第9話

 自分は何をしているのだろうか。ただ部屋に引きこもり、うずくまりながら自問自答を繰り返す。無為な時間を1秒過ごすごとに、心に暗く重い負荷がかかり続ける。何度逃げ出そうと思っても、その度にチラつくあの頃のナリくんの横顔。逃げ出したいけど逃げ出せない、相反する感情に心が引き裂かれそうになる。まるで底なし沼のように思考は徐々に深く沈み、考えるほどに負の連鎖に陥り、気づけばもう自分では抜け出せないところまで落ちてしまった。ここに残り続けるなら明日には結論を出さなければいけない。どんな結果でもナリくんは尊重してくれるだろう。それでも、だけど、どうしても………。


 カンッ、カンッ、カンッ


と鋭い音が響き渡り、思考は途切れる。ここにいては気分が暗く沈み続けるだけだし、どうしても気になって外に出てみる。なぜか隠れながら、忍ぶように戸口をそっと開けて外を観察する。そこにはナリくんとあたしを襲った女性が戦っていた。とはいえ襲われているというより、訓練につきあってもらっているというような雰囲気だったため、そのまま大人しく観察することにした。そう思った時にはすでに二人の組み手に魅入られ、呆けていた。どれくらい時間が経ったのかわからなかったけど、ナリくんが倒れ伏したことで唐突に組み手は終わりを迎えた。いずれこちらに戻ってくるであろうナリくんと、鉢合わせるのが気まずくて、急いで元の部屋に戻ろうとすると、背中からナリくんの声が聞こえた。普段ナリくんは、普通の声のように周囲の一定範囲内に広がるように念話を飛ばしているためあたしにも二人の話し声は聞こえていた。


『恐怖を克服するにはどうすればいいのでしょうか』


 ドクンッ、と心臓が高鳴り、縫い付けられたかのようにその場から動けなくなる。こちらに気づいているのかわからないが、間違いなくあたしの話をしている。


「普通に考えれば恐怖の根源を取り除くか、綺麗さっぱり忘れてしまうかだろうな」


 それはそうだろう。だけどそれが簡単にできるなら誰も苦労はしないよ。心の中でささやかな反撃を試みる。結果虚しさと情けなさに苛まられ、すぐに後悔した。


『そのどちらも難しい場合は?』


「ふむ、そもそもその恐怖を取り除く必要はあるのか?」


『え?』


………え?


「恐怖というのは指標だ。彼我の能力を冷静に見極めてこその感情というものだ。恐れに身を竦め一歩退くことも一つの英断であるということを念頭に置いた上で、それでも乗り越えたいのなら、強くなるしかない。どれだけ力を付けても上には上がいるだろう。その度に鍛錬し、力を高め、恐怖を足蹴に乗り越えろ。その先の景色でしか君の、君たちの求める解答は得られない。これは経験則でしかないがな」


 そう、なんだ。いや、そっか。私は恐怖していたんだ。でも何に対して?死ぬこと?確かに死ぬことは怖いけど、きっとその時が訪れればすんなり受け入れてしまいそうな気がする。

 あたしの恐怖の根源。考えてみればとても簡単なことだった。ナリくんが死んでしまうことが何よりも恐ろしい。それを想像するだけで吐き気がして、涙が溢れ、胸が締め付けられる。ナリくんは心も体もあたしより強い。これはその先も変わらないだろう。あたしにナリくんを守る力はない。この世界では尚更に力不足なんだと頭では理解している。でもナリくんが死ぬ未来を、理性が許容できない。ならばどうする?このまま全てを放り投げて逃げるのか?ナリくんを置いて?それこそ論外だ。あの女性も言っていただろう。怖いなら強くなれと。ならば今更迷うことはもうない。

 いつのまにか元の部屋に戻っていた。それから半日寝る時間も惜しんでずっと考えていた。もうすでに決心はついた。後はどうするかだけだ。


 すでに起きてきているナリくんと奈糸の元に向かう。


「心配かけてごめんね。もう、決めたから」


 ナリくんが思わず唾を飲み込んだ音が聞こえた。無表情を保っているけど、彼も内心は不安なんだろう。


「ほんとにつまんないことで悩んでた。死にかけて、逃げようとして、それすら見抜かれて追い込まれて、さらに逃げようとした。でもさ、大事なものを捨てて逃げた現実も地獄って知ってるの。ならあたしは一生をナリくんと、この世界で生きるよ」


