8 仕事を終えて

「おかえり」

 部活から寮の部屋に帰ってきた松川に声をかける。

「ただいま。メシ食った?」

「いや、まだだよ」

「じゃこのまま一緒に行くか」

 このままというのは松川が制服姿のままということで。僕は一時間前に戻ってきてるからすでに着替えている。

 言葉通り松川は机に通学鞄と部活鞄を置くと、僕を連れて部屋を出た。

「で、どうだった?」

 食堂への道すがら(十分もかからないのだけど)松川に今日のことを訊かれる。

「多田さんって人と資料のホチキス留めをやっただけ。一時間だけのお手伝いみたいだから黙々とそれやって終わった感じ」

 仕事を始める前のやり取りはまあ話す必要ないだろう。どうコンパクトに話したらいいのかわからないし。

「そっか。多田さんは書記だよ。……近藤さんは?」

「いたけど、一緒に仕事はしなかったよ。背を向けてホチキス留めしてたから何をしてたか知らないけど机にはいた」

 気にかけてくれていた。松川は優しい。

「ふうん。妙なことされなかったんだな。他の人がいれば当たり前か」

 当然、みんながいる中でまた僕をどうこうしようなんてことは無理な話だ。

 今日の夕食のメニューはアジフライと酢の物とキムチだった。放課後そう腹ペコなんてことは入寮してからなかったのだけど、今日はさすがにお腹が減った。それなりに真面目にお手伝いしたからだろう。

 充実感があった。ホチキスでぽちぽちしてただけだったけど。誰かの役に立つことは嬉しい。部活に入っていない僕は放課後の時間を持て余し気味だった(本を読んだり宿題、予習復習をしたりはしていた)けど埋められることが見つかった。もう来なくて結構です、と言われるまでだけど。

 トレイを手に列に並んで、中身の乗った皿を一つずつ順番に貰って松川と空いた席に並んで座る。相席のように前に知らない上級生か同級生が座っている状況にももう慣れた。時間帯によってはがら空きで好きなように座れることもあるけど、今日は横並びしか空いてなかった。空くまで待つなんてことは面倒だとみんなわかっている。さっさと食事をとって早く部屋に帰るのがベストだ。

「で、明日も行くのか?」

「会長さんが来れたら来てって言ってたから、行こうかなとは思ってる」

「もう来るな」

 突然そう言われた。目の前に座っていた人に。

「!」

 顔を上げたその人は。

 僕は驚きのあまり箸を手にしたまま椅子から落ちそうになって、松川が辛うじて腕を取って支えてくれた。

「……っあ、こ……」

 目の前で黙々と食べていた人が誰かなんて気にもしなかったし、相手が上級生であろうといちいち声をかけて座ることはしないのがここの暗黙のルールだと学んでいたから、僕も松川も無視するような形でこの人の前に座っていた。割と幅の広い食堂テーブルだからトレイが当たって喧嘩になるなんてことはなくて。差し向かいの人が知らない人でもそう気にならない程度なのだ。

「桜野さんに騙し討ちで連れてこられたんなら来るな、邪魔だ」

 完食した近藤さんは、プラ湯飲みのお茶をぐいっと飲んで言った。不機嫌に。

「僕は行きます。約束したのは会長さんとであって、あなたとじゃない」

 邪魔だと言われたのが悔しかった。手前味噌というのは好きじゃないけど、それなりに今日は僕は役に立てたはずだ。……まああの程度なら誰でもそうだけど。

「俺を怖がってるくせに強気だな」

 鼻で笑われる。

「お前行かない方がいいよ」

「なんで」

 松川までそんなことを言う。

「お前を疎んじてる人間がいるところで仕事なんかしても楽しくないだろ?」

「……そうかもしれないけど」

 こんな言われ方をして引き下がったら僕は負け犬だろう?

「意見が合うな、松川」

 僕は近藤さんが松川の名前を自然に呼んだことにはっとなった。この二人は知り合いで、会わせちゃいけなかった。松川がきっぱりと嫌いだと言ったこの人と。

「そうでしょうか」

 松川はきゅっと目を吊り上げて近藤さんを見返す。言葉は丁寧だけど、口調は攻撃的だ。や、ちょっと……なんかまずい空気になってる。

「……松川お前、桜野さんにチクっただろ」

「何の話ですか?」

 とぼけるような松川に近藤さんの目も細くなる。ちょ、ほんとに……止めるべき?

「無茶をするなと釘を刺されたが」

「俺は何のことだかわかりませんが、注意を受けるようなことをするからじゃないんですか?」

 ひいい……そんな挑発的なことを言って……上級生に、しかも副会長に。ひやひやどころじゃなくて、心臓がバクバクした。一触即発とはこのことだ。

「お前。覚えとけよ」

「何のことだかわからないのに覚えておくことなんてありませんよ」

 何でそんなにぐいぐい行けるんだ。もう駄目だ。止めないと、松川を。

「もうやめろ松川。これ以上喧嘩売ったら」

「いいんだ、俺がこの人に噛みついたって誰も止めないよ」

「よくない。この人は上級生だろ、いくらなんでも失礼だよ」

「市原、この人を庇うのか?」

「違うよ! 近藤さんも、忙しい身ですよね? 早く戻ってください。すみませんが」

「……寮に戻れば他の奴らと同じく俺も暇なんだがな」

 そう零しつつも、近藤さんはトレイを手に立ち上がって、僕たちの前から消えた。

 そしてほとんど食べ終わっていた残りを、食堂のおばちゃんには申し訳ないけど味わうことなく掻き込んで僕たちも部屋に戻った。

「市原」

 ぱたんと部屋のドアが閉まるなり、僕の前を歩いていた松川は振り返る。

「ごめん、余計なことをしたかもしれないけど、喧嘩なんてしてほしくないよ」

 本音だ。みんながいる前であれはよくない。

「お前までもあの人にいいように弄ばれたくないんだよ。だからもう行くな」

 お兄さんのことを言ってるのか。その気持ちは松川にしかわからないけど。

「僕はあの人に負けたくない」

「はあ? 負けるってなんだよ。勝ち負けじゃないだろ、お前は一方的に酷いことされたんだぞ」

「怖いところもあるけど、否定されっぱなしは嫌だ。それに」

「それに?」

「……多田さんのお手伝い、楽しかったんだ」

 本当はそれだけじゃないけど。

「市原って結構負けず嫌いなんだな。気の優しい子犬みたいな奴かと思ってたのに」

 子犬……? どういう意味だ。松川より背が低いから?

「僕は性格が悪いんだと思うよ」

 自分のことだから自覚はないけど、兄がそう言うのだからそうなのだろう。

「それはない。性格が悪いのと負けず嫌いは違うだろ」

 そうなのかな。

「だから明日もお手伝いに行こうと思う。ごめん松川」

「……近藤さんに言い返すお前を見て、やられっぱなしじゃないんだなって少しは安心はしてる。ただ近藤さんと二人きりにならない方がいいぞ。その時は適当に理由つけて生徒会室から出た方がいい」

 その顔は全面的に賛成しているものではなかったけど、それでも松川は最後まで心配してくれて。

「うん、肝に銘じとく。ありがとう、松川」


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