【短編連作】妄想売人パラノイア【ダークファンタジー】

桜野うさ

case.1 娘想いの父親①

 無数の配線が這う天井から、裸電球がコンクリートの壁と床を照らしていた。死にかけの蛍が放つような鈍い明るさだ。

 その弱い光に羽虫が集い、パチパチと乾いた音が小さく響いている。


 収容所の独房を改装したこの店――妄想屋は、洗面所や便所を取り壊してなお手狭だった。

 必要な物を置いただけでいやに圧迫感があり、客が二人も入ればもういっぱいだ。

 広くて快適な別の牢獄へやは先客が店や住居にしている。無整備地区スラムの物件は早い者勝ちだった。


「暇だねぇ」


 店の主人パラノイアは、ラタンのソファに寝そべり、雲の模様が描かれた青色の小瓶を片手で弄んだ。

 裸電球に照り返されて小瓶は妖しく煌めく。

 小瓶は美煙壺びえんこという。中身は、吸えば他人の妄想が見られる嗅ぎ煙草だ。パラノイアはこれを売って生計を立てている。

 壁際に鎮座する棚には美煙壺が綺麗に並んでいる。色、形、模様の組み合わせにひとつとして同じものはない。妄想が千差万別であることを表すパラノイアのこだわりだった。


 映画や絵画、小説などが自由に楽しめなくなった現代人にとって、妄想は貴重な娯楽で、情報源だった。



 思想を文字や絵など何らかの表現で他人に伝えることは、現代では大罪だ。『奴ら』に見つかれば『教育』対象となる。『教育』された人間は人格を失い『奴ら』の考える理想的な人類になるという。

 香りで他人と思想を共有できる妄想だけは、嗅覚のない『奴ら』を欺くことができた。


 今日は妄想屋の客足はまばらだった。パラノイアは妄想を嗜んで暇を潰そうと考え、美煙壺の蓋を開けた。ベリーのような爽やかな香りが立ち昇った。舌がじゅわっと湿る。空腹でご馳走を前にした時と同じくたまらない気分だ。

 その時、入り口を塞ぐ二枚の布が揺れた。布の間から青みを帯びた黒い羽根のカラスが姿を現した。


「おかえり、リビドー」


 パラノイアは美煙壺の蓋を閉じると金色の瞳をカラスに向けた。

 カラスは素早くパラノイアの頭上まで飛び、何かを吐き出した。頭にぶつかるすんでのところでパラノイアはそれを受け止めた。楕円形のブローチだ。パラノイアが身につけている長袍チャンパオと同じ、深い紫色をした大振りの宝石が真ん中にはめ込まれている。


【おい、ノア。仕事中にだらしねぇ格好してんじゃねぇヨ】


 カラスはパラノイアの相棒で、名前はリビドー。パラノイアだけにひとの言葉として聞こえる特殊な周波数で鳴く。


【おいらは臭くて汚いゴミ捨て場で必死に妄想の媒体を探してたってのにヨ!】

「お前の頑張りは鼻でよく理解したよ」


 パラノイアはわざとらしく指で鼻をこすった。


【ったく、誰のおかげで商売できると思ってんダ!】


 リビドーは威嚇するように激しく羽根をばたつかせた。本気で怒っているわけではない。長い付き合いのパラノイアとリビドーは気安い間柄で、軽口はいつものことだった。


【もうすぐ客が来るゼ】

「そりゃよかった。暇すぎて商品に手をつけるところだったよ」

【おいおいまたかヨ】


 リビドーは呆れたように言う。パラノイアの悪癖もいつものことだ。

 パラノイアが妄想屋を営んでいる理由のひとつは、ひとえに妄想を愛しているからである。


【客は金を持ってそうな身なりのいい男がたくさんダ。恥ずかしいから、そのぼさぼさ髪を何とかしろヨ】


 身なりのいい男が複数でこんなところに来るなんてわけありだ。妄想屋に足を運ぶ人間にわけのないものなどいなかったが。

 パラノイアは気だるげに起き上がると、髪をまとめている金色の紐をほどいた。惰性で伸ばして腰まで届くほど長くなった黒髪を申し訳程度に手櫛で整え、不格好な三つ編みを作り直す。

