「たぶんだけど……」
「たぶんだけど……」
そう言いながらお姉さんは腕を組んだ。赤ちゃんお母さんは足蹴にしたままで。わたしは「そこ気をつけてね。掃除はしたけれど、まだ残ってるかもしれない」というおばあちゃんの言葉に細心の注意を傾けながら掃き出し窓からリビングへと上がる。
なるほど。そこかしこにキラキラがある。
わたしはソファに腰を下ろすのを諦めて、ランドセル背負ったまま、立ってお話を聞くことにした。
「こいつ」
げし。
「うちらの予想通りまだ2才かそこらなんだ。3才……4、はどうかな。物心、やってはいけないことの区別くらいは、そのくらいになると付くイメージだけど。5才ではねえよなあ。なあ?」
「? なんで?」
「そんくらいの年になるとブレーキ利くだろ。お前は利かねえみたいだけどな」
わたしは渋面をつくった。
皮肉など聞きたい気分じゃない。
「待って。話が見えない。最初からちゃんと説明してよ」
「ばあさん」
顎で示した。
面倒臭かったのか、なんなのか。人に説明するのが苦手なのもしれない。
おばあちゃんが口開いた。
「お姉ちゃんの言った通り」
チラ、とお姉ちゃんを見上げた。
お姉ちゃんと呼んでいるんだなとわたしは今更ながら思った。
「あいちゃんが出て行ってから、その子がいないことに気づいたの。どこ行ったのかなって探していたら、そこの窓が開いていることに気がついて……」
ああ……。
あんよが上手、か。
言った意味がわかった。
わたしは言った。
「歩けるようになったんだね」
「ええ」
そして、わたしがやったことの真似をした。
そういえば、あの時。
わたしが脚立でトイレの窓を石で割っていたあの時。
すりこぎ棒でおばあちゃんに殴られたあの時、一緒に赤ちゃんお母さんは身を乗り出し、脚立から落っこちたわたしを見ていたんだ。
泣き叫びながらも。
子供は親の真似をする。
親はこの場合、誰になるか分からないから、近しい者の真似をした。
されてしまった。
お母さんに真似されるわたし、子供、という構図に嫌悪感が湧いてきて、思わず首を振った。お母さんじゃないんだ。今足元でぐぎゅうううってべそかいているコレは。
赤ちゃんお母さんは体を上手く扱えない。
それは突然大人の体になったからなのか、精神の入れ替わりによる反動が原因なのか、分裂が原因なのか、やはり年齢によるものなのか定かじゃないけれど、とりあえずは扱えない。
箸もちゃんと使えない。
歩けもしない。
しなかった。
はいはいでも怪しかったくらいで、ほとんど匍匐前進で動いていた。だから目が届きやすかったのはある。トイレとかお風呂もほとんど担いで行ってたしね。わたしたちが。それが――。
「はいはいすっ飛ばして歩けるようになった」
「そうね」
おばあちゃんが頷く。
脳の仕組みが分からない。
思い出したのか、単なる《成長》と言っていいのか。この場合。このケース。
こんなケースは他にない。
「それで、家のどこかですごい音がしたと思って飛んで行ったらコミちゃんが泣いていて。血が出てて真っ赤で」
「そっから家に犬が入ってくるわ、猫が大騒ぎして逃げ出すわで大騒ぎだ。ちなみに猫は戻ってきてねー。こんなことしてる場合でもないんだけどそうもいかねー。こいつも抑えとかなきゃならんし。それに、猫戻してきてもこの状態じゃあまたどっか逃げられるよな」
「元々どっかで拾ってきた野良猫でしょ。居着いてもいなかったんだしいいよ」
お姉さんはむっとした。
おばあちゃんが空気を読んだのか、割って入る。
「慌ててコミちゃん治療してる間にも窓がどんどん――」
「待って。犬は? 犬はどこ? 犬は逃げたら流石にやばいよ?」
ご近所に家が犬を飼い始めたことくらいは伝っているだろう。家から逃げたと知れたらマズい。管理責任とか。誰かに怪我。きちんとしつけのなってない、涎垂らした予防接種打ってるかどうかも怪しい中型犬なんて恐怖でしかない。
「そのへんは安心しろ。お前の部屋に一旦詰めてある」
それは全く安心できないけど……。
おしっこうんち対策…………してないんだろうな。はあ。いやだっ。
「ぱりんぱりんよ。わたし怖くって」
「二階の窓は……」
「お姉ちゃんが捕まえようとして逃げて、逃げている間に手に持ってた石で。二階はトイレだけよ」
ってことは全部が全部じゃないんだ。わたしの部屋は大丈夫なんだ。よかった。だからわたしの部屋か。もうひとつの部屋は物置きと化してるもんね。
わたしはふと気になったことを聞いた。
「一階の窓は全部外から割られたってこと?」
「そういうこった。だから気をつけろって言ったんだ」
そうは言ってなかったけど。
そっか。
外から割られたんなら、ガラスは当然大部分が家の中へ入ってくる。
ええーっと。
「それはお風呂もってこと?」
「ええ、そうね」
「ええー?」
大きな破片は取れるだろうけど……。水、で洗い流しちゃマズい気がするし……。コロコロで? コロコロとか家、今まで犬猫いなかったから無いんだけど……。
素っ裸でガラス飛び散っているかもしれない湯船に浸かるのはなぁ。なぁ。ねぇ?
おばあちゃんが事態の深刻さに拍車をかけるようなことを呟く。
「冷蔵庫の食材も尽きてきたし、お買い物にも行かなきゃならないのにねえ」
お姉さんと顔を見合わせた。
お母さんとわたしは二人暮らしだ。当然、そこまで食材は必要なく、買い置きも大してしていない。ただ、冷凍食品や保存食の類が割と今まであったから、なんとかかんとかやってこられたけど、そうもいかなくなってきた。
買い物?
誰が?
そしてコレは、この惨上はどうしておくの?
赤ちゃんお母さんは?
わたしは混乱している。
泣きたくなってくる。
わたしは強い子のはずなのに。
理解不能。許容値を超えたことがあると人間こうまで脆くなるのかってくらいに精神の均衡が崩れている。
うつ病かなんか知らないけど、塞ぎそう。
「あたしらはともかく、成長期のお前に夕飯食わさねーのはちょっとな」
ありがとう?
頭をがしがしかいた。
「仕方ねえ。今日は外で飯でも食って生活に必要な物も一緒に買っちまおう。ついでにみんなで銭湯でも入って帰ってくればいいだろ」
いくないと思う。
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