あやかしがたり

涼月琳牙

風車

 おにいちゃん、という声とともに着物の袖を引かれた。

「ん?」

 夜凪やなぎは自分の周りに子供たちが群れているのに気づいた。人通りの多い江戸の街中、大通りから一本離れたところ。

「どうしたんだ? 俺に何か用か?」

「おにいちゃん、いっしょにあそぼう」

 どこの子だろうか。子供が三人。歳は――八歳ぐらいか。目測だが、八歳、六歳、五歳といったところか。

 ねえいこうよ、と再度、袖を引かれた。

「どこへ?」

「いいところ」

「はい、これあげる」

 手に何かを握らされた。それを見ると、真っ赤な紙が貼られた風車だった。

「風車か?」

「うん! はしると、まわるんだよ」

 ほら、と子供の一人が、同じ風車を持って、夜凪の周りをぱたぱたと走り回る。それでくるくる回る風車も、からからと軽い音を立てた。

「ねえ、あっちいこう」

 と、子供たちが走り出した。

「おい、ちょっと」

 自分に風車を手渡したままで行ってしまうのか。夜凪は子供たちを追いかけた。

「ちょっと、待ってくれ!」

「わーい!」

 ちっとも追いつかない。夜凪の手に握られた風車がからから回る。

 もっと。

 もっと速く。

「待って!」

「かけっこだよ、おにいちゃん!」

 満面の笑みで振り返られて、そのように言われてしまうと、こっちもその気になってくる。

 風車はますます回る速度を速める。

 からからから。

 からからから。

 もっと速く。もっと。もっと。もっと。もっと速く。

「待って!」

 夜凪はこの「かけっこ」を楽しんでいる自分に気づいた。楽しい。子供時分に帰ったような気さえする。

 橋を越え、街を抜け、郊外のほうへと。

 いつの間にか林の中で、徐々に山道になっていく。

 からからから。

 からからから。

 風車は軽快に回る。その音を聞きながら、夜凪は楽しくなってくるのを感じた。

「どこまで行くんだ?」

「あっちだよ。おにいちゃん、あっち」

 前を走る子供たちが笑う。

「この先は寺があるだけだぞ」

 寺? そうか、寺だ。この子たちは寺に引き取られている子供なのだ。

 あれ。寺は確か――?

「待ってくれ!」

 もっと速く。足が止まらない。走る。走る。走る。

 からからから。

 からからから。

 もっと。この先まで。

 先まで。

「――おい!」

 突如、どん、と真横から衝撃を受けて、夜凪は倒れこんだ。何かにぶつかった。

「夜凪さん、あんた何やってんだ!」

「……?」

 夜凪はわけが解からず、ぱちぱちと瞬きをした。自分と一緒に倒れこんでいるのは誰だ。

「――京一郎さん」

 顔見知りの京一郎きょういちろうだった。血相を変えて、息を切らしている。

 京一郎は真っ青だ。

「あんた莫迦ばかか? 死ぬつもりかよ!」

「え?」

 俺は子供たちと「かけっこ」をしていたのだ、と言おうとして、自分の向かっていた先の地面がぷっつりと途切れているのに気づいた。

 地面が無い。

 ――崖。

「え……?」

 どういうことだ。

「京一郎さん」

「ん?」

「この先に寺があったよな? 子供が三人いたよな?」

 夜凪は自分で言いながら、その言葉の矛盾点に気づき始めていた。寺、寺に行くには……今俺が通ってきた道は使わない。もうちょっと麓のほうに近い――。

「何言ってるんだ」

 京一郎はまだ真っ青だ。

「寺が――あったけど、崖下だ。それも、去年の大雨で川が溢れて、鉄砲水になって流されちまったよ。今は跡形もねえよ」

「え……」

「住職と子供たちがいたが、みんなお陀仏だ。あそこに人はいねえよ」

 京一郎は街中で夜凪を見かけて、様子がおかしかったからついてきたのだという。

 壊れた風車を手にして、いやに楽しげに駆けていく。周りに誰もいないのに、「待って」などと時折声をあげて、足の速度は緩めない。

 そうして山へと入っていき、前方が切り立った崖なのにそちらへ向かって、何の躊躇もなしに走りこもうとしているのを見て、これはさすがにやばいと思い、夜凪に飛びついて止めたのだ。

 止めなければきっと――。

「何なんだ一体。夜凪さん、どうしちまったんだ?」

 夜凪は自分でもこの状況を考えていた。

(子供たちがいた。俺に風車を渡して、それで――)

 風車。

 そうだ風車はどこへ行ってしまった。真っ赤な風車。からからとよく回る――。

(……!)

 夜凪は自分の前方へと飛んでいってしまった風車を見た。京一郎に激突された時、取り落としたのだろう。

 その風車は破れていた。破れ、泥や埃で汚れ、軸は歪んでとても回りそうにない。地面に落ちた壊れかたではない。上から何かに押しつぶされたような。

 夜凪は背筋が凍りつくのを感じた。――あのまま、走り続けていたら。

 確実に。

「は、……は、あはははは……」

 突如として乾いた笑い声を上げ始めた夜凪に、京一郎はぎょっとした。

「夜凪さん?」

「あははは……ははは。はははは、あはははは」

 壊れたように笑い声をあげる夜凪を、京一郎は不安げに見つめる。自分が突き飛ばした拍子に頭でもぶつけてしまったのだろうか。

「おい、夜凪さん……」

「京一郎さん」

 夜凪は涙が出てきそうになるのをこらえながら、言った。

「京一郎さんありがとう。俺を止めてくれて」

 ――俺、連れて行かれてしまうところだった。

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