第28話
「隼也っ」
走ってきたのか、月子は額に汗をかいていた。無理もない、彼女に晴希を見つけたとメールを送ったのは、俺がここに到着する少し前だった。きっと学校だったのだろう。鞄も持たずに、月子は息を切らしている。
月子の視線が、俺の背後に動いた。そこには、呆然と立っている晴希がいる。月子は倒れ込むように玄関に入ると、そのまま俺の横をすり抜けて晴希の手を掴んだ。
晴希は、信じられないと言うように目を丸くしている。さっき俺と遭遇した時よりも、ずっと驚いた表情をしていた。
「お兄ちゃん、本当にお兄ちゃん?」
月子は確かめるように晴希の手を握っている。晴希の強張っていた表情が、段々と崩れていくのがわかった。
「うん。……大きくなったな」
「お兄ちゃんは、あんまり変わらないね」
晴希が恐る恐る月子を抱きしめる。邪魔してはいけないような気がして、俺は黙って目を逸らした。
2人は長いこと、そのままそうしていた。きっと聞きたいことも話したいこともたくさんあっただろう。それでも、今この2人に必要なのは、再会を噛みしめる時間だった。
「母さんたちに、会うなって言われてるんだろ。はやく帰れ」
しばらくの沈黙ののちに、晴希がそう切り出した。月子は晴希にしがみついたまま、首を横に振る。
「知らない。お母さんも、お父さんも、私に面倒起こしてほしくないから会うなって言ってるだけなの。どうでもいいの、私のことなんて」
月子の言葉を、晴希は否定しなかった。2人で暮らしていた数年間が、彼女の言葉を証明している。
「お母さんたちに何言われても、私お兄ちゃんに会いに来るから。お兄ちゃんがダメって言っても、来るから」
聞き分けのない子供のような言葉に、晴希が笑ったのがわかった。
「……わかったよ、好きにしろ」
その声音は、ひどく優しかった。
「隼也」
名前を呼ばれて顔をあげる。月子が赤く潤んだ目でこちらを見ている。俺と目が合うと、彼女はすっとこちらへ手を伸ばした。呼ばれるまま、彼女のそばに寄る。
「隼也がいなかったら、お兄ちゃんには会えなかった。ありがとう」
彼女の左手は晴希の手を握ったまま、右手で俺の手も握る。照れくさくて、俺は肩をすくめた。
「なんにも、俺は何もしてないです。お2人が会いたいって思ったからですよ」
そう言うと、月子は鼻を赤くして、そうかもと笑った。晴希は俺の方を見ない。それでも、鼻をならすのが聞こえた。小さな声でありがとうと言ったのは、俺の幻聴だったかもしれない。
あれから2人は、両親には何も言わず、時々晴希の家で会うようになった。まだ親の許可を取って正式に面会するには至らないらしい。もしかすると、今後もずっと。
俺はなぜかその場にいつも立ち会っている。遠慮しても、来ないと許さないと月子からメールが来る。晴希はその度迷惑そうな顔をするが、俺が2人の正面に座っても何も言わない。
そのうち、俺は晴希の家に転がり込むことになった。友人の転勤が決まって引っ越さないといけないとこぼしたら、俺の家に来ればいい、と晴希の方から提案された。そのことを報告すると、月子はやけに嬉しそうだった。
相変わらず、いびつな生活ではある。まともとは程遠い。けれど、一度は捨てた人生が、こんな形になるなら上々だろう。
どうしようもない人生を送ってきた自分が、こうして不自由なく生活できているのは2人のおかげだと、酒を飲むたびに話している。晴希はそんな俺を怪訝な顔をして睨みながらも、水を差しだしてくれる。
晴希は、今は月子の卒業式に出られるようになりたいと話していた。そのためには、両親を説得していく必要があると。
確証は持てないけれど、きっと何とかなると思う。俺の人生は2人のおかげで何とかなったのだ。だから大丈夫。そう言うと、晴希は無責任だとまた眉間にしわを寄せる。
卒業するころには、月子はもっと成長しているだろう。いつしか俺から離れていくこともあるかもしれない。彼女はそんなことない、と言うだろうけれど。
それでも今はただ、この3人で過ごせる幸せを、ただ噛みしめていたかった。
孤独にさしこむ月明かり 阿良々木与太 @yota_araragi
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