オモイだけでは躍れない

錦木怜

第一章 春

先行公開:第一話 上野君は逃げられない

新作の先行公開です。

続きはちゃんと大学合格でき次第投稿していきます。

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「ねぇ、おかしいと思いません?なんで私というものがありながら、あなたは他の女のところに行こうとしているんですか?」


 そう言って玄関ドアの前で大きく両手を広げ、通せんぼをする彼女。その目は、底なし穴が開いているのではないかと思うほど暗く沈み、俺のことを絶対に逃がさないと言わんばかりの視線を向けてくる。

 しかし、こちらにだって約束がある。ただでさえ時間が押しているのだからこれ以上は油を売っていられないのだ。


「いや……その、ただ……先輩とちょっと飯にでも行こうと——」

「その先輩って、この前図々しくあなたにベタベタしていた泥棒猫の事ですよね?」


 答えた瞬間、食い気味に迫ってくる彼女の気迫。冗談抜きで怖い。いや、それどころか、「先輩」って言っただけで、ピンポイントで誰のことか分かるの普通に怖すぎるんだけど。


(……あ、きっとこれあれだな。ネットで見たぞ、頭にアルミホイルを巻いて思考盗聴がなんたらってやつだ)


 そんな取り留めのない思考を巡らせていると、コイツに振り回されたことによる疲れを改めて実感する。それでも、何とか適当な弁明をしようと口を開きかけるが、今度は「浮気ですよね」とでも言いたげな無言の圧に俺は何も言い返せない。


 お互い無言のまま、空気が張り詰める。そんな静けさの中で、置き時計の秒針の音だけが妙に大きく感じる。


 誤解されたら嫌なので一応言っておくが俺、上野轟うえのとどろきとコイツは交際関係にあるわけではない。さらに話はややこしくはなるがコイツ、北町千束きたまちちさとは生きている人間ではない。所謂幽霊である。


 ああ、だんだんと頭が痛くなってきた。何でこんな変な事に巻き込まれなきゃいけないんだ?

 事故物件だとは承知していた。けれど何かあるにしても、夜中に廊下で足音が聞こえたり、急に部屋の気温が下がったりする程度だろうと高を括っていた。それでもまさか、こんな奴と遭遇することになるだなんて——



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——半月前


 あなたは瑕疵物件かしぶっけんというものをご存知だろうか?これは不動産取引上で当事者が予期していない、なんらかの欠陥がある物件の事を言う。建物自体の欠陥を指す「物理的瑕疵物件」、日当たりや音などの欠陥を指す「環境瑕疵物件」、なんらかの公法上の規制による欠陥を指す「法的瑕疵物件」。

 そして、物件の抱える特殊な事情が何らかのを与える可能性がある欠陥、「心理的瑕疵物件」。主にこの四つに分類される。

 心理的瑕疵物件に関してはと言った方が馴染み深い人もいるのではないだろうか。


 二〇二一年十月に国土交通省によって策定された「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」によると、この事故物件は三年間の告知義務期間が伴う。尚、巷では一定期間雇った人に住んでもらうことで、告知義務を抹消する事故物件ロンダリングなる物も存在するという噂も——


「おーい、着いたぞ轟」


 俺は、隣の運転席に座る先輩に声をかけられ解説サイトの映し出されたスマホの画面から顔を上げた。どうやら目的地に着いていたようだ。近くに何台か車が停まっているところを見るに、どうやらそこはアパートの駐車場らしい。


 先輩に促されるがまま、助手席のドアを開くと車の後方に少し古びた三階建てのアパートがぽつんと佇んでいた。古びた三階建てのアパートは、まるでそこだけ時間が止まってしまったように寂しげで、夕暮れの薄暗い光が無機質な外壁に影を落としている。ここで三年間暮らすのかと考えると胸が躍ると同時に、言いようのない不安に締め付けられるかのような少し不思議な気分になった。



 そもそも何故俺が瑕疵物件の内覧なんてすることになったのか。それにもきちんとした理由がある。進学先として俺が選んだ大学は実家から通える距離にあり、俺は当然のように実家から通学するつもりでいた。ところが、そんな甘い考えはすぐに打ち砕かれることとなる。

 なんと「自立する良い機会だ」と、大学進学と同時に家を出るように両親に言われたのだ。仕送りも最低限しか期待でき無い上、都内ともなると家賃はやはり高い。そこで仕方なく頼ったのが、今隣で無駄口を叩いているアホ毛と八重歯が目立つ彼女、小山大おやまはるだった。

 高校時代所属していた部活の先輩でもあった小山の実家が大学近郊で不動産屋を営んでいることは前から知っていたし、第一彼女自身も俺が通う予定の大学に通っているため、相談しないという手はなかった。事情を話したところ、彼女は相談した翌日には「いい物件があるってさ」、と紹介してくれる運びとなったのだ。


 それがこの物件。瑕疵物件であることを了承の上で、三年間住み続けることを条件に、敷金礼金なしで月二万というあまりにも破格の条件。選択肢は他になかった。



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「えーっと、三〇二、三〇三……と、ここだここ」


 小山先輩は三〇四号室ドアの前で立ち止まり、ポケットから取り出した鍵をドアノブの鍵穴へ突っ込む。ガチャリと軽い音が響いた後、軋みを伴ってドアが開いた。



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