6-3 終

 『――志登さん、聞こえる?』


 聞こえてきたのんきな松本の声に志登は最大の声量で怒鳴り返した。志登の真正面に立っていた徳永が思わず両手で耳をふさいだほどだ。


「聞こえる? じゃね――んだよ! 勝手に行方不明になりやがって、今どこだ!」


 しかし無線機の向こうの松本は志登の怒鳴り声をものともせず、淡々と状況を伝えた。


『【地下街】から地上に戻るエレベーターの前。一連の事件の重要参考人として芥屋満、潮の身柄を拘束したから手伝いがほしい』


 松本の居場所にその場の全員が、やはり、と思ったが口には出さなかった。志登が口火を切る。


「あいつら、やっぱり【地下街】に逃げこんでたか」


『え、なに、やっぱりってどういうこと? もしかして、』


「そのもしかしてだよ、お前のとこの元隊長から連絡があった。……お前がさせた無茶だぞ、反省しろ」


 志登が怒るよりはこちらの方がよっぽど松本に効果的だろうと六条院のことを話に出す。予想通り、松本は無線の向こうで黙り込んだ。


「まあ、そのあたりの話はあとだ。俺と副隊長二人連れて行くから、もう少しそこで待機してろ。絶対に動くなよ」


『了解。あ、志登さん』


「なんだ」


 松本に呼び止められた志登が返事をすると、一瞬の間が合ったのち、


『ごめん』


 と謝罪の言葉が送られてきた。その瞬間、志登の中でブチッと何かが切れる音がした。


「一体何に対する謝罪だそれはッ! あッ、あいつ、切りやがった!」


 唐突な謝罪のあとすぐに無線機での通信は遮断された。志登の額に青筋が浮かび、端末を壊さんばかりの力で握りしめている。そんな様子に周りの三人は気圧された。


「志登隊長……?」


 そっと声をかけた雷山に応えることもなく、志登は怒りに震えていた。


「地獄の方がマシだって思うほど反省させてやるからな、首洗って待ってろ!」


 普通それは被疑者に向ける言葉ではないだろうか。


 志登以外の全員がそう思ったが、口に出す勇気は誰も持ち合わせていなかった。




 同日、昼。


 身柄を拘束された芥屋兄弟を〈ミドルライン〉に引き渡したのち(もともと彼らの汪幽教としての動向を監視していたのは調査機関である〈ミドルライン〉であり、〈アンダーライン〉の仕事の範疇を超えると判断されたためである)、松本は倒れるように仮眠室で眠っていた。【地下街】にいると時間の流れに疎くなり、気づけば徹夜で活動していた、という状態である。


 松本を起こさないように、と第三部隊執務室に出入りする隊員は足音と声を潜めながら活動していた。が、病院から〝久家の意識が戻った〟という連絡を受けて嵐のような歓声が上がった。


「何⁈ なんかあった⁈」


 騒ぐ声に泡を食って起きてきた松本に隊員たちは口々に「久家の意識が戻ったんですって」と報告した。起き抜けの頭で内容をなんとか理解した松本は、それはよかった、と胸をなでおろした。


