第26話
店が休みだと言うのにうっかり外に出てしまった日、俺はその足でいつも通り晴希探しに出向いた。風が冷たい季節になってきた。マフラーをきつく巻き、きゅっと肩をすくめながら歩く。
あのマンションを通り過ぎ、ここに住んでいた頃は使っていなかった道を歩く。平和で、何もない住宅街だ。平日の昼前ともあって、静かだった。
10分ほど歩くと、左手に大型スーパーが見える。見覚えのある看板だな、と思ったら、いつも晴希が買い物をして帰ってくるスーパーだった。袋に店名が書いてあったから、見覚えがあったのだ。
日用品ばかり買って帰ってくるのに、月子はいつもその袋の中身を知りたがった。何買ったの、と言いながら、冷蔵庫に仕舞う手元を見ていたのを覚えている。
そう懐かしんでいると、店から男の人が出て行くのが見えた。猫背で、黒いパーカーのフードを被って歩いている。一瞬大きな風が吹き、フードが外れてその横顔が見えた途端、俺は走り出していた。彼の手首をガッと掴む。
何事かと驚いている彼以上に、俺の方がびっくりしている。スーパーから出てきたのは、晴希だった。彼は突然何者かに手首をつかまれたことに驚き、それから俺の顔を見てハッとした。
「晴希さん、ですよね」
晴希は目を背ける。否定するでも、肯定するでもなく、俺に掴まれた手首を見ている。
「……離してくれ」
「嫌です」
離せと言うくせに、晴希は抵抗しなかった。ただじっと、視線を下に向けている。しばらく二人共黙ったまま、道で立ち往生していた。通りすがりの人が、何事かとちらりとこちらを見る。
「逃げないから、離せ」
そう言われて、俺は恐る恐る手を離す。晴希は俯いたまま、フードを被りなおした。俺は、何から聞けばいいのかわからず、彼を見つめたまま立ちすくむ。
一緒に住んでいた頃よりも、痩せていた。というより頬がこけて、目元の隈が濃くなっている。前も朝から晩まで働いていつも疲れていたが、その頃よりもひどい顔をしていた。
「……どうして、お嬢様と、会おうとしないんですか」
そう聞くと、晴希は微かに笑った。
「まだ、お嬢様って呼んでるのか」
「俺の中で、月子さんはいつまでもお嬢様です」
そう返すと、彼はまた笑う。質問には答えてくれない。
「お嬢様は、ずっと晴希さんのことを探してます」
「あいつと会ったのか?」
俺の話を聞いているのかいないのか、晴希はつぶやくように答えた。頷くと、そうか、とこぼしてまた黙り込む。
「会ってあげないんですか? お嬢様が会いたがってるのは、知ってるんでしょう」
「会ってどうする。妹を宗教の教祖に仕立て上げた兄だぞ。会いたくもないだろ」
自虐めいた笑いを口の端に浮かべる。そんな様子が痛々しかった。
「……会いたく、ないんですか」
そう聞くと、パーカーの影から晴希がこちらをじろりとにらんだ。
「会えると思ってるのか?」
暗い低い声に、俺は思わず後ずさりかけた。すぐにうつむいたせいで、晴希の表情は見えない。ここで黙ってはいけないと思った。
「俺は、お嬢様に、晴希さんを探してほしいと言われました」
「じゃあ、月子に伝えてくれ。俺はもうお前に会わない」
言葉がすべて空回り、何を言っても彼に伝わらないような気さえする。それでも、月子が晴希に会いたいと望んでいるのだ。ここで彼を帰してしまっては、俺の方が月子に二度と会えない。
「会いたいと言っていました。ご両親に居場所も教えてもらえなくて、悲しんでます。会わないと言うなら、直接それを伝えてあげてください」
俺の無茶苦茶な説得に、晴希は黙って耳を傾けている。聞いているのか、聞き流しているのかはわからないが。
「放っておいてくれ、もう。お前には関係ないだろ」
「あります。俺だって、晴希さんに会いたかった」
そう言うと、晴希は少しだけ驚いた様子だった。
「晴希さんが、お嬢様に会うって言うまで帰しません。もしくは、理由を聞くまで」
「……夜勤明けで、疲れてるんだよ。今度でいいか?」
「そう言って会わないつもりでしょう。ダメです」
晴希がむっと口を尖らせたのが見えた。俺は内心焦っていて必死なのを、なんとか隠そうとする。
「納得したら、解放して、俺と二度と関わらないでくれ」
「いいですよ」
俺が承諾したことに驚いたのか、晴希が顔をあげた。半信半疑と言った顔で、俺を見ている。けれど話してくれる気にはなったようで、立ったままで疲れたと言う晴希の後ろについて歩いた。
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