彼氏の失踪
一希児雄
彼氏の失踪
都内の会社に勤めているOLのえりかには、同じ経理部所属の
昼休み、えりかは同僚の友人・
「う、ううん…」
「そう…」
「私、弘人と喧嘩しちゃったから…」
「なんで喧嘩しちゃったの?」真由がそう聞くとえりかは俯き、少し沈黙してから静かに口を開く。
「…真由さ…この前、弘人と一緒にいたよね?駅前のアクセサリーショップに…」
「……あぁ、見られてたんだ」
えりかは真由を睨んだ。
「いや、実はさ…」と、真由はバッグから黄色いリボンでラッピングされた小さな箱を取り出し、えりかに手渡す。「空けてごらん?」
えりかはリボンを解き、箱を開けてみた。中には、ハートのパールが装飾された銀色のヘアピンと、『お誕生日おめでとう。僕の彼女になってくれて、本当にありがとう。』と、弘人がえりか宛てに綴ったメッセージカードが入っていた。
「沼澤さんがさ、えりかには何をプレゼントしたら良いかって相談してきたからさ、私がお勧めのアクセサリーショップに連れてってあげたんだよ」
「で…でも…なんでえりかがこれを持ってるの?」
「えりか、沼澤さんと同棲してるでしょ?プレゼントが見つかっちゃうといけないから、私に今日まで預かってほしいって頼んだんだよ」
「う…うそ…そうだったんだ……」
「沼澤さん…本当にどこへ行っちゃったんだろうね…。事件性がないと、捜索願出しても警察って動いてくれないみたいだしね…でも、きっと帰って来るよ。彼、えりかの事をいつも思ってくれてたんだもの。帰ってきたら、ちゃんと仲直りしよ。私が仲介人になってあげるから」
「う、うん……ありがとう、真由…」
弘人が蒸発して何日かが経ったある夜、えりかが仕事を終えて帰路についている時の事だ。数日降り続いていた雨も漸く止んだ深夜、湿気でじめついた空気の中、えりかは一人夜道を歩いていた。そして、自宅のアパート近くの更地を通り過ぎたその時…、「…見られてる」えりかは何かの気配を感じ取った。
恐る恐る振り向くも、後ろには誰もいない。しかし、えりかは明らかに誰かが自分を見ている、自分をつけているのを感じていた。えりかは足を速め、アパートへと急いだ。すると…べちゃ…べちゃ…べちゃ…と、後ろから微かに音が聞こえてくる。雨水でぬかるんだ土を踏みつけるような音が、徐々に徐々にえりかに近づいて来ていた。アパートの入り口まで来たえりかは、再び後ろを振り向いた。アパートの電灯が照らす明かりの向こうの暗闇から聞こえてくる音…それと共に、暗闇の中で何か動くものが見えてきた。えりかは目を凝らして見てみると、真っ黒い人影がえりかの方へと近づいて来ているのが分かった。えりかは、その得体のしれない黒い影にゾッとし、自分の部屋である303号室へと急いだ。迫り来る黒い影から逃れようと、えりかは必死で階段を駆け上った。部屋の前までやって来たえりかは、ドアを開けようと鍵を取り出した。しかし、慌てて差し込もうとしたために鍵を落としてしまう。えりかが鍵を拾おうと腰をかがめた時、べちゃりべちゃりと影が階段をゆっくりと上る足音が聞こえた。えりかは急いで鍵を拾い、鍵穴に差し込んだ。ガチャリとドアが開き、えりかは部屋の中へと飛び込んだ。
鍵を閉め、えりかはしばらくドアスコープから外の様子を伺った。しかし、黒い影は部屋の前に現れる事はなく、先程まで聞こえていた足音ももうしない。
安堵したえりかは、冷や汗でぐっしょりと濡れた体を洗おうと服を脱ぎ、浴室に入った。
シャワーの湯を全身に浴びながら、えりかは黒い影の事を振り返った。
(一体何だったんだろう…あれは人間なの?とてもそうは思えない…幽霊なの?…なんで私を追ってきたの?………ひょっとして!)と、シャワーの湯を止めるえりか。(…………いや、そんなはずはない…。きっと幻覚だ。そうに違いない…)えりかはそう自分に言い聞かせ、再び水栓を回す。身体中の汗と共に、仕事の疲れと数分前の身の毛もよだつ恐怖を洗い流していく…。
えりかが顔を洗おうとして口の中に湯がに入った瞬間、何やら不快な味がした。と同時に、強烈な生臭さを感じた。
「うっ!」えりかは嘔吐した。
見ると、シャワーから黒ずんだ水が流れ出ていた。そして、黒い水と一緒に赤い色が混じっていた…。血だ。えりかは浴室から飛び出した。バスタオルで真っ黒に塗れた身体を拭うと、部屋の隅に縮こまり、恐ろしさのあまりに子供のように泣きじゃくる。これは悪夢なのか現実なのか、えりかは錯乱した。
べちゃ…べちゃ…べちゃ……………部屋の中であの音が聞こえてくる。えりかは恐る恐る顔を上げた。暗い部屋の中、不気味な黒い影が立っていた。黒い影はその場でえりかの事をジッと見ていたかと思うと、じりじりと彼女の方へと近づくる。えりかは逃げたくても足が震えて立ち上がる事が出来ない。近づくにつれて、影の姿が段々と顕在化し始める。それは、全身泥にまみれた人間のようだった。泥人間は黒い手でえりかの両肩を掴んだ。
「…だしてくれ…ここから…だしてくれ……」泥人間はかすれた声で繰り返しそう言った。
えりかは押し離そうと泥人間の顔に手をやった。その瞬間顔についた泥が滑り落ち、その下から泥人間の素顔が現れた。えりかは戦慄した…。
「だしてくれ…だしてくれ……え…り…か……」
「……ごめんなさい!…ごめんなさい!許してお願い!!」えりかが泣き叫ぶと、泥人間は手を放した。そして、身体が崩れ落ちて床に吸い込まれるように消えていった。
恐怖で高ぶった気が鎮まると同時に、えりかの目から涙が溢れ出た。えりかは、弘人のギフト箱をバックから取り出し、蓋を開けた。プレゼントのヘアピンを右手でぐっと強く握りしめ、そのままスマホでどこかへと電話をかけ始めた。
『はい、110番です。事件ですか?事故ですか?』
「……あの…私、弘人を…彼氏を…殺しちゃいました…」
その後…アパート近くの更地から、弘人の死体が発見された。
彼氏の失踪 一希児雄 @kijiohajime
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