「徳永、行ってきていいよ」


「え、でも」


「まだ会話はできないかもしれないけど、行きたいなら行った方がいい」


 松本の勧めに徳永は恐縮しつつも、「お言葉に甘えて……」と言ってそそくさと帰り支度を始めた。周囲も俺たちの分までよろしく、とのんびり徳永に言づける。


 周囲に頭を下げる徳永を見送ったのち、松本は浦志に手招きされた。他の隊員に聞かれないようにぐっとひそめた声でささやかれる。


「起きたら連絡してって志登隊長に言われてるけど、どうする? アタシはもう少し仮眠してもいいとは思ってるわ」


「……志登さん怒ってた?」


「相当怒ってたわね、あれは。誰が被疑者なのかわからなかったわよ」


 うげ、と松本は心底嫌そうな顔をした。


「今から行くよ。クールダウンが長すぎるとあの人もっと怒るし」


「わかったわ。今日は本部にずっといるって言ってたから、訊ねてみて。アタシから後追いで連絡しておくわね」


「ありがと」


 やれやれ、と言いながら松本は腰を上げた。無線越しに聞いた志登の声が、これまでに聞いたことがないくらい怒っていたことを思い出してげんなりする。


「マコさん」


「なに?」


「もし、俺に何かあったら隊のことよろしく頼むね」


 松本の言葉に浦志は目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻って「いいわよ」と鷹揚に答えた。


「今朝の時点である程度覚悟はしてたわよ」


「それは……俺が想定してなかったな。ごめん。ありがとう」


 早く行った方がいいわよ、と浦志は松本を第三部隊執務室の出入り口に追いやった。




「お疲れ様でーす……」


 松本がおそるおそる第一部隊の入口から顔をのぞかせると、不機嫌そうにせわしなくボールペンをいじる志登と目が合った。


「おそよう」


「……そんなわかりやすい皮肉言うの珍しいね」


「言いたくもなる。自分の行いをしっかり振り返ってからこれを読め」


 志登はそう言って紙を差し出した。〈中央議会所〉の印が右下に入っているその書面に松本は顔をしかめた。


「ええーもう動いたの?」


「お前が寝てる間にな。動こうと思えばいくらでも動けるんだよ、議会所(あそこ)は」


「それは知ってるけど……なるほど、こう来たか」


 書面には短く、


 ――来月 月初ヲ以テ 松本山次ヲ〈アンダーライン〉第三部隊長カラ解任、併セテ


〈アンダーライン〉カラ除隊トスル


 と書かれていた。松本はさっと目を通すと雑に紙をたたんでズボンのポケットにしまった。


「お前、これを狙ってただろ」


 志登の指摘に松本は目を細めた。そして、


「ここじゃ話しづらいからあっちでどう?」


 と第一部隊の隊長室を手で指した。志登は無言で立ち上がって、松本を招いた。隊長室のドアを閉め、密室になったそこで改めて口を開く。


「お前、ここまで織り込み済で動いただろ。今回の単独行動で〈アンダーライン〉の下でお前をコントロールすることはできないと〈中央議会所〉に結論づけをさせる。それによって除隊にされて、ここを出ていく機会をうかがってた。違うか?」


 志登の鋭い眼光を向けられて、松本は曖昧にほほ笑み、降参とばかりに両手を挙げた。


「あー志登さんにはかなわないや。大体当たり。俺が〈アンダーライン〉を辞めることは許されなさそうだから、ちょっと強引な手段を取らせてもらった」


「ちょっとじゃねえだろ。一応訊くが、なんで辞めたかったんだ。全然そんな素振り見せなかっただろ」


「うん、まあ、一応この隊預かった身だから、がんばりたかったんだけど……この間言った通りいつ死んでもおかしくない可能性が出てきたから、かな」


「……あの話、ホントだったのか」


「信じてなかったんだね? 俺もまだ実感はないけど、大戦前から考えると多分八〇年は生きてるはずだから、どんなに見た目と機能が若くてもどこかにほころびがあるかもしれないんだよ」


 松本は面白がるような口調で言った。今や見た目は志登よりも若いくらいであり、志登が簡単には信じたくないと思う気持ちもわからなくはない。


「このこと、あの人は?」


「知ってるよ。知っててこの手法が取れたらとっていいって言ってくれたから」


「……なるほどな」


 だから、松本の好きにさせてやれないかとわざわざ連絡をよこしたのか、と志登は急に六条院の朝の行動に納得した。。


「一応志登さんには知っておいてほしいから言うけど、おそらく俺が死んだら遺体はすみからすみまで解剖されて〝研究材料〟として扱われるはずだ。たとえ科技研が手を出さなくても、八条院家の息がかかった団体が必ず俺を手に入れようとする。でも俺は、誰の研究材料にもなるつもりはない。死んだら可及的速やかに火葬してほしいんだ」


