第34話 飯星カンナ 優しさの種類。

 飯星いいぼしカンナ目線。


 ふたりを迎え入れた。

 正直打つ手があって迎え入れたワケじゃない。所詮しょせん私は子供。少し浅知恵が利くだけで何も出来ていない。ここに凪沙なぎさを無事に迎え入れることが出来たのは、枇々木ひびき君が偶然彼女と出会えたのとその行動力。


 そして安全にふたりが移動出来たのは、お父さんから渡されてるクレカでタクシーを使えたから。私は弱く、まだ何も持っていない。しかもビビり。だから本来こんな事件に顔を突っ込んでいいタイプじゃない。


 でも――

 そんな泣きごと言っていい時じゃない。親友が見ず知らずの人に初体験を無断で売られた。しかも売り出したのは彼氏の家族。まちがいなく彼、来島くるしま瑛太えいたもグル。


 付き合いこそ短いが、石澤凪沙は優しい言葉に弱い。人の優しさにえてる。渇望かつぼうしてると言っていい。だから彼氏の来島瑛太に優しい言葉で呼び出されたら信じてしまう。


 いや、正確には信じたいと思ってしまう。

 来島瑛太は凪沙の依存体質をよく理解し、操作してる。だから、私がここで手をこまねいていたら、今度は彼女の同意のうえで、初体験を奪われるのは目に見えていた。それを阻止そしできる位置にいるのは、私と枇々木俊樹だけなのだ。


 私は――

 枇々木君と関係を持った。凪沙は自分より女子っぽいし、枇々木君自身押しに弱い。優柔不断。キツイことが言えない人。それは決して欠点ばかりじゃないけど、められるところでもない。


 私がしようとしてることは「のきを貸して母屋おもやを取られる」になるかも、知れない。この場合の母屋は枇々木君のこと。


 なにを躊躇ちゅうちょしてるの、私? 私の手の届かないところで、もう手遅れになってた方がよかった? 冗談じゃない。何かできる余地が、まだあることを神さまに感謝しないと!


 もし仮に母屋を取られても、取り返せばいい。なんなら前に凪沙が言ってたように枇々木君をシェアしてもいい。お金で他人の初体験を自由にしようなんてヤツに負けて、明日食べるご飯がおいしいのかって話。


 だからこれは決してお人好しでするのではない。これから先、私が食べる牛丼チェーンの朝定食を美味しくいただくために必要な行動。

『あの時こうしておけば……』なんて考えながらじゃ、せっかくの朝定がおいしく頂けない! なので手抜かりは許されない。


 ***

「だいたいの状況はわかった。無事でよかった。枇々木君、ありがとね」

 説明を受けた私は、ふたりの無事と枇々木君の行動に感謝した。飲み物を持つ凪沙の手が冗談じゃないくらいに振るえて、コップの中の液体をこぼしそう――この子と、いつから親友になったのだろう。


 もしかしたら、今日私を頼ってくれたから? わからない。でも見捨てる、放置する、知らん顔をする。そんな事なかれ主義。傍観者。そんなもんはクソ喰らえだ。そして、基本路線を最初に決めた。


「いい? 誰が反対してもこの件を警察に言うの。大人に相談して穏便おんびんになんてして、顔色を見てるうちに凪沙が拉致されない保証はない。だから荒立てる。めんどくさそうな顔する大人がいたとしても、強制的に巻き込む。だから反対されるより早く行動する。これはいいよね?」


 意見を聞いてる感じにしてるが結論を語ってる。

 ここを曖昧にしたら、何も決まらないし何も守れない。なにも凪沙を守るのは自分たちの腕力だけじゃない。


 でも、ズルい私は先にお父さんにこの事を相談していた。自分勝手だと思う。だけど、病院経営をしてるお父さんに、不測の事態が起きてはいけないと思った。足を引っ張りたくない。慎重しんちょうでありたかった。


 私はズルい。卑怯な私は自分だけ――自分の親だけ、家族だけ切り離せないか、ふたりが来るまでに行動した。姑息こそくにも足掻あがいた。


 だけど、変わらなかった。なにも。私が両親に思い描いていた信頼。家族への思いは変わらなかった。お父さんは私の言葉を全面的に受け入れ、必要な支援を約束してくれた。家族を切り離して守ろうとした私。でも、家族はそんな私の矢面に立ち、さらに守ろうとしてくれた。


