22 キスの仕方がわかりません
わかったからといって、この先どうしたらいいかなんて。
自覚した途端、胸の鼓動が速くて強くて。
あれから、松川と僕がいなくなった生徒会室はどうなったのだろう。訊ける人はいない。多田さんも北見さんも、近藤さんも連絡先を知らない。僕が訊ける立場にはない。ましてや桜野さんに訊く勇気もない。桜野さんが僕がああ言っても話してくれるものだと思っていた。何が何でも聞くべきだとも思ってなかったし。言えないことや言いたくないこともあるだろうし。そんな甘い考えが桜野さんを怒らせてしまったのか、嫌いとまで言われた。
「はぁ……」
東屋の冷えた木製長椅子に座って。
どうやったらこの動悸がおさまるのか。
僕の中に広がった思いをぶつけるしかないんだと、一度そう考えてしまうとそれしか答えが浮かばなくなった。
でもそんなこと。どうやって。
……どうやって? そんなの本人の部屋に行って、目を見て言えばいいだけだ。
恥ずかしいことじゃない。みっともないことじゃない。あの日の答えがようやく、出せたのだから。誰に強要されることも急かされることもなく、自分で。
ずっと保留にしていた受話器を持ち上げるのは僕。その向こうで待っていてくれているはずだから。
……本当に?
散々待たせておいて、奏多さんが現れて。熱烈なラブコールが思い直すほどに響いていたとしたら。
それでもいい、どちらにしろ動悸はおさまる。
いつまでもこのままでは苦しいから。
行こう。
と立ち上がったはいいけど。
近藤さんの部屋って、どこ? 来いと言われたこともあったのに、僕は知らなかった……松川なら、意外と知ってるかもしれない。僕はスマホを取り出して、夕食は終わっているだろうかとメッセージアプリを開いた。
あ。
そこには松川との履歴が表示されていて、一番最後は桜野さんの部屋番号を教えてほしいと頼んだ時のもので。
松川からの、桜野さんの部屋とおまけだと言ったもう一つの番号。
……ひょっとして、この番号は二番館のじゃなくて、一番館の番号で。だとしたら。
行ってみよう。行けばドア横に名札がかかってるからノックをする前にわかる。違ったらその辺の二年生に訊こう。変に思われてもいい、仕事で訪ねて来ました、っぽい嘘もつけるだろう。
そして。僕は松川に感謝した。
部屋番号の住人は近藤さんだった。しかも名札が一枚しかない。前に近藤さんが言っていた通り、二人部屋を一人で使っているらしい。
ノックをする、として。留守、居留守、奏多さんが来ていて門前払い、一位の返り咲きセック……。
ここまで来て何もしないで帰るのはありえない。ノックをしなければ始まらないし終わりもしない。
僕はもったいつけずにカジュアルにノックした。(余談だけどノックも人それぞれ強さや間隔が違って面白い)
「どうぞ」
至って普通の声がドアの向こうからした。誰もいないみたいだ。ノブをぐっと握ってドアを開けた。
机から振り向いた部屋の主は。
「……」
声もなく僕を見たまま固まった。
「あ、あの、お話、が」
だから僕が何か言わなければと口を開いたら、ロボットのように……。
「……入るか?」
「え、なんですか?」
緊張のあまりか耳が遠くて上手く聞き取れない。
「部屋の中に入るか?」
部屋の中に……そのつもりで来た。だから。
「失礼します」
一歩入ってドアを閉める。その音が思いの外大きく聞こえて、僕は肩を小さく震わせてしまった。
「開けたままでもいいが」
「いえ」
震えそうになる指を叱咤して、ノブ下にある鍵を回した。
「おい!」
近藤さんにとって僕が鍵をかけるなんて思ってもみなかったのか、椅子から立ち上がった。誰かに突然ドアを開けられるのは困る。
「あの」
そんな近藤さんを無視するように一歩足を進めて距離を縮める。
「なんだ」
立ち上がったまま近藤さんは僕をじっと見た。
鼓動が聞こえてしまっているのではないだろうか。そう思うほどに今一番胸が痛くて、どくどくと心臓の音が僕の耳元で鳴っていた。
「動悸がおさまらないので、言いに来ました」
大切なことを言う時は相手の目を見て。
そんな言葉が不意に頭をよぎって。ついでに口から心臓が飛び出そうになって。
「僕は近藤さんが好きです」
そして。
「以上です」
踵を返した。
ドアまでは数歩。ドアの向こうに行けば僕は大きな息を吐いて、動悸がおさまって。
「おい待て」
肩を掴まれる。完全に背中を向けていたからその瞬間まで気付かなかった。
「……はい」
視線はドアに向けたままで。僕はノブに伸ばしかけていた手を下ろした。動悸のせいか肩を掴まれても体が固まることはなく。そんな僕に近藤さんも逃げないだろうと感じたのか、肩から手を離した。
「それだけか」
突然来て言いたいことだけ言って帰るのは近藤さんにしてみればそう言いたくもなるだろう。何をしに来たのかと。でも僕はそれで良くて。言いに来たのだ、それだけでそれ以上はない。
のに。
「僕は松川のお兄さん、奏多さんが嫌いです。あなたを僕から奪おうとするから。だけどあなたが誰を選ぶかは別の話で、僕を好きだと言ってくれるあなたを取られたくないと思ったけど、奏多さんはやっぱり魅力的だから」
言い訳をするようでこういうことは言いたくなかったのだけど、つい自分を良く見せようと欲が働いて。
僕が嫌いだと思う理由は近藤さんを連れていかれるかもしれないからで、一位とか二位とかはまったく理解できないけど、人に好かれるタイプなのは間違いない。華やかで話す感じも嫌味はない。桜野さんに似ている。視野はずっと桜野さんが広い気がするけど。
「お前はあの状況で俺が奏多さんに戻ると思ったのか」
「……わかりません」
「わかりません、か」
「僕のことじゃない、近藤さんの気持ちまではわかりませんよ」
本当のことだ。
「俺もお前の気持ちはわからない。だから俺はまず俺の思うことをお前に言った。お前は? 好きで終わりか。それで満足か。俺がどこへ行こうといいのか」
満足?
「じゃあ!」
ぶちりと何かが僕の中で切れて振り返ってしまった。僕はもうこの部屋を出ようと思っていたのに。言いたいことは言い終えたはずなのに。なんでそんなに煽るんだ。
「行かないでって言えば行かないんですか! そんな僕の勝手を聞くのはおかしいでしょ……」
こんなこと、本当は言ってはいけない。困らせるだけだ。
「おかしくない。俺はお前が好きなんだから、お前の望むようにするのは当然だろ」
言ってはいけないことだ。だけど勘違いしてしまうようなことを言うから。
「……ここに、僕のそばにいてください。僕のものでいてください」
こんな、縛り付けるような言葉。顔を上げて言えない。
「俺はお前が好きだ。だからお前と一緒にいたい。俺はお前のものだ」
何度も言ってくれていた。人目を憚ることなく。頭に降ってくる声は僕に染み込んで広がって、熱に変わっていく。
「胸が痛いんです。あなたに好きだと言えばおさまると思ってたけど、おさまりません」
「お前が俺にキスすればおさまる」
……途端に胡散臭くなって。だけど。
「本当ですか?」
本当かもしれない。何の根拠もないとわかってても。
「やってみればいい」
顔を上げると、僕を揶揄ってるようなそうでもないような笑みを小さく浮かべて。
「でも」
「なんだ」
「僕は……キスの仕方がわかりません」
自分からしたことなんてない。
「大丈夫。唇を当てるだけだ」
近藤さんは僕の腰を引き寄せた。
僕はそのまま抵抗することなく引かれて。……今はこの人に触れて欲しいのだと気付く。
そして僕からも触れたい。僕の気持ちを伝えたい。言葉だけじゃ足りない気がして。
少しだけ下を向いてくれて。だから僕は少しだけ上を向いて。
僕から、僕の唇で近藤さんの唇に触れた。
小さく触れてすぐに離れて。ほんの少し温かさを感じた。
胸の痛みは甘い疼きとなって。
「目は閉じるものだぞ」
超至近距離で目が合うと、指導された。
「目測を誤るといけないので」
「何度もやれば覚える」
「……そうかもしれませんね」
その温もりがまた欲しいと思って、僕は小さなキスを繰り返した。
近藤さんはすべて受け止めてくれて。
「市原、手はここ」
僕の手を自分の腰に回させて。手のひらでも近藤さんの体温を感じて。でも少し恥ずかしくて。
「そんな顔をしてたんだよ、初めて会った時」
近藤さんはぽつりと言った。
「……生徒会室で?」
あの怖かった日はそれでもまだ小さな黒い欠片となって心の中にある。
「いや、一年生の入寮日」
入寮日……? 初めて会ったのは入寮日って……四月の初めだ。
「入寮した時、荷物入れを上級生に手伝ってもらっただろ。毎年恒例の」
……そういえば。言われてみればそんなことが。すっかり忘れていたけど。
「誰かに……寮の玄関から鞄を持ってもらったような」
そうだ……部屋の鍵を開けてもらって。もう一度玄関に戻って先に送っていたダンボールを一緒に取りに行って……。
「その誰かが俺だ」
え?