 首から下げている鍵の形をした銀色の長命鎖チャンミンスオの位置を正した。仕上げに服の埃を叩いて皺を伸ばす。


 カウンターーー積み上げたコンクリートブロックに布を被せただけの物だーーに腰かけてすぐ、店の外から男の声が響いた。


「妄想屋はここで間違いないか」

「そうだよ」


 店の外で男たちがひそひそと話しているのが聞こえた。話がまとまったのか、しばらくすると「失礼する」と言って男がふたり入って来た。

 ひとりは五十代半ばから後半くらいだ。質のよさそうなダークスーツを身につけ、白髪交じりの髪を丁寧に撫でつけている。精悍な顔つきだった。

 目の下にくっきりと隈があるのが少し気になる。


 もうひとりは若い男だ。重そうなジュラルミンケースを持っている。

 こちらもスーツ姿だが、服の上からでもわかるほど鍛えられた肉体をしていた。わずかにスーツが不自然に膨らんでいる。武器を隠しているのだろう。恐らく若い男は白髪交じりの男の護衛だ。


 パラノイアは男らをソファに促した。白髪交じりの男は断りを入れてからすわった。若い男は口を一文字に結んで立ったままだった。


「妄想を売って欲しいのはあんたかい?」


 パラノイアは白髪交じり男に尋ねた。男は重々しい口調で「そうだ」と答えた。


「どんな妄想がいるんだい」

「自由に歩ける妄想だ」


 見たところ白髪交じりの男は足が不自由では無さそうだ。パラノイアが不可解な表情をしているのが伝わったのか、白髪交じりの男は「娘に見せてやりたいのだ」と、苦々し気に呟いた。


「娘は生まれた時から体が弱く、屋敷から出たことがない。最期くらい自由に外を歩かせてやりたくてな」

「最期って、死ぬのかい」

「ああ、もう長くない」


 白髪交じりの男はソファの後ろにいる若い男に指示を出した。若い男は持っていたジュラルミンケースを開いた。リビドーの口から歓声が漏れる。ケースの中にはぎっしりと金が詰まっていた。三千万はあるだろう。


「足りなければ言ってくれ」

【すげぇ金だナァ! こんだけありゃしばらく遊んで暮らせるゼ!】

「こんなところで大金なんて出すもんじゃないよ」


 パラノイアは声をひそめた。盗賊にでも見つかって襲われたらたまったものではない。盗賊でなくても、これだけの大金を目にすれば妙なことを考える者は多いだろう。

 軍や警察組織が機能している中央都市セントラルシティならともかく、無整備地区ここで大金を持っているのは危険過ぎる。


「少し下品だったかな」


 白髪交じりの男は薄く笑う。


「妄想は売ってやるよ。料金はその一束でいい」

【もったいねぇナァ。全部貰っちまえばいいのにヨ!】


 パラノイアはリビドーを無視し、先ほど弄んでいた青色の小瓶を男に差し出した。


「これなんかちょうどいいよ」

「どんな妄想だ」


 白髪交じりの男は興味深そうに美煙壺を眺めた。


「本を自由に閲覧できていた時代に、絵本を愛した少女が抱いた妄想だよ。メルヘンチックな世界が見れる。現実世界はこんな状態だし、もっと楽しい世界を見せてやる方がいいと思ったんだ」


 白髪交じりの男の問いにパラノイアは答えた。


「先に私が見ることは可能か」

「もちろん。ソファの上で横になりな」

「今ここで見るのか」

「早い方がいいだろ」


 白髪交じりの男は声量を落として若い男に話しかけた。「何かあれば……」とだけ聞き取れた。

 若い男は重々しく頷き、パラノイアに一瞥をくれた。警戒しているようだ。妄想を見ている間は体が無防備になるのだから仕方がない。


「ではお願いしようか」


 やがて白髪交じりの男は言った。

 パラノイアは美煙壺の蓋を開け、蓋の裏側についた短い耳かきのようなもので粉末状の妄想を掻き出した。妄想は茶色く、土っぽい姿をしている。


「手を広げてこっちに出しな」


 白髪交じりの男は素直に従った。パラノイアは男の親指の付け根にできた窪みを天井に向けると、粉末を置いた。粉末は体温で半透明の煙に変化してゆく。煙が男の鼻先に触れた。


「その煙を吸うんだ」


 煙を吸った男はしばらくするとすわっているのもつらくなったのか、ゆっくりと横になった。

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