 必要な支援――それは凪沙のお母さんの説得であり、枇々木君の親に対する説明。子供たちが勝手なことをした。暴走をした。そんな責めを受けないで済むように考えてくれた。


 最も難関だと思われた凪沙の母親の説得はお母さんが。枇々木君の家にはお兄ちゃんが。お父さんは警察に相談をしてくれ、警察にはお姉ちゃんが同行してくれた。


 絵は今でも好きだ。

 絵を描く仕事をしたいという思いは今もある。

 だけど。どうなのかなぁ。誰も家族は反対しないだろう。逆に応援してくれるだろう。でも、いつもどこかで何かが引っ掛かる。私はこの家族と同じ道を歩みたい。歩ませて欲しいという思いは小さくない。


 医療の道。悩んだり迷ったりした時に相談したい。何年先になるかわからないけど、もし自分が家族と同じ道で相談されたり、必要とされるなら、それは凄く。いい。私は今回のことで、更にその気持ちが大きくなった。


 ***

 警察に相談することに凪沙なぎさは拒否反応をしたが、枇々木君が説得してくれた。

「24時間は守れない」「自分たちがいない時に、もしものことがあったら」「安心できない」そんな言葉を丁寧ていねいに凪沙に伝えていた。同じ言葉でも私から聞くより全然伝わるだろう。


 それでも「心配でしかたない」ことはちゃんと伝えた。そして余計なことも口走ってしまう「自分の方を見てくれないお母さんのために、人生を捨てないで欲しい」と。


 私は愛されている。

 その自信を家族は持たせてくれる。そんな家族ばかりじゃないのはわかる。だけど親友がばちになってしまわないか、心配なのは変わらない。口出しをする資格があるかないか、というなら、その資格を作ればいい。


 この先の人生で、関われるだけ関わって、自分だから口が出せたって言えるようになる。だからこそ、どうしても言葉にしないといけない事がある。


「警察に通報することで、来島くるしま家の連中は、凪沙にこれ以上関わらないと思う。来島瑛太のバンド仲間もわざわざ犯罪者になりたくないでしょう。でもだからって、問題は全部きれいに解決したことにはならない」


「それってどういうこと?」

 同じ男性の枇々木君でもピーンと来ないか。

 なら凪沙にその発想がなくても仕方ない。でも、これは枇々木君にとっては、いばらの道なんだけど、君は私のこんな言葉を聞いても、いつもの君でいてくれますか?

 よそう、わが身大事じゃ、なにも守れないし、誰もどこにも辿たどり着けない。


「100万円」

「あっ……」

 ようやく枇々木君は理解したようだ。

 そして苦い顔。何に対しての苦い顔だろう。私が望む君への役回りだろうか。私の言葉で彼を遠ざけるかも。そして彼の反応で3人はバラバラになってしまうかも。だけど、踏み出さないと。


「カンナ、100万円ってどうなったんだろ」

「うん、わからない。わからないけど、100万円は安い金額じゃない。もし仮に、来島家の連中が、そのおじさんに返したとしても、それで納得してくれるかわからない。それは別の話として、でも実際その金額が動いた。動いたってことは、そこに価値を見出す人がいたってこと。つまりあんたの初体験に、実際それだけの価値を感じてお金をだしたヤツがいたってこと。気持ちいい話じゃないけど、最後まで聞いて。じゃあ、実際その価値って何に対して感じたのって話」


「何って、どういうこと」

「細分化するとⒶ『初体験』に価値を感じたのかⒷ 『石澤凪沙』に価値を感じたのかⒸ『石澤凪沙の初体験』に価値を感じたのかになる。私見になるけどⒸだと思う」

 凪沙の顔色は見る見る真っ青になる。ごめん、この話はけては通れないんだ。


「カンナ、何が言いたいんだ? その僕にはこの話、今しないといけないとは思えない」

 凪沙に寄り添う枇々木君に咎められるが、じゃあいつするの? 凪沙が襲われてからじゃ遅いんだって!


「温いこと言わないでよ。凪沙が犯されてからじゃ、遅いから言ってんの。もし仮にそのオタクっぽいおじさんが、何の罪も受けなかったら? 未成年とは知らなかった、なんて言い訳したらどうするの? 同じよ24時間は守れない! 言ったよね? なら分析しなきゃでしょ! 単に初体験だから100万円出したんじゃなくて、石澤凪沙の初体験だから100万出した。そう考えたら、こうはならない?『石澤凪沙の初体験がこの世界から消失したら』そのおじさん興味失せないかな、って。きっとその人なんらかのことで、前から凪沙を知ってた。こんな機会2度とはない、だからお金を出した。だけど、もう初体験終えてましたになったら、執着しゅうちゃくは消える可能性ない? ゼロじゃないでしょ?」


