さが足りないのだ。懸命さが足りないのだ。ならば罰を。もっと罰を。命を賭して我が理想を体現する事を至上命題とするように。罰を。
「で、やりすぎちゃったと」
壊れた贋作を見下ろして、彼は慌てたろうか。恐らくはそれほどでもない。苛立ちはあっても、スペアは既に産ませてある。
「故子ちゃんを御目通しに連れてきたのは、前作の失敗を省みた結果」
前作は本物を実際に見る機会が無かった。本物は既にこの世に存在しないが、限りなく本物に近い物なら、ある。
そこも妥協した。
本物を追い求め過ぎても、
初めから“精度の高い贋作の贋作”を作ろう。そうすれば、気休めとして悪くない程度の物は作れるに違いない。
幸いにも、
「さて」
この辺りで一段落。というか、ここまで語ればそろそろいいんじゃないだろうか。
「爪崎さん。ぼくはここまで悟って尚、そんな事はどうでもいいって言うんですけども」
彼の顔色を見る。語れば語るほどに色を失っていった彼の表情は、とっくに無を通り越している。越して、
「そこまで知って、それは罪ではないと?」
は? 馬鹿ですか?
「罪に決まってるじゃないっすか」
この場合、罪というのは宗教や何かで語られる人間の根源的罪だとか、
「それは白日の下に
「なぁ、さっきからその「っす」ていうやつ、やめてくれないか?」
あぁ、やはり気に食わなかったか。かあさまは公的な場だと
「それさえ無ければ、君は私が望む限り最高の妥協点足りえるんだが」
「さーせん」
ぴくり、と眉根が動く。これも駄目か。まぁ分かっていて言ったのだけれど。
「話を戻すんだがね……それが祟りの対象とならない、というのであれば。教えてほしいものだ。私は何故、祟られた?」
それは簡単、至極明快な理由である。
「爪崎さん。奥さんの死体を埋めたのは、林の碑石の近くっすよね」
「そうだ」
「そんな所まで死体とスコップを持って行くなんて、並大抵の労苦じゃなかったでしょう」
完全に脱力した人間一人の身体は、生きた人間を担ぐのとはワケが違う。しかもそこまでやって前座だ。死体がすっぽり収まるほどの穴を手作業で掘るというのは、口で言うほど簡単ではない。間違いなくそれは重労働だし、細身の中年男性にはキツい作業だっただろう。
「あぁ、骨が折れたよ」
「うんざりしてたんじゃないですか。色々ぞんざいになっちゃったり? こう、スコップなんか雑に振り回すみたいになっちゃってたり」
「それがなんだと言うんだッ!!」
怒った。からかい甲斐があるのは父親からの遺伝だったんだなぁ。
故子ちゃんの泣き顔を思い出し、笑いかけたのを堪えて、ぼくは努めて冷静な口調で説いた。
「だから、それっすよ」
「それ?」
「はい。たぶん、持ってく時にスコップが当たったんすよ」
「……何に?」
「碑石に。で、欠けちゃったんす。碑石」
「は?」
は? て言われましても。
「そんな事、で?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような。そんな言葉がまさしく似合う顔を、ぼくは初めて見た。ちょっと感動。けれども。
「祟りなんてそんなもんっすよ」
そんなものである。世の一般常識や価値観で重視されるような事柄は一切考慮しない。祟り主にとって、自らの慰霊碑は
「
言い終えて、ぺこりと一礼する。爪崎さんは呆気に取られた様子で固まり、やがて
「じゃ、祟りますけど」
「……」
言い置いて。ぼくはレジ袋を彼の前に差し出した。彼はふと顔を上げ、無言でレジ袋を睨み付ける。
「コロッケ、じゃなかった。メンチカツです。最期の
無言。長い沈黙の中で、しとしと雨音が響く。
どれくらいの時間が過ぎたのか、爪崎さんはゆっくりと片手を上げて、レジ袋に指先を伸ばす。そして……。
「!!」
そうして――襲い掛かってきた。
勢いよく立ち上がり、鬼気迫る
飢えた野犬さながらの
「
青筋立った腕がぼくの首に触れんとするその
「え」
レジ袋の中から硝煙の臭い。
間抜けに鳴いて、ケダモノは動きを止める。鼻先に迫ったその顔は、何が起こったのか分からないと言いたげで、遅れて感じ始めたのであろう腹部の違和感に目を向けた。小さな穴。それは次第に赤く、黒い染みを衣服に広げていく。
「なんで」
「なんで、て言われましても」
横に倒れる。起き上がる事は出来まい。
レジ袋の中、消音器の先端から放たれた7.62x38mmナガン弾は、たった一発でケダモノの活動力を奪うに十分な殺傷性がある事を証明した。
立ち上がり、
大きく背伸びをしたぼくの耳元に、聴きなれない音がやってくる。ひゅう、ひゅう。風かと思えば、それはケダモノの呼吸音だった。いつの間にか、雨は止んでいる。
「うーん」
放っておいてもいいのだが。
ぼくは
「表」
言って、硬貨を宙に放る。回転しながら落下するそれを手の甲で受け止め、片手で覆う。開くと、硬貨は裏面を向けて天井を見上げていた。
「残念です」
ぴしゅん、ぴしゅん、ぴしゅん。
――――――
「首塚さん?」
玄関を開けたぼくを待ち受けていたのは、故子ちゃんとの運命的な再会だった。
いや、そんな大層なものでもないか。ここ家だし、彼女の。
「こんばんは」
片手をひらひらさせながら
「
背中を見送り、外の方へ振り返ると、セーラー服の女の子が困惑した様子で立っている。
あぁ、似ている。ぼくに。そういう事だろうな。どうでもいいけれど、うーん。
「なんて言われてここまで来たのか知んないけどさ」
切り出され、困惑したままこちらを見つめる女の子に対し、ぼくはむき出しのナガンM1895を眼前に突き付けて伝える。
「帰った方がいいよ。面倒事に巻き込まれたくないでしょ?」
目の前の物と、言葉の意味を察してかどうか。ともあれ女の子は
「さて」
と、一息。ぼくは女の子が去っていった方向と逆の道を歩きながら、爪崎家の今後について
「まぁ」
きっとぼくを恨むだろう。最も恨むべき対象が、恐れを抱いていた相手がこの世を去ってしまったわけだから、良くも悪くも精神的なゆとりを得たはずだ。そのゆとりが、崩壊寸前の精神を支える為の
「まぁまぁ」
可哀想だな、と少し思う。
代わりを用意すれば、解放してやってもいい。そんな風に吹き込まれたのだろう。自ら産むか、それとも連れてくるか。
自分で、というのは無理だったのだ。母亡き後、父親に何度も犯されながら孕む事が無かったのであれば、それは彼女が産めない身体であったという事。意思や生理的嫌悪感の問題ではなく、物理的な問題として不可能だった。であれば、連れてくるしかない。
不審者の出没と周囲に取り沙汰されながら、
「まったく」
自我も決断力も欠けた選択である。そんなものだから、もし仮に計画が上手くいって、
「まぁ、それなら」
案外、これで良かったのかもしれない。
「死ぬのはよくないからねぇ」
現代的価値、倫理観に沿って考えればの話だが。まぁ、その辺りで。何処かで猫が鳴いた。にゃーん。
「世迷言、世迷言」
繰り返し呟く。
どうでもいいのである。そんなものなのである。
自称祟りのキチガイ娘が、帰路の手慰み程度に儚んだ少女の行く末などは、あのうら寂しげな
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます