激しい催促と嫉妬煽りのエレメール
時の流れとは早いもので、ロイがメリィの家にやって来てから約半年が経っていた。
骨折も治り、以前までと比べれば随分と自由に行動できるようになったロイだが、だからこそ脱走をするのかと思えばそんなこともなく、最近ではメリィの家事を手伝い始めている。
また、労働とは過剰でさえなければ心身をリフレッシュさせ、自尊感情を高めるため人間の生活に重要なものだ。
ロイは元々ジッとすることが苦手であり、体を動かすのが好きだったため、メリィの庭の一角を使って家庭菜園を始めていた。
本格的に農業を始めるには場所も小さく道具なども揃っていないため、まずは趣味の範囲で育てやすく実りも早い旬の野菜をいくつか育てる。
育て始めから約一ヶ月で実るミニキュウリやプチプチトマトなど、メリィウケが良さそうな物もいくつか埋めておいた。
それらは既に芽を出し、ロイが側に立てておいた棒にグルグルと蔦を巻き付けている。
家庭菜園を行ったことがないメリィにはロイの作業すべてが物珍しいのか、彼が畑を弄りに行くたびに後をついていっている。
加えて、朝に撒く水の用意を手伝ったり雑草を引っこ抜いたりとメリィなりにお手伝いもしていた。
ロイは物心ついた頃から行ってきていた農作業に飽き飽きしていたはずだったのだが、ちょこんと生えた芽に尻尾をブンブンと振るメリィを見ていると、何だか農業も悪くない気がし始めていた。
今の目標は自分が作った農作物をメリィに食べさせ、ブンブンと尻尾を振らせるだけでなく目まで輝かせることだ。
ちなみにロイには家庭菜園だけでなく、もう一つ重要な仕事がある。
それが、メリィのブラッシングだ。
メリィはロイが完治してからも変わらずに彼の世話を行っており、毎朝、必ず彼の髪を梳かしているのだが、彼のブラッシングが終わると今度は手元に残ったブラシと新たに準備した狼耳や尻尾用のブラシを彼の手のひらに押し付けていた。
そして、ブンブンと尻尾を振ったり耳をピコピコ動かしたりして、
「やって!」
と、催促していたのだ。
風呂上がりにも夜眠る前にもブラシを催促するし、なんならブラッシングされたくなった瞬間にブラシを持って来る。
ロイも仕方がないなとほぼ毎回ブラシに応じていたので、メリィは未だかつてないほどモフモフつやつやになっていた。
また、ブラッシングというスキンシップが二人の距離を縮めるのか、メリィたちは少し前よりもずっと仲良くなっている。
二人の仲を観察しようと定期的にエレメールが押しかけてきており、今日も彼女はリビングで居座っているのだが、かき乱したつもりの二人が日に日に仲良くなっているのを見てブスっと頬を膨らませた。
「なによ、メリィちゃんに媚売っちゃってさ。ペットのくせに。いや、ペットだから媚売ってるのかしら? ロイ君だけじゃ生きていけないもんね~、ペットだから。あ~あ、ロイ君だっさ~い。ヒモヒモ~ヒモヒモペ~ット!」
少し前まで洗い物を手伝っていたロイをエレメールが煽る。
しかし、ロイも負けずにギロッとエレメールを睨み返すとエプロンを外し、それからメリィの隣に座った。
「うるせぇな。誰がヒモペットだ! 大体、ブラッシングしてやったり、撫でてやったり、けっこう俺も世話してんだよ、メリィのこと!」
その証明でもするかのようにロイはテーブルから一つクッキーを摘まむとメリィの口元まで運んだ。
尻尾をブンブンと振るメリィがパクッとロイの指ごとクッキーを食み、耳をハタハタと揺らしながら幸せそうに咀嚼する。
相変わらず表情筋は仕事をしていないが彼女のテンションはマックスに近い。
だが、エレメールには急に見せつけられたイチャイチャよりも気になることがあるようで、
「ブラッシング!? お姉ちゃんにはちっちゃい時に一回しかさせてくれなかったのに!? よりにもよってブラッシングをロイ君に!?」
と、大声を上げた。
流石のエレメールとて、異性によるブラッシングがどういう意味を持つのかはわきまえている。
しかも、自分は幼少期に一度しかブラッシングをさせてもらえず、おまけに一度櫛を通しただけで「これ以上は駄目! 不快!」と逃げられてしまったというのに、ロイは既に何度もブラッシングをしており、激しい催促にまであっている。
これがどうにも悔しくて、エレメールは自分の鞄からマイブラシを取り出すと、
『メリィちゃん、お姉ちゃんもブラッシングしてあげようか?』
と、メリィに手招きをした。
しかし、優しい態度のエレメールに声をかけられてもメリィはフルフルと首を振っており、ロイの近くを決して離れない。
ピンと上がっていた耳も垂れ下がり、尻尾も元気なくしょげている。
どこからどう考えても明確に嫌がった態度だ。
『いらない。エレメールは力が強くて痛いし、そもそも敏感なところだから、ロイにしかしてもらいたくない。ロイのブラッシングは優しくて気持ち良い。手も好き』
少なくとも繊細には見えないロイだが、意外と彼は優しく、柔らかく生き物を扱う。
丁寧に毛束を解し、ゆっくりと耳元から先までの地肌を刺激してマッサージしながらブラッシングを進める手つきを思い出し、メリィはうっとりと目を細めた。
変わらずに耳は垂れ下がっているが、嫌がったり警戒したりしている時のピンと張り詰めた雰囲気はなく、むしろ弛緩して甘えきった垂れ方をしている。
尻尾もユラユラと揺れていて、なんだか気持ちが良さそうだ。
ブラッシングの余韻に浸って幸せそうなメリィに対し、空気などひとかけらも読まぬエレメールが、
『敏感!? そうだったの!?』
と、目を丸くした。
それから自分の耳をモミモミと弄り、「敏感?」と首を傾げる彼女は大変マヌケだ。
思わず、メリィがエレメールへ呆れた視線を向けた。
『エレメールにも生えてるのに、なんでそんなにビックリしてるの?』
『だって私、メアリーさんにブラッシングしてもらうの好きだもん。全然嫌な感じがしなかったし、自分でモミモミできるし』
『自分で触ってイヤじゃないのは当たり前。それに、お母さんもブラッシング上手だから、不快感がないのも当たり前。大体、ブラッシングは基本的に好きな人にしてもらうの。大きくなったらお母さんにもしてもらわなくなるのに』
呆れ口調のメリィが続ければ、エレメールがムッと口を尖らせる。
『私、メアリーさん大好きだもん』
『そういう好きじゃないよ、エレメール』
ツンと顔を背けるエレメールとの噛み合わない会話に淡い疲れを感じる。
相変わらず子供っぽい人だなと姉を眺めていると、不意にメリィは自分の耳の付け根がムズムズと疼くのを感じた。
もちろん、そんなものは自分でかけばよいのだが、甘えたくなったメリィがすぐ隣に居るロイの胸へトンと頭を押し付ける。
そして、ロイの右手を掴んで痒い方の耳元へ置き、
『ロイ、ココかいて、ココ』
と、グラグラ揺らして彼の手を揺らして催促した。
メリィの要望を察したロイが苦笑いを浮かべて、
「分かったから待ってろって。堪え性がねぇな」
と、彼女の指定した付け根を優しくかき始める。
『もっとして、もっと。ついでに左の耳も揉んで』
ロイに一かきしてもらった途端、トロンととろけて彼の胸にもたれかかる。
ギューッと抱き着きながら左耳もピョコピョコと動かして催促すると、ロイは両手を使ってメリィの耳をかき、モニモニと軽く引っ張ったり回したりしてマッサージし始めた。
「あー!! メリィちゃんの耳の付け根をカキカキしてる! モミモミも! モミモミ、グリグリもしてる!! それは流石に私もメアリーさんにしてもらってないわよ! このスケベ!!」
ビシッと指を刺されて厳しい非難を浴びたロイがギョッと目を丸くする。
「何の話だよ! 耳も尻尾も、メリィが催促してくるんだよ! それならスケベなのはメリィじゃねえか!」
「尻尾まで!? 尻尾の付け根まで!? そこはもはや、メリィちゃんのこじんまり可愛いお尻なのよ!? ロイ君の変態! カス!! ド畜生!!! くたばれ!!!!」
「そこまで言うか!?」
ギャァギャァと力強い非難を浴び、言い返していると言葉だけでなく知らず知らずのうちに指先にも力が入り、うっかり、ギュッとメリィの耳を外側に引っ張ってしまった。
『……!!』
指でつままれた耳の先とギュムっと引っ張られた感覚の強い耳の付け根に強い刺激がかける。
メリィの身体が大きく跳ね、尻尾や耳の先までグッと力が入った。
これに対し、彼女の挙動がおかしなことになってから、ようやく耳を引っ張ってしまったことに気がついたロイが心配そうにメリィの顔を覗き込む。
「おい、メリィ、大丈夫か……大丈夫だけど、大丈夫そうじゃねえな」
メリィの表情は相変わらず「無」だが妙に汗ばんでいて、何故か息が荒い。
真っ白と評するには少し火照って目元が赤くなっているし、よくよく見てみれば瞳が潤んでいて熱い吐息を漏らす唇が濡れている。
触れる体温も暑くなっており、なんだかやけにいかがわしい雰囲気だ。
『……ロイ、もっかい。もう一回』
やんわりと自分の耳を包み込み、じわじわと温め続けているロイの両手を少し震えて弱った自分の手で包み込み、キュッ、キュッと引っ張る動作をして催促を繰り返す。
『もうちょっと強くてもいい。もっと好きってして』
ジッとロイの顔を見つめ、ベシッ、ベシッと尻尾でテーブルを叩く。
大変怪しい雰囲気で催促を続けるメリィにつられ、ロイの耳まで少し赤くなる。
ロイはフイッとメリィから目を背けると、そっと彼女の肩を掴んで引き剥がした。
「なんか、いかがわしいから駄目だ。大人しくクッキーでも食ってろ」
口封じでもするが如く、メリィの口元へクッキーを運ぶ。
しかし、メリィはフルフルと首を横に振って拒否をした。
それから自分の耳を両手でつかんで、左右にミョイン、ミョインと引っ張る。
『さっきのがいい。もっと好きって言ってほしい。もっと!』
ズイ、ズイとロイの元へにじり寄って催促を繰り返し、ジッと感情の映らぬ瞳で彼を見つめる。
ロイが催促の通りに引っ張ってやるか迷う中、エレメールが横からギュッとメリィを抱き寄せて彼から引き剥がした。
自らの胸の中にメリィの顔面を埋め込み、
「メリィちゃん! あんな人間風情の与える汚らわしい快楽に堕ちちゃ駄目!! ちょっと耳をギュってされたのが気持ち良かったからって……アイツはただのロクでもないハレンチゴミ虫野郎よ! 穢れた俗物なのよ!」
と、叱る。
しかし、メリィはエレメールに抱き抱えられながらもウゴウゴとロイの方へ手を伸ばした。
『エレメール邪魔。ロイがいい。ロイ~』
「メリィちゃん!」
エレメールに組みつかれたまま、一切しゃべらずにロイの方へ助けを求めてモタモタと手を伸ばすメリィ。
そして、そんな彼女を必死で押さえ込みながら一方的に何かを語りかけるエレメール。
カオスでシュールな光景である。
「エレメールは、取り敢えず何かある度に俺をけなすのを止めろよ。それと、人間の言葉じゃメリィに通じねぇだろ」
ツッコミどころは様々なのだが、取り敢えず一番に気にかかったことを呆れ交じりに口から出せばエレメールがハッとする。
それから今度は魔族の言葉でメリィを説得し始めたのだが、効果は芳しくないようだ。
とうとうナイフを持ち出すという魔族式のバイオレンスなケンカを始めた二人から逃れるべく、ロイは台所へお茶を淹れにいった。
そして約三十分後、お盆にティーカップ三つとポットを乗せたロイがリビングへ帰って来て、
「これは、どういう状態なんだ?」
と、目の前で広がる光景に首を傾げた。
リビングの中央に位置するテーブルではメリィが熱心に鼻息を荒くして何かを書きなぐっており、それをエレメールが嬉しそうに見守っている。
おそらく喧嘩に負けたのだろうエレメールの腕に数本のナイフが突き刺さり、足もスライムの縄でグルグル巻きにされているのは、ひとまずいいとして、紙にひたすら文字を書いているメリィがよく分からない。
リビングの光景に困惑していると、ロイが帰ってきたことに気がついたメリィが顔を上げ、ブンブンと尻尾を振りながら彼の元へ駆け寄った。
無表情ながらも心なしか得意げなメリィの持つ紙には、「嫌い」とたくさん書かれている。
ロイは余計に混乱した。
「ほら、それがロイ君への感情なんですって。私を打ち負かした後、勝利への興奮と共にロイ君への感情が溢れて仕方がなくなったから書きなぐったそうよ」
張り倒してしまいたくなるようなドヤ顔のエレメールが、困惑するロイへ答えを与えるがごとく解説を入れた。
真っ赤な爪の目立つ指がトン、トンと紙を弾いている。
メリィは少し前からロイと会話ができるようになりたいとエレメールに人間の言葉を教えてもらっており、二人で勉強を進めていた。
そうなれば、何故いきなり文字を書き始めたのかは今一つ理解しきれないものの、メリィが「嫌い」と書かれた紙を得意げに持ってきた理由は察することができる。
「なんつーか、どうせ『好き』をあべこべに教えたんだろ。まともに言葉を覚えらんねーのは可哀想だから、そういうイタズラはやめてやれよ」
しょうもない幼稚な策略を回避し、苦笑いで返せば、予想外に冷たいロイの反応にエレメールがカチンと怒りを募らせる。
「何よ~! 本当にメリィちゃんはロイ君なんか嫌いなんです~! 大体、好きって自惚れが過ぎるわよ! ペット風情が!」
「お前が、メリィがペット風情の俺を溺愛してるって言ってきたんじゃねーか。前に言ったことくらい覚えとけ! 大体、邪悪なエレメールじゃあるまいしメリィがあんな笑顔で『嫌い』って書いてたら怖いわ!」
ガァッと吠えるエレメールに、ロイも負けじと怒鳴り返す。
すると、ロイの言葉を受けたエレメールがピタリと固まった。
「それもそうね。今回は私の負けか。そうよ! メリィちゃんはロイ君が好きなんですって! 言っとくけど、ペットとして! あくまでもペットとしてだからね!」
フムフムと頷くエレメールだが、しつこいくらいにペット扱いに念を押す。
最近、「ペット」と言われるとイラつくのに加えて心臓がモヤモヤと濁るロイだ。
「分かってるよ。ったく、うるせぇな」
舌打ち交じりに悪態をつき、イライラと頭を掻くと、そんな彼にエレメールが真っ白な紙を一枚、差し出してきた。
ペンまで渡してくるエレメールにロイが眉間に皺をよせ、不機嫌な表情のままで、
「何だよ」
と呟く。
エレメールは不服そうなロイを見て口角を上げ、唇で弧を描いた。
「今回は私の負けだからね。ロイ君の気持ちをメリィちゃんに伝えてあげようと思って! さ、ここに好きな言葉をかきなさい。あ、もちろん私は負けた側だからね。ちゃんと! 偽りなく! メリィちゃんに伝えてあげるから、素直に気持ちを書きなさい!」
誰よりも邪悪な魔族だろうに、ドヤ顔で何度も身の潔白を伝えてくるのが非常に胡散臭い。
どう考えても、ロクでもない茶々を入れて二人の間を掻き回してくるようにしか思えない。
紙とペンを受け取ったロイはメリィの好奇心旺盛な視線を浴びながら、しばし思案に暮れた。
『メリィへの気持ちか……ま、まあ、無難に好きでもいいけど? 悪くない飼い主だと思うし、好かれてりゃ生活しやすくなるし? でも、そう書くのは何かな……エレメールのことだから、好き=嫌いで文字を教えてそうだし。つっても、だからって嫌いって書くわけにもいかねぇよな。エレメールが正しい意味を教え直した時に誤解される。いや、誤解っつっても、だからって大好きってわけじゃねえけど。嫌いじゃないってだけだし。やっぱ、別に好きってわけじゃないし。あ、でも別に、好意がないって訳でもねぇかな』
厄介なエレメールによる改変問題もある上、そもそもロイはそれなりに面倒な性格をしている。
中途半端に捻くれているため、メリィへの感情を上手く表現できずに無用な言い訳を脳内で繰り返した。
そしてその後、ようやく捻り出した言葉は「猫っぽい犬を飼ってるみたいなもん」だった。
力が強くロイの数倍は体力があり、モフモフと生えた狼耳と尻尾で感情を表現するメリィはまさしくワンコだ。
だが、相手に忠誠を誓って躾に従うのではなく、むしろブラシを持ってきたりロイの手を動かしたりしてブラッシングとマッサージを催促し、突拍子もない行動をとって彼を困らせる彼女の内面は、どちらかというと猫っぽい。
端的にメリィと自分の関係性を表し、かつ改変されにくそうな言葉だと思ったのだが、受け取ったエレメールの反応は非常に微妙である。
そして、内容を伝えられたメリィの反応もなんだか微妙である。
耳も尻尾も垂れ、ワクワクとした様子がない。
眉間に皺が寄っていて、ロイからの紙をジッと睨みつけるように読み込んでいる。
「おい、なんかメリィの反応、悪くないか? お前、変なこと伝えてないよな」
ジトリと睨むロイにエレメールが溜息を吐く。
「してないわよ。改変が面倒だったし、キラキラした言葉じゃなかったから、そのまま伝えたのよ。微妙な言葉に微妙な反応が返って来ただけでしょ」
「そういやそうか」
勝者の居ないリビングでメリィだけが、
『犬? 私は狼だから、犬? でも、猫? 私、羊っぽいって言われたことはあるけど猫はない。猫? 猫? どこがだろう。それに、ロイは私を飼っている? 悪くはない、けど、どういう意味?』
と、真剣にロイの言葉と向き合っていた。
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