「まさか」


 松本の希望を聞いて志登はハッと気づいて顔を上げた。目の前には普段と変わらず穏やかな顔をした松本がいる。


「そう、その通り。パートナーシップを結んだ人間の意思が一番に尊重される。……だから、それまでにあの人の近くで暮らせるようになる必要があった。ま、万が一予定が狂って俺があの人より長生きしたときは諦めるけど」


 松本の話を最後まで聞いた志登はため息をつきながら「わかった」と言った。


「そういうことなら俺はこの処分に対して抗議しない。それでいいか」


「うん、ありがとう。あ、もう一つだけお願いがあるんだけど」


「まだあんのかよ。俺は今お前の特大のお願いを聞いてんだけど?」


 志登の言葉に松本は「それでもお願い」と顔の前で手を合わせた。


「この期限だと、久家が退院するまでいられないじゃない?」


 来月初というのはもう二週間後に迫っていた。久家の意識こそ戻ったが、火傷治療はまだ続く。一部皮膚を移植しなければならない部分もあり、退院はまだ先になる。


「そうだな」


「手紙を書くから預かってほしくて。このままだと変に気に病んじゃいそうでかわいそうだから。もちろんマコさんにフォローはお願いするけどさ」


「ああ。ついでに伝えといてやる。お前のとこの隊長は自分のわがままで辞めたってな」


「それはやめて」


 ふふ、と松本は笑って言う。


「志登さん」


「なんだよ」


「朝も言ったけど、これから俺が除隊になるまで、色々面倒をかけると思う。ごめん。でも、謝るのはこれっきりだ。俺は、自分の選んだことは間違ってないと思っているから、そこに対しては謝らないよ」


 志登はゆっくりと瞬きをして松本の顔を見る。そして破顔した。


「ああ、謝ってたらぶん殴ってたとこだ」


「やめてよ暴力沙汰で始末書なんて笑えないんだから」


 そこまで言ったところで、二人同時に吹き出した。笑いすぎてにじんだ涙を指でぬぐいながら志登は言う。


「長い間、お疲れさん」


「ありがとう」


 余生がどれくらいあるかはわからないが、悔いのないものになるだろう、と松本は晴れ晴れした気持ちで背伸びをした。


「隊員にはどう言う?」


「俺から言うよ。きっとみんな納得してくれると思うから」


「そうだな」


 副隊長だったときから十年近く隊を牽引してきた松本のことは年嵩の隊員ほどよく知っている。彼の複雑な人生を知ってもなお動じなかった彼らがいれば、年若い隊員たちも説得できるだろう。


「引継ぎ、ちゃんとしろよ」


 志登のからかうような言葉に松本は「うん」とうなずいて立ち上がった。


「じゃあ、戻るね」


「おう。もうしばらくは隊長としてよろしく」


 志登が差し出した手を松本はしっかりと握った。幾度となく取り合ってここまでやってきた手だった。


 志登の手は、松本との別れを惜しむように普段よりも強い力がこもっていた。











 数週間後、夕刻。


 検査を終えて部屋に戻ってきた六条院が目にしたのは、椅子に座って眠り込んでいる松本だった。一瞬狸寝入りをしているのかと疑ったが、深く寝入っているようで、六条院が戻ってきたことにも気づいていないようだった。


「そういえば」


 ふと枕元に置いてあるカレンダーに目をやると、今日は松本が〈アンダーライン〉を除隊になる日だった。手続き等をすべて終えてやってきたのだろう、と思うと感慨深いものがあった。退職のかたちこそ〝除隊〟だが、今日まで歩んできた松本の長い人生をたたえたいと六条院は思った。


「歩みを止めず、今日まで長い旅路を来た己を誇れ」


 これから先の道行きはわたしが守ろう。


 そんな一言は口に出さず、六条院は松本の手の甲を軽くなでた。




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