 少し熱くなりかけた枇々木君が座りなおして、あごに手を当てる。ほんの少しの時間。だけどさばきを待つようで苦しい。


「もし、その人が以前から石澤さんのことを知ってた、もしくは、この機会で調べたとして。その可能性はあると思う。もしかしたら、石澤さんに興味が薄れるかも。その可能性が少しでもあるなら、うん。カンナの言うようにするべきだと思う。だけど――」


「だけどなに?」

「うん、そのおじさんに、面と向かって言う機会はない。だから噂を流さないといけない。だけど、噂は信ぴょう性がないと広がらない。信ぴょう性は、つまり興味で第三者が、を伝えたくなるようなことしか噂にならない」


「何が必要?」

「リアリティー。大丈夫、僕が何とか出来ると思う」

「そう? でも、これから3年。いばらの道よ? まぁ、私も側にいるよ。だから頼めるかなぁ、損な役回りだけど」


「損? 逆じゃない。少なくともふたりのヒーローになれる。こんなチャンスはそうない」

 そう言って笑う枇々木君だったが、私たちのヒーローになるってことは、幼馴染の長内おさない佳世奈かよなと、永遠に近い決別をすることになる。


 枇々木ひびき君もだけど、それを支える私たちも、相当な決断が必要になる。学校では、確実に居場所がなくなる。そんな覚悟を決めようとしたときだ。


「待って、待ってそれって、もしかして長内さんもだますってことよね!?」

 うつむいたままだった凪沙が、急に声を荒げた。私は心の中でため息をついた。八方丸く収まるなんてのは、残念だけど今回は狙えない。


 この計画に長内さんを巻き込む時間もなければ、長内さん自身納得してくれるとは限らない。何より秘密をらさないようにするには、最少人数に限る。


 長内さんを信用してないんじゃない。

 枇々木君が凪沙とそういう関係になったという、関係を持ったという『ニセの噂』を――誰でも信用してしまう形で流さないといけない。


 そんな状況に長内さんは沈黙を保てない。必ず瀬戸さんに相談する。いや、瀬戸さんが枇々木君を攻撃するかもしれない。それをかばうために、優しい長内さんは事実を瀬戸さんに伝えるだろう。


 そうなったら、瀬戸さんは親友である長内さんの名誉のために、必ず立ち上がる。そして事実を公表するだろう。残念だけど、それでは意味がない。そして、一度バレた嘘は後で何を上塗りしようと信憑性しんぴょうせいに欠ける。


 それ以後の噂は例え事実だったとしても、おじさんは信じない。噂に対して疑いの目を向けてしまうはずだから。


「ごめん、私、無理だ。長内さん、私によくしてくれてる。枇々木君にちょっかい出した私をクラスを巻き込んで助けてくれた。瑛太のお母さんのスナックでのことで、助けてくれた。無理だよ、長内さんだけはダメ。絶対に裏切れない、私……もう、いいよ。私が我慢したらいいんだから……枇々木君は長内さんと、ね?」


 すべてを諦めた笑顔で笑う凪沙を私はどうできる? その頬を殴る? 自分を大切にしなさいって?

 自分の恩人とも言える、長内さんを優先したい、大切だって、自分より大事だって言ってる親友に。私は何を言えるの?

 出来ない。限界だ。私の浅知恵では人の心は動かない。私の浅知恵なんて、今の凪沙の前では薄っぺらく見える。


「どっちでも一緒」

 枇々木君も諦めたような顔で、言葉で、声をしぼり出した。

「それは?」

 私は聞き返すしかない。


佳世奈かよなに相談したところで『なんで、相談する前に行動しないの?』って言うはず。でも、それは結局、佳世奈の我慢の上で成り立ってるにすぎない。じゃあ、仮に凪沙の言うように、君を見捨てたととして、僕は佳世奈といて楽しいか。佳世奈には散々迷惑を掛けてきたんだ、アイツには――中途半端じゃなくて、ちゃんと嫌われて、憎まれて、自由にしてあげたい。カッコつけたいわけじゃないけど、それが最後の優しさなんだと思うよ」


 今この瞬間。

 私たちの目の前で、ひとつの恋が永遠に終わろうとしていた。もしかしたら、3人が3人とも、その終わりを止めることが出来たかも知れない。


 でも、綺麗事だけど、何かを失う覚悟がないなら、何も手に入らない。私たちの状況はそんなところまで来ていた。








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