3-4 終

 本部車両がある場所に着くと、徳永の予想よりはずっと落ち着いていた。もっと混乱しているものかと覚悟をしてきたつもりだったが拍子抜けする。


「あれ」


 規制線の外に第一部隊、第三部隊の隊員の姿を見つけた。きっと三雲が他部隊にも応援を頼んだのだろう。徳永が本部車両に近づくと同時に、無線の送り主であるこの現場の指揮官に手招かれた。


「遅くなりました」


「いや、むしろ早いくらいだ。助かる」


 本部車両として活用されている大型のバンは後部座席のスライドドアが片方大きく開け放されていた。車両内には先ほど別れた子どももおとなしく座っており、徳永の姿を見つけた途端、嬉しそうに手を振った。それに徳永も手を振り替えしてやって、徳永は「状況は変わりありませんか」と訊ねた。


「ない。先に犯人グループが出てきて、留置所に輸送したあとに人質が解放される」


「結局要求は何かあったんですか?」


「それもなかった。変な話だよな」


 通常人質を取る場合は、何か要求があることがほとんどだが、今回は非常に突発的な事件だったということだろうか、と徳永は考える。そして返事をしようと顔を上げた瞬間、車両の反対側のガラスの向こうに拳銃を持った男が立っているのに気付いた。男の存在に周囲の誰も気づいていない。


 こちらにとって幸いなのは、本部車両の後部座席の窓が強化された防弾ガラスになっていることに加えて、マジックミラーになっていることで、外から中の様子がうかがえないことである。


「ッ……!」


「? どした?」


 息を飲んだ徳永に指揮官は不思議そうに訊ねたが、徳永はそれどこではない。


「伏せて!」


 腹の底から出した大声に、車両にいた全員が慌てて身体を倒した。指揮官ではない一隊員の指示ではあるが、指揮官も徳永の剣幕に押し負けてすぐにしゃがんだ。そして、


 ――銃声が三発響いた。


 だが、ぎりぎりのところで防弾ガラスが耐えてくれたようで、男は本部車両から即座に離れて行った。最後の一発だけが、ガラスにめり込み、弾頭が車内からも見えていた。間一髪の状況に肝が冷える。もう一発以上撃ち込まれていたら、子どもはもちろん徳永含めた隊員の命もなかっただろう。


 応援の隊員たちが無線に『こちら本部車両付近! 拳銃を持った男が一名逃走中!』とがなりながら、男を追うのを目で確認して、徳永は本部車両の中に声をかけた。


「怪我は⁈ 指揮官も無事ですね⁈」


「ありません、ちょっと急に伏せたので、背中が痛いくらいですね……」


 子どもを抱えて慌てて伏せたらしい隊員が背中をさすりつつ答えた。子どももけがはなさそうだったが、突然のことに驚いて言葉も出ないようだった。隊員は子どもの背中をさすりながら「大丈夫か?」と子どもに声をかけていた。


「俺も大丈夫だ。……一体ありゃ誰だ、いつの間に規制線の中に入られたんだ」


「わかりません、こちらはかなり規制線前の警備も厚いはずですけど……」


「とにかく無事でよかった」


 全員がホッと息を吐いたところで、再度銃声と怒号が聞こえた。男が逃走した方面は銀行がある方向であり、徳永の脳をイヤな予感が焼いた。どうか威嚇であってほしい、誰にも被害がない状態であってほしい、と願うもむなしく、無線機からひどく切迫した声が聞こえてきた。


『至急、至急! 隊員一名負傷! すぐに救急要員を派遣されたい! 被疑者は逃走中!』


「こちら本部、装備がないまま追うな! 人命優先! 負傷者名は⁈」


 声に反応してすぐ冷静さを取り戻した指揮官は、被害拡大を防ぐための指示をする。ベテラン指揮官ならではの的確な応答だった。


 指揮官の指示に再び全体に向けて無線から別の声がした。


『深江隊員です! 出血がひどいため輸血準備願います! 血液型はB+、協力できる者は救急要員の指示に従うように!』


 その瞬間、くらり、と徳永の視界が揺れた。だが、ここで倒れるわけにはいかない。輸血への協力はできないが、救助活動と犯人グループの搬送は、この場を離れる深江の代わりにバディである徳永がやるべき仕事だった。


「おい、徳永、無理するな」


 咄嗟に膝をついた徳永を視界の端でとらえたのだろう指揮官から心配したような声がかけられる。だが、徳永は自力で立ち上がると、指揮官の顔を正面から見て言った。


「いえ、大丈夫です。先輩の代わりに私がここで働きます。輸血には協力できませんので、それ以外のことは全部やります。やらせてください」


 拳を強く握りしめたせいで爪が手のひらに食いこむほどだったが、痛みを覚えることはなかった。


 指揮官は蒼白な面持ちの徳永を見てしばらく考えていたが、やがて、


「――わかった。ただしやるからには最後までやってもらうぞ」


「もちろんです」


 深江はこんなときに仕事を投げ出すような人ではなかった。だから、徳永もそれに倣って仕事を続けることを選んだ。医療従事者ではない徳永は深江の無事を祈ることしかできない。そして、自分が深江の代わりに働くことが一番の祈りになるとよくわかっていた。


「あ、おい待て、行く前にこれ飲んでけ」


 指揮官は本部車両に乗せていた荷物から小さなビンを取り出して徳永に渡した。市販されているごくありふれた栄養剤だった。


「?」


「顔色が悪い。途中でぶっ倒れたら迷惑だ。補給していけ」


「……ありがとうございます」


 徳永はビンの蓋を開けると一気に中身を飲み干した。手の甲で口元をぬぐい、空ビンを指揮官に押しつける。


「ごちそうさまでした」


「よし、行ってこい。……頼んだぞ」


 その言葉に「はい」と返事をして徳永は後ろを振り返らずに駆け出した。




 次に徳永が深江と対面したのは病院の安置室だった。治療はされたものの、弾丸が肝動脈を傷つけており、失血が多すぎたのだという。顔には白い布がかけられており、もうすでに彼の命が失われていることがありありと示されていた。


「……先輩が言ってたお母さんと子ども、ちゃんと会えましたよ」


 ありがとうございました、と何度も頭を下げる母親の姿が脳裏に蘇る。子どもの方も相当怖い思いをしただろうから、これからしばらくは母に無断でいなくなることはないだろう。


「先輩を撃った男も捕まりましたよ」


 外で待機を命ぜられていた犯人グループの一人であり、逃走のサポートをする手はずになっていたらしい。応援に呼ばれていた他の隊の隊員たちが手分けして捜索し、数時間もしないうちに男は逮捕された。所持していた拳銃を押収してみれば、男が持っていたそれは自作だったようで、本来ならば人を殺すほどの威力はない。ただ、深江の当たりどころが悪かったのだという。


 そして彼らの犯行理由も恐ろしいほどに単純だった。曰く、


 ――腕試しがしたかった。


 らしい。いつも犯罪シミュレーションゲーム(そのようなものが出回っていることすら徳永以下隊員たちのほとんどが知らなかったが)で遊んでいた五人が集まり、どこまでやれるのかを実際に試したい。そんな動機だったからこそ、銀行をジャックしておきながら何も要求がなかったのだとわかった。わかりたいとは思わなかったが。


「先輩、そんな動機で犯罪行為に手を出したやつらに殺されちゃだめじゃないですか」


 ぎゅっと拳を握りしめる。そうでもしないと泣いてしまいそうだった。


 あの時、拳銃を持った男をすぐにでも取り押さえられていたら、この結果は変えることができたのだろうか、と徳永は考える。一にも二にも犯人を制圧して確保すれば、それ以上悲しむ人を増やすことはないだろう。


「私、まだここでがんばりますから、見ていてください」


 最後にそう言い、徳永は震える手を合わせて深江を拝んだ。


 ――どうかこの人の死が、決して無駄だと言われませんように。


 そう願うことしか徳永にはできなかった。











「これがそのときの話。……得るもの、あった?」


 徳永が話し終わったころにはすっかり空が昏くなっていた。昼と夜の境目の濃いピンク色と紺色が混じったような空だ。


 久家はすっかり空になってしまったペットボトルをもてあそびながら答える。


「ひとつ、納得したことがありました」


「なに?」


「徳永先輩が、最初にオレと会ったときに『犯人確保を第一に考えない人が嫌い』って言ったことです。あれは、そういうことだったんですね」


「よく覚えてたね……」


 久家は記憶力がいいのだと浦志に聞かされていたことを徳永は思い出す。こんなことを覚えておいてもらうつもりはなかったが、あの頃は復帰して自分の仕事をこなすのに精いっぱいだったにも関わらず、隊を動かされたころであり、久家にも取っつきにくい態度をとっていた。


「犯人が確保されてさえいれば、それ以上被害者は出ない。あの男も私たちが捕まられていたら、先輩は死ななかったかもしれない。そう思うと、ずっとやり切れなかったし、頼れる先輩だったから、亡くなってからこちらずっと寂しかった」


「……」


 過去を語る徳永の顔は寂しそうだったが、これまで久家が見たどんな顔よりも晴れやかだった。オレンジ色の夕日が徳永の頬を照らす。


「……久家」


「はい」


「多分、私はこのことを忘れて勤めることはできない。辞めるまでずっとこのことを覚えたまま仕事をするんだと思う」


 徳永はそう言うと久家のペットボトルを取り上げ、自分が飲み切った缶コーヒーとともに自販機の横のごみ箱に捨てた。


「オレも、」


「ん?」


「オレも、この仕事している間はずっとあいつのことを覚えているんだと思います」


 そう言った久家に徳永は柔らかい口調で「それでいいんだよ」と答えた。




 翌日、そろって出勤した久家と徳永を見た松本は、二人の間の空気がこれまでよりもずっと柔らかくなったことに目を細めた。


(あの様子だと昨日話ができたんだな)


 三雲と志登に頼まれて預かった隊員だったが、無事に回復してきているようでなによりだと松本は安堵のため息をつく。


「言った通りになったわね」


「うん」


 ひそひそと浦志と言葉を交わす。そんな上司たちの様子には気づかず、二人はてきぱきと警邏巡回の準備を進めていた。


「俺も肩の荷が下りて晴れ晴れとした気分だよ。今夜はちょっと酒でも飲もうかな」


 そう言いながら肩を回す松本に浦志は「そんなこと言って、お酒なんてほとんど飲まないのに何を飲むのよ」と穏やかに笑いながらつっこみをいれた。


【第三話 END】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る