第15話
峠を越えた瞬間がはっきりと眼前に広がった。峻険で噂高い箱根の山はこうも新しい世界を目に見せてくれるのだと初めて知った。急勾配に曲がりくねった起伏の激しい山道に比べて、三島へ降りる道はなんと視界が遠く、新しい地球と土地を開示させてくれるのか。とある漫画にあった光景が広がった。閉じこめられた断崖の底から一人の男が生死を賭けた苦労の末に這い上がり、新天地は広大に飛び込んでくる。それと同じだった。また、散散に人生の辛苦を舐め尽くし、権力闘争と自己顕示欲に巻き込まれた末に因果応報で両腕を断ち切られると、見える太陽と世界がありのままの自然で眩しく眼に映り、生きる事の美しさと存在する事の有り難さを気づかせてくれる。それと同じだった。もはやここは生活圏の際である神奈川ではない。向こうの先には小さい頃に東海道線で訪れたことのある清水があり、一度サーフィン旅行でポイントを点点としたことのある天竜川や玄界灘だけでなく、海と陸と湖の混合した浜松もあれば、半島の自然と夏に風化しない伊良湖岬のぎらぎらした記憶もある。それらは日常を抜けた喜ばしい旅行だった。三島が地べたで待ち構えている。たとえそこが通過点であり、箱根を超えた静岡も駆け抜ける県であっても、最低半年はこの場所に戻ってこない。旅行先である土地を新たな生活拠点とする、今までに経験したことのない、親も慣れ親しんだ地元の仲間もほぼいない自立した自由の生活へ関所は開いたばかりなのだ。
──誘イノ電話ニ逡巡ナド来ナカッタ、蜘蛛ノ糸ガ垂ラサレレバ反射的ニ飛ビカカル、計画デハナク計算ガ、後悔バカリノ無為ト無駄遣イカラ解放シテクレル、ソレニ、各国ノ新技術ヲ観ルコトハ、世界ヲ股ニカケテ機会ヲ見ツケル投資家ノ第一歩トシテ、又ト無イちゃんすダ──。
スロットルを全開に踏ん張って道を上がってきたわけではなくても、エンジンに負荷をかけて低地から登ってきた。帰りの軽やかさとは別物の息吹が微塵のない雲の青空から降りてきて、相模湾を旋回する鳶のように連続して曲がる下り道を鷹揚と進んでいく。昼前の太陽が燦燦と山の上を照らし、一台としてすれ違わない道は神だけが桜の香りと一緒に新天地へと舞い降りるようだった。地上の重力に預かって慣性がハンドルを切るだけで、軽快に右手と右足のブレーキだけが道路を弄ぶように舵を切っていた。ビッグスクーターではなくギア付きのバイクだったなら、もっと唸りをあげて重くエンジンにブレーキをかけただろうが、ビッグスクーターという箱型の車体は単純な駆動で溜めに溜め込んだ過去を箱根の後ろに置き去りにして、三島へ逃亡して行った。その爽快感は耐えに耐えて物事を成就させた達成感よりも、逃げに逃げて完全に振り切ったしてやったりの後腐れだった。
──後景ニ去ッテイク、後ロメタサバカリノ大学生活ガ──。
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