「髪はぼさぼさ、くまや充血、なんとひどい顔か。でも良い顔じゃ」


『もう、大丈夫?』


「うん、また一緒に頑張ろう!」


 そう言うとナリくんは、めったにない心からの笑顔を見せてくれる。あたしはずっとこれが守りたかったんだ。


「さて、早々に切り替えて新たに訓練を始めようか」


決してドラマ的な解決ではなかった。優柔不断がやっとこさ自分が納得できる結論を導き出せただけ。でもあたしは間違いなく“選択”したんだ。


「基本的な体力強化に限界も終わりもないが、特殊技能訓練に加えて新たに模擬戦、実戦を追加する。それにあたって彼女を紹介しておこうか。」


 改めてナリくんの隣に腰を下ろす。表の戸口からあの時の女性が入ってくる。


 「まず先に謝らせてほしい。本意ではないとはいえ君たちに手を出したんだ。すまなかった」


「い、いえ。今となっては必要なことだったと理解していますから」


「そうか。詫びになるかはわからないが、今後の訓練は私も協力する」


『ありがとうございます』


「私は宵。夜を遍く旅する者だ」


「宵さん、あたしは小春」


『僕は忌也。よろしくお願いします』


「私の訓練は特に難しいことはない。私と戦って、たまに外で実戦を経験する。私は基本的に言葉より経験を重視するが、さすがに口出しさせてもらおう。まずは忌也だ」


『は、はい』


「君は才能に溢れている。特にその目と脳、あまりにも稀有ですばらしい。しかし君はその目で見て避ける以外にしているのか?見て避けた先に予想外の何かがある想定はしているか?避けた後どう行動するか選択肢を残しているか?その攻撃は本当に避ける必要のあるものか?誰よりもよく見え、思考する時間を生み出すその力をただ避けて攻撃することにしか使っていないのか?」


『え?あ、えっと?そうかも、しれません』


「あまりにも無駄が多い。将棋のように何手も先の展開を想定して、状況にあわせた最適解の選択肢を選ぶ。能力はあるままに感覚で使っていては宝の持ち腐れでしかない。どう使うかの工夫くらい少しは考えてみろ。君のその能力は実力差が少しでも勝っていたら運に左右されず確実に勝てるし、自分より強くとも相手の隙を確実に拾い、わずかな勝てる可能性を広げることさえできるんだ。そのために......」


「そこまで。宵くん、しゃべりすぎじゃ」


 奈糸が話を強引に遮る。


「コホン、では次小春」


「はい!」


「君の反応速度、特に意識を失ってからの反応がまるで別人かの如く。少なくとも君の才能の一つはそこにあるのだろう。肉体強化が常に必要なのは二人に共通して言えることだが、進むべき戦い方は真反対になりそうだ」


「えっと…、つまりは無意識に戦えと?」


 奈糸には無意識、第六感の訓練は度々してきた。でも別にあたしが特別その訓練に優れていたというわけではなかった。自分で言ったことなんだが、そもそも無意識に戦うってなんなんだろう。


「いいや、要は反射じゃ。少年は見て・考えて行動する、その一連のタイムロスを限りなく少なくできる。しかし少女の場合、意識を失ったままにもかかわらず普段以上のキレを見せた。見て・行動する、つまり考える過程を省略できるというわけじゃ」


 ???奈糸の言っていることがいまいち理解できない。聞く限りでは何も考えず戦えということか。


「勘違いしているようだが思考を放棄しろということではない。戦闘時の体の動きの8割を無意識と反射に預け、思考のリソースを周囲の情報確保や相手の観察に割り振る。そのための訓練として、以前忌也とやった会話しながらの戦闘訓練を行うこととしようか」


「それに少女は怯えたり躊躇ったり、思考の分がノイズとなってしまっておる。その点反射には躊躇も手加減もない。君には特にあっておろう」


 2人によってあたしたちの長所と短所を洗いざらい引き出された。それもあたしたちが把握している以上に。


「とにもかくにも経験じゃ。まずは手探りでもいろいろやってみるといい。」


 それからの訓練は相手が一人増えた以外特別変わったことは少ない。しかし目標とその過程が明確になった、ただそれだけで心持だけでなく効率も見違えた。霧の濃い森の中では一歩進むのにも臆し、その場で立ち往生してしまう。いろいろあったけど目標だけでは前に進めない。だからその過程を細かく定め“道”を見つけることが成長の一歩という気付きを得られた。

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