「奏多さんのことでまだ疲れ切ってたからその時は何も思わなかったが、後から名前ぐらい訊いておけばよかったとじわじわ思うようになって。清楚で姿勢も良くて可愛かった。そしたらクラス委員長で委員会に来るようになって。委員会で会って、あの時はどうもでした、なんて言うのかと思ったら全然で。こいつ俺のこと覚えてないんだなってわかったよ」
手伝ってもらったことすら覚えていなかったのは不義理だったと思う。
「おまけに名前も知らないなんてな」
「いや……くじで委員長に当たっただけなんでそんなに積極的に活動は……なので役員の人の名前なんて」
「なるほどな。その後はお前の知るところだ」
全く覚えていない僕をそれでも見ていてくれた。
「だからあの日は怒ってたんですか?」
「まさか。そんなことで襲ったら俺はただのストーカーだろうが」
でも。
「誰もいないところにお前が来て抑えられなかった」
三年生が修学旅行に行っていて不在の中、二年生の近藤さんが生徒会室を開けて仕事をしていた。そこへひょこひょこ一人で行ったのが僕だ。
「……同じじゃないんですか?」
「違う、多分」
……。
「俺に堕ちろ、って言ったのも聞いてもらえなくて俺は少し恥ずかしかったぞ」
「地獄じゃなかったんですか……」
「何でお前にそんなことを言うんだ」
まあそうだけど……同意も何もない中で囁かれて、誰が正確に聞き取れるだろう。呪いの言葉にしか聞こえない。切なさを秘めた殺し文句だとしても。
「お喋りが過ぎたな。そろそろ俺からもキスしたいんだが」
「……どうぞ」
きっと、僕の子供騙しみたいなのじゃなくて。
「避けるなよ?」
「目を瞑ってますから。逃げません」
目を閉じた瞬間、腰に回した手を取られて僕の身体が背中からベッドに落ちた。
え……?
思わず目を開けると、ベッドの縁に座ってこちらを見ている近藤さんがいて。
「口を薄く開けろ」
そう言って転がっている僕に顔を近付けるから言われた通りにすると近藤さんの唇が僕のそれに重なって。歯列を割った柔らかい何かが口の中に入ってきた。
「!」
薄く口を開けていたから侵入を防ぐことが咄嗟にできなくて。それでも逃れようと無意識にベッドの上でずり上がろうとしたら、頭を押さえられて深く口付けられた。
「っう」
入ってきた口の中の柔らかい何かは無防備だった僕の舌を絡めとって嬲り、口の中を無尽に動いて蹂躙していく。
「んんっ」
あの時は背中に跡は付けられても唇にキスなんかしなかった。だからこんなふうに一方的に貪られるようなものだとは思ってもみなくて。
少し待って。
近藤さんの嵐はいつまでたっても落ち着いてくれなくて、僕は近藤さんの舌に翻弄されっぱなしで呼吸もままならなくて唾液が嚥下できずに一筋口の端に零れた。
それが酷くいやらしく思えて、両手で胸を押し返して。
だけどそこには見知らぬ顔があって。
あの時は背中から襲われて近藤さんの顔なんて見えなかった。僕もパニックで細かいことを覚えていないし。
今、濡れたように光る瞳が僕を見下ろしていて。僕は食べられるのだ、と本能的に思った。雄も雌も関係ない、純粋に強いものが弱いものを食らう世界。弱者に抗う術はない。
「怖いか?」
近藤さんがそう訊く。僕は怯えた顔をしていたのかもしれない。
「……いえ」
存外怖くはなかった。ここまで、自分の足で来た。弱者には弱者なりの論理がある。果てるにしたって、奪われるだけではなくて与えることでもあるとわかっているのだ。この人の血肉になって、じゃあ僕はどうなるんだろうとは思うけど。
僕は自分のネクタイを解いて、バックルからベルトを抜く。
「いいのか? このまま抱いてしまうぞ」
「僕を抱きたいんでしょう?」
諦めたわけじゃない。されてもいいと白旗を上げるわけじゃない。
抱かせてあげます、僕を。
「とても。お前のことが好きだから触れたい」
特別感もなくさらりと。照れ隠しでもなく。何度も聞いてるから新鮮も何もないけどそれが普通だと言うのなら、いつでも好きだと言ってくれることがこの人の当たり前なのだとしたら、それはそれで嬉しいかもしれない。この人の中で僕は日常化してるってことで。飾らない素のこの人の中にいるってことで。
「やさしくする。今日はお前が嫌がることはしない」
今日は……?
