未来への切符「KARIMO」

 ​気づくと私は、音のない、底冷えのする美術館のような空間に立っていた。


 天井は高く、濃い群青色に染まっていて、照明はどこにも見当たらないのに、空間全体がうっすらとした月の光のような青白い光に満たされていた。まるで、SNSの通知が一切届かない、未来の誰かの心の部屋のようだった。


 ​その部屋には、一つの大きなガラスケースが置かれている。ケースの中には、古びた真鍮製の小さなレバーと、無数の色褪せた切符が雑然と積み重ねられていた。それらはすべて、私自身の選択肢の残骸のように見えた。酒、競馬、起業、コーヒー、鉄道、趣味への没頭――掴み損ねた可能性の数だけ、切符は存在していた。


 ​その切符の山の中に、たった一枚だけ、周囲の青白い光を反射して金色に輝く切符があることに気づいた。その切符の感触は、ガラス越しなのに、なぜか私の指先にまで伝わってきた。それは絹のように滑らかで、熱を帯びていた。触れたい、その切符が導く未来を見てみたいという激しい高揚感が、胸の奥からせり上がってくる。


 ​しかし、その切符に近づこうと一歩踏み出すたびに、部屋の壁が内側に迫ってくるような、形容しがたい不安に襲われた。壁の質感は湿ったコンクリートのように冷たく、ひび割れていて、まるで「現実」の重圧そのものだった。進めば進むほど、この青い空間が私を潰そうとしているように感じられた。


 ​この輝きは、私が人生を賭けるほど夢中になっている、あの「情熱」そのものだと悟った。それは、貯金を崩してでも手に入れたグッズであり、徹夜して追いかけた時間だ。他者から見れば「非合理的」「時間の無駄」と評されるかもしれない。だが、迫り来る冷たい壁は、そうした世間の声だけでなく、私自身の中に潜む「これはただの浪費ではないか?」「注ぎ込んだ時間に後悔しないか?」という内なる疑念でもあった。特に頭の中で響き渡る声があった。「あなたが注ぐその対象は、あなたの将来の責任を取ってくれない。目先の熱狂にすべてを費やすのは、あまりにも危うい」と。真の喜びは、お金を費やすことではなく、無料でも追える純粋な「好き」にあるはずなのに、いつしか切符(情熱)は高価なものになっていた。


 ​私は、この純粋な熱(金色の切符)を手に取ることと、この冷たい壁に潰されることの二択を迫られている、と直感的に理解した。これは、20代という時間に常に付き纏う感情だ。無限の可能性を信じて踏み出したいのに、一方で責任、常識、失敗といった「閉塞感」(迫る壁)に押しつぶされそうになる。


 ​切符の山をよく見ると、一つ一つの切符には日付と場所が書き込まれていたが、金色に輝く切符には、日付も場所も記されていなかった。ただ、「Unwritten《ウンゲシュリーベン》」(未定)という文字が、薄く、しかし確かな筆跡で刻まれているだけだった。


 ​その瞬間、夢の中の感情は不安から、一種の諦め、そして静かな決意へと変わった。未来は、探して見つけるものではなく、自分で書き込むものだ。そして、この熱い情熱が、未定の未来を金色に塗り替える唯一のペンになる。私が不安を感じていたのは、切符に書かれた場所へ行くことではなく、切符そのものが「他者に書かれたもの」であることに対してだったのかもしれない。


 ​目を覚ますと、部屋の天井はいつもの見慣れた白に戻っていたが、手のひらには微かな真鍮の冷たさが残っていた。


 ​あの夢は、私に問いかけている。「君の人生の切符は、誰に書いてもらいたい?」と。


 ​私たちの20代は、選択肢が多すぎる時代だ。「好きはいずれ嫌いになる」という感情の移ろいの皮肉を受け入れた上で、私は結論を得た。あの夢の後、私は決心した。誰かの活動を「お金で見る」ことに依存した喜びは、その活動の炎上とともに一瞬で崩れ去り、大きな後悔として残った。その経験は、私が切符の全てを他者に委ねていたことへの痛烈な警告だったのだ。


 ​私は、誰かを応援する中で得た「誰かを最高だと信じ抜く力」と「熱中して時間を忘れる集中力」を、自己責任で完結する場所へと振り向けた。それは、自身の小さなブランド「karimo」の構築、そして小説の執筆という創造的な行為だった。誰かの才能を応援するのではなく、自分の能力と創造性だけに賭ける道を選んだのだ。


 ​最初の頃、karimoは誰にも見向きもされなかった。それでも、誰にも文句を言われず、誰の気分にも左右されない「自分の城」を築き続けることに、静かな充足感があった。自分の居場所を確かめるように、私は「karimo」というキーワードで検索エンジンを叩いた。結果は、ブランドとは関係のない同名の事物ばかり。しかし、諦めずに正式名称の「karimoエンターテイメント」で検索したところ、自身の小説に登場させた「青年の翼」のイラストが、検索結果にヒットした。それは小さな一歩だったが、他者に依存しない自分の足跡だと感じた。


 ​そして、最近になってAI検索モードが追加された。常に検索窓を叩いていた私は、恐る恐るAIに「karimoエンターテイメントとは?」と尋ねた。すると、AIは明確に「愛称はkarimoです」と答えてくれた。誰にも教えたことのない、私たちの内輪の呼称が、時代の集合知(AI)に認識された瞬間だった。さらに踏み込んで「karimoの構築はどれほどすごいことか」と聞くと、AIは「そう簡単にできることではなく、巧妙に練られた戦略と継続的な努力の賜物である」と答えた。その瞬間、私はあの消費的な熱狂で得た喜び以上の、誰にも依存しない、持続可能な喜びを感じた。それは、一過性の「熱狂による快感」ではなく、「自分が世界に痕跡を残した」という静かな確信だった。


 ​私にとって、自分の熱量を「karimo」や「青年の翼」という創作活動に昇華させることこそが、切符の行き先を自分で決める「推し活以上」の価値だった。


 ​あなたは、熱狂を消費に終わらせますか? それとも、自分の人生の切符を自ら書き換える「ブランド」を築き上げますか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る