どういうことかと口を開きかけたらがぶりと甘噛みするように唇を塞がれ、投げ出していた右の手の平に近藤さんの左手が重なって指が絡む。
観念して。僕もそっと握り返し、目を閉じた。
水音を立てて深いキスをしながら、僕のワイシャツのボタンは外されていって近藤さんの指が肌を滑る。
「んっ」
くすぐったいようなその指は僕の胸に留まり、突起をゆっくりと撫でた。何も感じなかったはずがゆるゆると指の腹で触られているとそこから少しずつじわりと何かが広がっていく。変な感じ? 執拗にそこばかり触れられて頭がぼうっとしてきてしこってきて。
「あ……っ」
ある時、背中が震えるほどの……快感を自覚した。
「んんっ」
快感だと気持ちのいいことだと理解してしまうと、感じることを止める術はなくて吐息と小さな嬌声が口から零れる。……信じられないけど、堪えてる僕の声はとても甘くて女の子みたいで。ちょっと情けなくて恥ずかしくて。
「お前の声が聞きたい」
唇から離れた近藤さんはそう言って、僕のインナーシャツをたくしあげて触れていた反対の胸の突起を口に含んで吸い上げた。
「ひ……っあ……っ」
両の乳首を同時に弄られて、身体が電流が走ったように硬直して。
「ふ……ぅん……や、あ……ああ……っ……」
溜めていたら狂いそうな程の快感を身体から逃がしたくて、身を捩って、繋がれたままの近藤さんの手をぎゅっと握って。
「も……やめ……んっ……んん……」
「お前の感じてる声が聞きたいから」
舌で舐めては吸い、指できつめに摘まみ上げられ。
「や……だ……おかし……くな……ああっ……おね、が……」
わけがわからなくなる。僕というものが快感で霧散していくようで。
「そんなにここが悦いのか」
もう……本当に。僕はおかしくなってしまう……。
「じゃあここは……制服を汚してはいけないしな」
繋がれた手が離れ胸からも離れたかと思うと、ズボンが下着ごと引き抜かれ、勃起していた僕のペニスがあらわになって。
「や……」
先走りに濡れていた。勃起したペニスを見られていることがとてつもなく恥ずかしくて。
「出してやらないと辛いだろう?」
乳首の快感がまだ後を引く中、近藤さんは僕のものを口に含んだ。
「え……まっ……んん……ぁ……ああ………は……ぅ……あああ……っ」
咥え……て。その衝撃と舌と唇で与えられる快楽は、乳首を弄られた時よりも強くて、扱かれるたびにびちゃびちゃと立つ水音がさらに煽った。
「でる……っ……から、もう……」
早々に限界が来て、近藤さんは口を離してくれたけど僕の精液を手で受け止めてくれた。
「…………」
心地よい疲労感、なんてことはなく精魂尽きた感じで。知らなかった快楽に溺れて痴態を晒しただろうことに僕はへこんで。
「市原、大丈夫か?」
「何が……ですか……?」
何をして大丈夫というのかわからない、生きているのか、というのであればイエスだ。
「挿れても」
「…………………」
そうだった。終わってない。それはそうだ。僕が気持ち良くなっただけでこの人はまだちっともで。
僕がこの人を気持ち良く……というか、まあ……いわゆる性交を。
ここまで来れば覚悟はできていたし、そうなることを嫌だとも思ってない。好きの先はこういうことなのだと。理屈じゃないところで深く繋がりたいと思う。
だから、後ろのすぼみに指が何本入ろうと僕は大丈夫だったし、ローションも気持ち悪くなかった。解す行為自体がまた快感なのだと思い知って。
ゴムを付けた近藤さんのペニスが尻の縁を撫でて中へするりと入ってきた時、僕は僕のすべてを解放した。
終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます